過去の投稿月別表示

[ リスト | 詳細 ]

2019年07月

← 2019年6月 | 2019年8月 →

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]

  また、両親に向けて次の七絶を呈した。
   
帰家呈二慈      家に帰り二慈に呈す 
    
奮然担笈作西遊  奮然として 笈(おい)を担(にな)いて西遊(さいゆう)を作(な)す
心事蹉跎日月流  心事 蹉跎(さた)し 日月流(なが)る
不獨膝前虧定省  独り膝前(しつぜん)に定省(ていせい)を虧(か)くのみならず
却令父母疾之憂  却つて父母をして疾(やまい)を之(こ)れ憂(うれ)えしむ

〇韻字 遊・流・憂(下平声十一尤)

〇定省 朝夕父母のご機嫌を伺い、孝養を尽くすこと。『論語』里(り)仁(じん)に「父母在(いま)せば、遠く遊ばず」という。〇父母 『論語』為政に「父母は唯だ其の疾を之れ憂えしめよ」という(古注)。前詩「病中」に見る通り、十月に平戸で十日間ほど病んだことなどを踏まえて言う。

志を奮い起して旅つづらを負い、九州に旅行した。
事は思ったようには行かず、空しく時が過ぎた。
単にお側で孝養を尽くすことを欠いたばかりでなく、
逆に両親に私の病を心配させることになった。

 松陰の心優しさ、特に両親へのそれが現れている詩である。

   嘉永三年十二月二十九日、七つ(午前四時頃)、吉田を発し、絵堂(えどう)(山口県美祢市(みね)美東(みとう)町絵堂)に至るまで馬上、これより歩行する。五つ半(午後九時頃)萩の家に帰着した。

吉田駅を発す 十二月二十九日

早発戴星鞭小騫  早発 星を戴き 小騫(しょうけん)に鞭つ
十旬羇旅思君恩  十(じゅう)旬(じゅん)の羇(き)旅(りょ) 君恩を思う
尚及新正朝賀否  尚お新(しん)正(せい)の朝賀に及ぶや否や
計比戌牌至柴門  計(はか)るに戌(じゅつ)牌(はい)の比(ころおい) 柴門(さいもん)に至らん

星がまだ光る早朝に出発し、小馬に鞭うつ。
百日間の旅游を得て、御主君の御恩をかたじけなく思う。
まだ正月の御年賀参上に間に合うだろうか。
おおよそ午後八時頃には我が家の質素な門に着くだろう。

 承句では「百旬」というが、実際には『全集』注三にも言うように、八月二十五日から十二月二十九日まで百二十数日にわたる旅であった。これだけの遊学期間を与えてくれた藩主に感謝せざるを得ないのである。

  この日は、次の七絶をも詠じている。

  赤馬関にて伊藤木工介を訪う

長山幾畳逆吾来  長山(ちょうざん) 幾畳 吾れを逆(むか)え来(きた)る
繋纜叩門一笑開  纜(ともづな)を繋(つな)ぎ 門を叩けば 一笑して開く
情況千般説難尽  情況 千般 説けども尽くし難し
両肥二筑踏過回  両肥 二筑 踏過して回(かえ)る

長州の山々は幾層にも重なって私を迎えてくれる。
君の家の前に纜を繋いで門を叩けば、君は笑顔で出迎えてくれる。
各国の状況をあれこれ説くのだが、言い尽くせない。
肥前・肥後と筑前・筑後とを踏破して帰って来たのだから。

 伊藤に各地の情況を報告したのである。この詩も写実的に伊藤との面会の様子を描写していよう。

十二月二十八日、小倉より籠に上り、内里(だいり)(北九州市門司区)より船に上り、赤間が関にて伊藤木工之(もくの)介(すけ)を訪う。吉田(下関市吉田)に到り、宿す。

  内(だい) 裡(り)

浪遊五月歳将除  浪遊 五月(ごげつ) 歳将に除かんとす
帰意如飛小笨車  帰意 飛ぶが如し 小笨車(しょうほんしゃ)
粉壁万家一葦水  粉壁の万家 一(いち)葦(い)の水
眼明前岸故人居  眼に明かなり 前岸 故人の居

五か月間漂泊しているうちに十二月も終わろうとしている。
家に帰りたい気持ちは飛ぶようで、粗末な駕籠に乗った。
狭い関門海峡の向こうには多くの白壁の家々があり、
向う岸の友人の居宅が鮮明に見える。

 結句の故人とは、伊藤木工之介を言う。八月二十六日、往路に伊藤を訪れたのに次いで二度目の訪問であった。

   帰宅

ついに松陰は、脚を萩に向ける。

十二月二十六日、久留米を発し、内野(福岡県飯塚市内野)着。

二十七日、内野を発し、小倉(北九州市小倉区)着。

内野を発す
杖底天辺万畳山  杖底(じょうてい) 天辺(てんぺん) 万畳の山
眼明遠近最高山  眼に明らかなり 遠近 最高の山
昨過冷嶺送温嶽  昨は冷(れい)嶺(れい)を過ぎ 温(おん)嶽(がく)を送り
今日又迎国見山  今日 又た迎う 国見山

杖の下方も天空も幾重にも重なる山ばかり、
遠くにも近くにも非常に高い山々が眼にも鮮やかに見える。
昨日は冷水(ひやみず)峠を過ぎ、雲(うん)泉(せん)岳(だけ)を見送り、
今日はまた国見(くにみ)山を迎えることだ。

 二十六日の日記に、「この所にても尚お温嶽をみる。また佐(さ)嘉(が)・柳川より遥観せし山は印ち冰(ひや)水(みず)嶺(とうげ)なり」という景を詠じた。寛政八年(一七九六)、頼山陽が十七歳で詠じた六言絶句「石州路上」(『山陽詩鈔』一)に、「今朝杖底の千岩は、昨日天辺の寸碧」という。昨日と今日とを対比し、下方と上方とに視線を遣るという山陽の句法を取り入れたものである。また、意図的に「山」という韻字を三度繰り返して、その重層感を出そうとしている。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事