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マルセイユ物語

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 今回の第二回墓参ツアーのマルセイユでのホテルは旧港のすぐ前の「マスコットホテル」でした。目の前が、今は観光船の発着所とヨットハーバーになっている旧港という絶好のロケーションで、マルセイユのメインストリートに面しています。特別大きなホテルというわけではないのですが、古い岩造りで何しろ港まで歩いて1分、港に沈む夕陽が窓から眺められるステキなホテルでした。(写真左上)
 このホテルの朝食に今回もまた、あの「マルセイユのゆで卵」が出たのです。これはなんだかとてもうれしくて、今回も立て続けに二個も食べてしまいました。
 「マルセイユのゆで卵」には私なりの思い入れががあります。実は12年前の第一回墓参ツアーを終えて帰国後、マルセイユツアーのについてのエッセイを書き上げ、そのタイトルに悩んで考え抜いたすえに「マルセイユのゆで卵」としたからなのです。

 以下、12年前の墓参ツアーエッセイ「マルセイユのゆで卵」から引用します。

『私達ツアー一行がマルセイユで宿とした、旧港に面したホテル HOTEL Mercure MARSEILLE BEAUVAU VIEUX−PORTは歴史を感じさせる雰囲気のある建物でした。そして、このホテルでその朝食に出されたゆで卵が感動的においしく、エリスと2人で思わず声を上げてしまいました。そのゆで卵は白身と言わず黄身と言わず豊かな滋味にあふれ、大げさに言えば食べることによって生命を受け継ぐことを実感させてくれる、そんな味だったのです。私は港町マルセイユのホテルで供されたゆで卵の見事さにより、改めてフランスが農業国であったことを思い出すとともに、中学生時代に通っていた教会の日曜学校でイースターにもらった彩色された”イースターエッグ”のことを思い出しました。プロテスタントの教会で卵は復活の象徴でした。そして、このマルセイユのホテルで朝食に食べたゆで卵の味が私の内なる横山敬一の魂の復活をイメージさせてくれたのです。私はこの『マルセイユのゆで卵』の味を永く忘れることがないだろうと思います。』       

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 マルセイユの街を見下ろす小高い丘にある寺院、ノートルダム・ドゥ・ラ・ガーラから見た旧港です。現在、旧港はヨットハーバーになっていて白いヨットがたくさん係留されているのが見えます。
 左手奥に、今は工業港になっているニューポートが見えます。客船なども寄港するようです。
 今から144年前の元治元年(1864年)3月10日に私の祖々祖父横山敬一を乗せた船はこの旧港に入港しました。途中寄港したエジプト・カイロの地で黄熱病に罹った敬一は病身のままこの地に上陸し、グランド・ホテル・ドゥ・マルセイユに使節団一行と共に投宿し、現地の医師団・看護婦の方々の手厚い治療・看護の甲斐なくホテルの一室でついに37歳の生涯を終えたのです。合掌。

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『使節一行は元治元年(1864年)3月10日マルセーユに着き、ホテル・ド・マルセーユに投じたのであるが、不幸にも横山はエジプト滞在中に熱病に冒され、ついにこの地で再起不能におちいった。』
               (内藤遂「遣魯伝習生始末」 昭和18年 東洋堂)より

「第二回マルセイユ墓参ツアー」の最大の収穫は、祖々祖父横山敬一の終焉の地となった旧グランドホテル・ドゥ・マルセイユ(現フランス国家警察マルセイユ署)の建物を訪れ、その内部に足を踏み入れることが出来たことです。
 144年前、第二回遣欧使節団一行を乗せた船の着いたマルセイユ旧港からメインストリートを500メートルほど登った右角に旧グランドホテル・ドゥ・マルセイユの大きな建物は今も聳えています。
 現在はフランス国家警察が入っているその建物の外観は綺麗に再塗装されフランスの三色旗とEUの国旗が翻っていて、1階の正面玄関には「GRAND HOTEL」の看板がそのまま残されいて、一瞬タイムスリップしたようなとても不思議な感じに囚われました。
 思い切って正面玄関のドアを押して中に入ってみると、1階はロビーでかってフロントがあったであろう思われる場所は警察の受付カウンターになっていて、ロビーの椅子にはアラブ系と思われる人々が何を待っているのか所在なげに座っているのが印象的でした。
 何しろ警察署なのでそれ以上の階に上がることも出来ず、マルセイユ到着時にはすでに黄熱病が悪化していた敬一が一度だけ生きてくぐったであろう玄関のドアを再び押して大通りにでてみると、外は南仏のまばゆい光に満ちて、かってのホテルの建物と翻る三色旗を明るく照らしていました。合掌。

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 マルセイユの祖々祖父横山敬一(号:信道)のお墓参りを終えて昨日、無事帰国いたしました。
 マルセイユ到着当日はTGVのマルセイユ・サン・シャルル駅からサンピエール墓地に直行しました。
墓地前のお花屋さんでお花を買って墓参したのですが、北風が吹き荒れていて墓前に蝋燭を点すこともお線香を焚くことも出来ず、お花と日本から持参したお酒を墓前に供えて「般若心経」を読経して一日目の墓参を終え、寒さに震えながらマルセイユ旧港のホテルに入りました。
 翌日は幸い好天に恵まれ、気温も25度ほどまで上がったので第二日目の墓参は墓前でゆっくり時間を過ごすことが出来ました。出発前に弟が用意してくれたお線香を焚きと蝋燭に灯を点してお墓に水をかけ、さらには背面の碑文を洗い清め、墓石にお酒を注ぎ、瞑目合掌して、144年前に日本を遠く離れたこの異国の地で儚くなってさぞ無念であったろう祖々祖父敬一の魂を慰めました。
 ご覧のように墓碑は約2.5mほどの高さでかなり大きく、上部にいただいた冠のような部分に横山家の家紋の「丸に卍」が刻まれています。144年の時の流れと雨風にさらされた墓碑に辛うじて「横山信道之墓」の銘を読み取ることがで来ます。
 さらに、この日は若くして不慮の事故で天に召されたタツロウ君の祥月命日でもあったので、持参したお酒を彼の面影を偲びつつ一人汲んで、タツロウ君の無念さをも慰めるために遙かに遠い東の空に向かって手を合わせさせていただきました。
 祖々祖父敬一とタツロウ君の無念さ、そして後に残された家族達の悲しみは同質のものだと私には思われて仕方がないのです。
 はるばる東京の三軒茶屋から出かけてきた私は、時空を超えた祖々祖父敬一とタツロウ君の二つの魂がこのマルセイユの空の下で共に慰められることを祈るばかりでした。合掌

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 12年ぶり第二回目の墓参のためフランス、マルセイユに向かいます。
幕末に異国の地で客死した先祖の無念さを慰めるため、敬一没後144年目の墓参となります。合掌。

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