じつは大学卒業後、約半年間ほとんど本を読まずに過ごしました。何しろこの四年間、実に大量の書籍を読まされた?反動だったのだと思います。
専攻が「思想・宗教」ですから哲学関係の本を筆頭に、宗教学、文化人類学、民俗学、考古学、西洋史学、美学、社会学、倫理学、美術史、文学、キリスト教図像学、そして日本中世史では織田信長に関する漢文の文書(もんじょ)と実に多岐にわたって大量の本を読み、また実に大量のレポートの提出を求められてきました。そして、卒業したとたんに「活字恐怖症」にかかってしまい、本を開くと悪寒と吐き気がするような気がして、おおよそハードな内容の本を読むことがありませんでした。(大げさかな?)
その「活字恐怖症」を克服しようと久々に開いた本が小島道裕著の「信長とは何か」でした。
裏表紙に 『「武」の人、信長。「力」のみを信じ、戦国大名でただ一人、天下統一をめざした男。
だが「力」に拠るものが、いずれ「力」に倒れるのは必然であった。
天下統一は必要だったか?その日本史上の意義とは何か?
「信長」を根本から問い直す画期的論考。』 とあります。
確かに私にとっては従来の「信長観」がひっくり返されるような画期的な内容の一冊でした。
著者は信長の戦った「天下統一戦争」は、他の戦国大名にとっては言いがかり的に仕掛けられた戦争であり、迷惑至極だったろうと述べ、さらにそのことにいち早く気づいた「浅井長政」がまず信長に背き、その延長上に、明智光秀による「本能寺の変」があったとする。そして、その「本能寺の変」は「なぜ信長を絶対者として仰がなければならなかったのかという、武家内部からの根本的な疑問として見ることが出来る。」と述べている。
「信長ファン」を自認する方々に、秋の夜長にお勧めしたい一冊です。目から鱗が落ちますよ。
著者の小島道裕氏は京大院卒で、現在国立歴史民俗博物館の助教授。専門は、日本中近世史。
他に「戦国・織豊期の都市と地域」「城と城下 近江戦国誌」などの著書がある。
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