あの3・11から9日目。
やっと仙台近郊、石巻市内、名取市内に住む親族達、友人・知人達の情報が分かってきた。
もっとも早く消息が分かったのは名取市閖上地区に住む古くからの友人でネット上の消息情報で個人名で検索していて、生存、避難所への退避の情報を確認できた。何の情報もなく津波に襲われた場所だったのでダメかも知れないと思っていたので「生存」の文字を見て、深夜に思わず涙がこぼれた。
翌朝仙台市内の知人の方も携帯のメールでやりとりが出来てご無事であったことを知ることができた。
そして昨日になって仙台市内在住の父方の伯父、伯母達の生存が確認できた。
また今朝早く石巻市渡波在住の継母と異母兄弟達の無事を知らせるメールが妹から飛び込んできた。
やはりネット上で名前で検索したら、このブログに行き着きメールアドレスを知ったとのこと。
しかし、同じ石巻市内に住む母方のいとこ達の消息は未だに誰一人伝わって来ない。
皆「すなどり」をなりわいとする人々だから、当然のことながら海辺に住んでいて、大きな船も所有していた。子供の頃一緒に遊んだ彼らの情報が何一つない。そのことが今の私にとってはとても辛い。
だが、地震発生直後から全国各地、世界各地のラグビーの仲間達からは頻繁に地震見舞いにが届いた。
初代キャプテンはメールだけでなく心配して自宅を訪れて、自分も帰宅の足もままならない中でちょっとついでに立ち寄ったと伝言を残してくれた。
タイの在住のトライゲッター、ミスターバナナマンからも安否確認のメールが届いた。
自宅のライフラインが壊滅的なダメージを受けた茨城の眼鏡屋の社長と社長夫人からも電話をいただいた。博多っ子純情の九州支部長からは真っ先に全国にちったチームのOB達に向けての安否確認メールが飛び込んできた。彼の知っている限りのOB達のアドレス宛だった。
上海の現地法人総経理リアップ氏からもメールが届いた。青森の不滅の12番も元気だとのこと。
東北在住者も東京のチームメイトも特に目立った人的被害はなかったようだが、RFC.REDSの仲間達の友情がとてもありがたく思えた一週間だった。
まだまだこの震災の影響は続くことだろう。
交通機関が復旧したら、私も故郷仙台、名取、松島、石巻地区を訪れなければならない。
壊滅的なダメージを受けた故郷のありのままを見つめる辛い旅になることだろう。
時間がとれれば多賀城市の菖蒲田浜・高山海岸にある「月見岬」も訪ねてみたい。
そして、それぞれの地でなにがしかの希望を見いだしてゆきたいと思う。