|
同じ書簡の別紙では更に、
竹島論は、よくよく桂(小五郎)へ御相談なさるのが宜しい。秋(あき)良(ら)(敦之(あつの)助(すけ))の論は、考えすぎである。英夷が開きかけているというのならば、尚おさら宜しい。何分、一寸なりとも外へ張出さなければ、やって行けない。水軍を仕向けるというは、尚おさら愚論である。水軍にて行けば彼れも備えをする、商船で行けば彼れも商いをするなり。
という。竹島を根拠地として交易することで、少しでも外地へアンテナを広げなければ、海外進出の道は開けない、というのである。よほど竹島開拓論に執心なのである。しかも、あくまでも交易を選んでいる所が注目される。
安政五年七月十一日付、桂小五郎宛て書状の別紙には、こうある。
竹島開拓は、元禄度に朝鮮へ御引渡しの事があったに付き、むずかしくもあろうと此の地にても議論しております。しかし現在は大変革の際でございますから、朝鮮へ懸け合い、「今に至るまで空(あき)島(じま)に相成っております事は無益であるから、此の方より開きます」と申し遣わすならば、異論はあるまじく、もしまた洋夷どもが既に手を下して居る事ならば、なおさらまた閣(さしお)き難く、洋夷の根拠地となるならば、吾が長州に於て非常の難儀になろう。
しかし既に洋夷の所有と成っているならば致し方ないけれども、開墾を名分として渡海致してみるならば、これが即ち海洋雄略の手初めにも成りましょう。蝦夷の事も、精々論じては見たいけれども、(長州の)政府の現状は、なかなかそれ程の雄志が無いので、こればかりが嘆息の至りでございます。
元禄度に朝鮮へ御引渡しの事があったというのは、幕府が一六九六(元禄九)年一月二十八日、「竹嶋(=鬱陵島)・松嶋(現在の竹島=独島)」を朝鮮国領土として認めて大谷・村川らの渡海を禁止し、一件落着した事実(「元禄竹嶋一件」)をいう(ネットに掲載された、増田郁子氏「竹島‖独島問題 日本政府の主張は正しいか」等。但し、その結論に関しては徳田は判断停止をしておく)。
しかし、松陰の当時は無人島になっていたようで、松陰はそうした事情を考慮し、朝鮮とも交渉した上で、開墾したら如何であるか、と主張する。この「朝鮮へ懸け合い」という松陰の配慮が大切なのである。そして、「海洋雄略の手初め」(原文は「航海雄略の初め」)とは、海外雄飛の第一歩という意であるが、これは必ずしも武力侵略を言っているのではあるまい。前の書簡で「商船で行けば彼れも商いをする」という通り、交易による平和的な進出を言うのである。
|