以前、編集者のひいひい祖父さんが幕末(文久三年=1863年)徳川幕府が一度開港した横浜港の鎖港交渉にフランスに派遣した第二回遣欧使節団の随行員の一員として、パリに向かう途中エジプトで黄熱病に罹りマルセイユで客死したことを紹介したことがあります。(「マルセイユばなし」から入っていただくと関連記事を読んでいただくことができます。)
今回偶然、使節団に同行した武士の曽曽曽孫に当たる方と連絡がつき、その方のブログの記事で知った書籍を探したら早稲田大学の中央図書館にあることを発見。先日、中央図書館の地下研究書庫に眠っていた「遣魯伝習生始末」(右・東洋堂 昭和18年刊)とタイトルも改訂した改訂版「幕末ロシア留学記」(左・雄山閣 昭和43年 刊)の二冊を借り出してきました。
この「遣魯伝習生始末」はもともと慶応元年(1865年)に徳川幕府が露西亜に留学生を派遣した顛末の記録なのですが、その留学生の監督官として露西亜に渡った山内作左衛門について詳しく記述されています。そして、この山内作左衛門が私のひいひい祖父さん=横山敬一の義弟に当たることから「遣魯伝習生始末」の筆者内藤遂は、山内作左衛門と同じ外交官で職務中にフランスで客死した敬一についてもかなりのページを割いて詳しく記述しています。
マルセイユのホテルでの敬一の臨終の様子や、その後、サン・ピエール墓地での葬儀(皇帝ナポレオン3世も参列してくれたらしい。)やお墓の建立の経緯についてもかなり詳しく紹介し、さらには使節団帰国後の横山家への訃報の連絡の様子や、敬一が殉職により特進の待遇を受けたこと、その妻と遺児達(その一人が編集者の曽祖父に当たる)のその後についても触れていて、全て編集者が初めて知ることばかりなので驚きつつ読み進めています。
今度また時間をかけて詳しくご紹介しますが、実はこの本を知るに至った経緯にも実に劇的なエピソードが隠されていますして・・・。
そして、その「幕末ロシア留学記」が編集者の大好きな早稲田通沿いのラーメン店「えぞ菊戸塚店」のすぐ近くの古本屋さん「五十嵐書店」にあるのをネットで知って早稲田まで飛んで行き、たった今その貴重な一冊を手に入れて来ました!!「五十嵐書店」さん、ありがとうございました!
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