もう新しい書庫は作るまいと、役目を終えた書庫は整理したりして見やすいブログを目指していたのですが、此の作業も(特定の人物を研究?)自己満足で終わる予定でしたが公開する事にしました。でもあまりに古い方のお話しになりますので(おいらもリアルで無い方が殆ど)反応は期待しておりません。
第1回は他の方を予定しておりましたが、急遽「奈良光江」さんにしました、皆さんも御存じでお若い方も一度は聞いた事が有ると思いますが、名曲「青い山脈」(同名の映画主題歌)のオリジナル歌唱のデュエットのおひと方です。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
経歴 [編集]
青森県弘前市出身。弘前高等女学校(現・
青森県立弘前中央高等学校)卒業後、兄の学友であった
作曲家の
明本京静の薦めで
東洋音楽学校に進学。病弱であったため
クラシックやオペラを断念し、この事を明本に相談したところ、「マイクロフォンを使う歌手なら大丈夫」と助言を受け、
1940年(昭和15年)、18歳でコロムビアから流行歌手として「南京花嬌子」デビュー。目立った作品は少なく、軍の病院などを慰問する生活中心であった。
1942年(昭和17年)、ヒットがでない娘の将来を憂いた父親の嘆願で、作曲家の
古賀政男門下となってから、
藤山一郎とデュエットした映画「青空交響楽」の主題歌「青い牧場」が初ヒット。当初この曲は映画に主演した
杉狂児と
朝雲照代がレコーディングしたが、
検閲当局(
内務省警保局)から「(杉の)ヤギの鳴き声がふざけていてイカン」とのことで発売できずに、戦地慰問から帰国していた
藤山一郎と古賀門下となった奈良光枝にお鉢がまわってきたということである。
戦後、
千葉泰樹監督に美貌を認められ
大映映画「
或る夜の接吻」の主役に抜擢され、共演した
若原雅夫とのキスシーンが話題となったが、実際の映画には、飛んできた傘が二人のくちづけを隠すという手法が用いられ、
GHQの不満を買うという結果を生んだ。主題歌の「
悲しき竹笛」は大ヒットとなり、デュエットした
近江俊郎もスターダムにのし上げた。近江とのコンビはその後も続き、「愛の灯かげ」「新・愛染かつら」とヒットが続く。他にも「
雨の夜汽車」「
青い山脈」「
赤い靴のタンゴ」などのヒットを放ち、人気投票では常に上位にランクインするほどのトップスターとなった。
奈良は、レコードだけではなく、スクリーンにおける活躍も目覚しく「踊る竜宮城」「シミキンの忍術凸凹道中」「七変化狸御殿」など音楽映画では欠かせない存在であったが、一方で「修道院の鐘」では劇中では歌うシーンがない修道女として見事に主演している。
NHKのプロデューサーと結婚後も活躍を続け、昭和40年代に入っても、衰えをしらぬ美貌と美声で、テレビやステージに活躍したが、1977年5月14日、癌性腹膜炎の為、入院先の聖路加病院で53歳の若さで死去。