「遣魯伝習生始末」の黄変したページを繰ってゆくと(なにしろ64年前の昭和18年刊の書籍ですから、本自体が傷んで補修してあり背表紙も表紙も張り替えてあります。)、中程のページにマルセーユの曽曽祖父「敬一」のお墓の写真があります。
上の写真は1864年墓地建立当時のもので、キャプションには「佛國政府は寫眞数葉を製し、幕府の手を経てこれを遺族のもとに贈った」とあります。
下の写真は上のものから65年後の昭和4年(1929年)に撮影されています。今から78年前に撮られたこの写真は、10年前私たちがこの墓地を訪れた時の様子にほぼ近く、建立当時はまわりには何もなくがらんとしていたのに比べ大きな墓が建ち並んでいるのがわかります。キャプションに「大塚武松氏撮影」とありますが「大塚氏」は当時マルセイユにあった総領事館の関係者の方なのかも知れません。
いずれの写真も編集者の祖父が所蔵していたものを提供したと書かれていますが、残念なことにこの写真そのものは現在所在が不明です。(ひょっとして一番年長の伯父が持っているかも・・・。)
この「遣魯伝習生始末」を通して新たに知り得た曽曽祖父「横山敬一」に関する事実を丁寧に拾い集めて、はかなくも「異土の片方」となってしまった敬一の霊が慰められるような記録を残してゆきたいと思っています。それが私に課せられた「卒業論文」なのかも知れませんね。
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はじめまして。幕末遣欧使節団の一員として、マルセイユで客死した、横山信道のことについて、書かれたサイトを発見し嬉しく思います。実は十数年前、マルセイユの日本総領事が宮崎氏のとき、その調理人をしていた日本人によって、取り壊し寸前のこの墓が発見され、その後、日本領事館によって11月1日には供養がなされる事になっているようです。私も同姓の縁か、発見当時から、マルセイユに行くたびに(なぜか11月に行く機会が多く)時間があればこの墓に線香と花を手向けています。十年あまり前、たまたま墓に行きましたら、鈴木総領事の頃ですが、領事館の方々がお世話しているものと思っていたのですが、墓地の責任者は「ここ1年以上も訪れる者もなく、取り壊しを考えていた。卍をナチスのマークのように思った」と言うので、事情を説明し、若干の礼をして取り壊しをしないよう頼みました。今年も11月17日に、この墓に参ります。よろしければ、横山信道のことについて詳しく知りたく思いますので、ご連絡ください。
メール koroho_goshin@yahoo.co.jp
2007/10/25(木) 午後 1:47 [ kor**o_gosh*n ]
koroho_goshin さま 貴重な情報をありがとうございました。このブログで「敬一の墓」に関係がある方から、書き込みをいただいたのは、これで3件目です。早速、メールを差し上げたいと思います。よろしくお願いいたします。
2007/10/25(木) 午後 3:52 [ bunbun-Jun ]