「是非に及ばず」という言葉を探して、文書・史料の森を彷徨いました。
その結果、奥野高廣「織田信長文書の研究」(上・下)(補遺)全三巻中に8カ所、太田牛一「信長公記」(桑田忠親校注)の中に7カ所、この言葉が使われていることが分かりました。(青の付箋)
「文書の研究」の中でこの言葉が最初に使われているのは元亀九年三月、信長が足利義昭に宛てた「異見書」の中です。『烏丸御勘気かうむるの由に候、息の儀は、御いきとおりも余儀なく候、親父御赦免候様にと、申上げ候と雖も、御心得候はば、是非に及ばず候の処、・・・』とあります。添えられた解釈には『信長は烏丸光宣を赦免してくれるように申し上げたが、承知されず、それもいたしかたなく思っていたところ・・・』とあります。以下7カ所この言葉は使われていますが、すべての箇所をコピーし今後、文脈の中でどう訳すのが適切か検討してゆくことになります。
「文書の研究」に収録されているのはいずれも信長の筆になるものですから、こちらの検討を優先することになります。
「信長公記」は信長の旧臣太田和泉守牛一が慶長十五年(1610・本能寺の変の28年後)太田牛一84歳のとき完成した信長の一代記ですので、その記述がすべて『歴史的事実』であるか否かは議論が分かれるところだと思います。そして「本能寺の変」の際、信長が森乱丸に「是非に及ばず」と言ったと記述されているのが、まさにこの「信長公記」の中なのです。これは結構悩ましい問題なのですが、いずれにしろこれから再びこの「言葉の森」の中に迷い込み、流離う覚悟です。
そして今週、ついにマイ「信長公記」を購入しました。図書館から借りだしてばかりいるわけにもいかないですし、文庫版では級数が小さすぎるので思い切って購入。さすがに「文書の研究」全三巻は
手が出ないので大学と地域の図書館で期限目一杯借り出します。それにしても文学部の図書館に「文書の研究」がないのは何故だ!おじさんは怒っているぞ!
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