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2019年07月

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十二月七日、一老人を雇いて、温泉嶽に登る。次は、その折に詠じた詩である。

漫遊して天草洋を過ぎ、温泉嶽に登る。山奇海嶮(げん)、而(しか)も一句の風景に答うるものなく、慚(ざん)甚だし。戯れに賦す

吾目嘗横幾万丁  吾が目 嘗(かつ)て横たう 幾(いく)万丁(まんちょう)
閑過山海数十程  閑(かん)過(か)す 山海 数十(すうじゅう)程(てい)
譚兵胸次元如是  兵を譚(たん)ずるの胸次 元(もと)是(か)くの如し
畢竟不能文字鳴  畢竟(ひっきょう) 文字もて鳴ること能わず

〇丁 距離の単位。一丁は、六十間(訳一〇九メートル)。

私は何万メートルもの広大な空間を存分に眺めて来た。
山や海を幾十もゆったりと越えて来た。
だが、もともと兵法家としての物の見方しかできないので、
結局、詩文でもって天下に鳴り響くことはできないのだ。

 これまでたびたび述べて来たように、松陰は風景や遺跡を見ても、その捉え方は兵学的であって、感傷的に美文を綴るようなことをしない。自分のそうした特性をよく承知していて、「俺は文人として立つ者ではないさ」と言うのである。

   
  十二月二日、陸行して二重(ふたえ)村(熊本県天草市五和町二(いつわまちふた)江(え))に至る。村 は天草島中の一陋村である。二重より口ノ津に渡海しようと思い船を雇おうとする。土地の者が松陰を 怪しみ、比隣来たり集まり、嘖々(さくさく)然として其の国を問い、且つ往来の有無を問うことが頻々 である。偶まウヱ村(球磨郡あさぎり町上地区)へ帰る船あり、これに乗る。富丘より二重へ四里、二 重よリウエ村へ七里、黄昏に着船し農家に投宿する。
 この日に詠じた詩は、まさに右の状況を反映したものである。

 二重村に至る。村は天草島中の一陋村なり

 求渡単行至二重  渡(わたり)を求めて 単行し 二重(ふたえ)に至る
 語言嘖々苦難通  語言 嘖々 苦(はなは)だ通じ難し
 比隣相聚環吾立  比隣 相聚まり 吾れを環(めぐ)りて立ち、
 忙語何縁来此中  忙(ぼう)語(ご)す 何に縁(よ)りてか この中(うち)に来りしと

 独り渡船を捜し求めて進み、二重村に到った。
 村人が口々に言い立ててたいそう通じ難い。
 隣近所の者が集まって来て、私を巡って立ち、
 慌ただしく尋ねる、「どういう訳でこの村に来たのか」と。

 『日記』における松陰の記述と右詩の描写とは一致しており、松陰が写実的に此の詩を作ったことが分 かるのである。

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