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マルセイユ物語

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 「遣魯伝習生始末」の黄変したページを繰ってゆくと(なにしろ64年前の昭和18年刊の書籍ですから、本自体が傷んで補修してあり背表紙も表紙も張り替えてあります。)、中程のページにマルセーユの曽曽祖父「敬一」のお墓の写真があります。
 上の写真は1864年墓地建立当時のもので、キャプションには「佛國政府は寫眞数葉を製し、幕府の手を経てこれを遺族のもとに贈った」とあります。
 下の写真は上のものから65年後の昭和4年(1929年)に撮影されています。今から78年前に撮られたこの写真は、10年前私たちがこの墓地を訪れた時の様子にほぼ近く、建立当時はまわりには何もなくがらんとしていたのに比べ大きな墓が建ち並んでいるのがわかります。キャプションに「大塚武松氏撮影」とありますが「大塚氏」は当時マルセイユにあった総領事館の関係者の方なのかも知れません。
 いずれの写真も編集者の祖父が所蔵していたものを提供したと書かれていますが、残念なことにこの写真そのものは現在所在が不明です。(ひょっとして一番年長の伯父が持っているかも・・・。)
 この「遣魯伝習生始末」を通して新たに知り得た曽曽祖父「横山敬一」に関する事実を丁寧に拾い集めて、はかなくも「異土の片方」となってしまった敬一の霊が慰められるような記録を残してゆきたいと思っています。それが私に課せられた「卒業論文」なのかも知れませんね。

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 以前、編集者のひいひい祖父さんが幕末(文久三年=1863年)徳川幕府が一度開港した横浜港の鎖港交渉にフランスに派遣した第二回遣欧使節団の随行員の一員として、パリに向かう途中エジプトで黄熱病に罹りマルセイユで客死したことを紹介したことがあります。(「マルセイユばなし」から入っていただくと関連記事を読んでいただくことができます。)
 
 今回偶然、使節団に同行した武士の曽曽曽孫に当たる方と連絡がつき、その方のブログの記事で知った書籍を探したら早稲田大学の中央図書館にあることを発見。先日、中央図書館の地下研究書庫に眠っていた「遣魯伝習生始末」(右・東洋堂 昭和18年刊)とタイトルも改訂した改訂版「幕末ロシア留学記」(左・雄山閣 昭和43年 刊)の二冊を借り出してきました。
 この「遣魯伝習生始末」はもともと慶応元年(1865年)に徳川幕府が露西亜に留学生を派遣した顛末の記録なのですが、その留学生の監督官として露西亜に渡った山内作左衛門について詳しく記述されています。そして、この山内作左衛門が私のひいひい祖父さん=横山敬一の義弟に当たることから「遣魯伝習生始末」の筆者内藤遂は、山内作左衛門と同じ外交官で職務中にフランスで客死した敬一についてもかなりのページを割いて詳しく記述しています。
 マルセイユのホテルでの敬一の臨終の様子や、その後、サン・ピエール墓地での葬儀(皇帝ナポレオン3世も参列してくれたらしい。)やお墓の建立の経緯についてもかなり詳しく紹介し、さらには使節団帰国後の横山家への訃報の連絡の様子や、敬一が殉職により特進の待遇を受けたこと、その妻と遺児達(その一人が編集者の曽祖父に当たる)のその後についても触れていて、全て編集者が初めて知ることばかりなので驚きつつ読み進めています。
 今度また時間をかけて詳しくご紹介しますが、実はこの本を知るに至った経緯にも実に劇的なエピソードが隠されていますして・・・。
 そして、その「幕末ロシア留学記」が編集者の大好きな早稲田通沿いのラーメン店「えぞ菊戸塚店」のすぐ近くの古本屋さん「五十嵐書店」にあるのをネットで知って早稲田まで飛んで行き、たった今その貴重な一冊を手に入れて来ました!!「五十嵐書店」さん、ありがとうございました!
 

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 横山の出自というのは、どうもこのあたりらしいんです。横山家の紋は代々「まんじ」です。
マルセイユにあるひぃひぃ祖父さん横山敬一の墓にも「まんじ」が刻まれていました。
 代々、武士という「闘う」血筋だったのが、なんだかイヤなんですけどね。

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 仙台市の東のはずれに横山家代々のお墓があります。このお墓にも敬一は碑銘だけ残されています。
それにしてもすごい戒名ですよね。文字から判断すると「派遣されて異国の地で死んで、今でも日本を恨んでいるよ」と読めますからね。
 確かに敬一が参加した遣欧使節団の随行員の中には日本に帰ってから出世して、経済界や政界で活躍して人物が多いのです。私のひぃひぃ祖父さん、横山敬一はマルセイユで客死したことによってだけ後世に名を残すことになったわけです。
 子供を残して、異国の地ではかなくなった本人はさぞかし無念だったろうと思いますが、生きて帰って下手に出世などしなくて良かったのかも知れません。
 その後、横山一族は市井の人として代々、平凡な人生を送っているわけですから・・・・。

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幕末の遣仏使節団 池田筑後守一行の随行員の一人がマルセイユで客死したという記事は、当時のマルセイユの新聞を飾ったようです。この絵は、現在、横浜にある「開港資料館」に保存されている資料の中から発見されたものです。
一度、当時の欧米列強に対して開港した横浜を再び鎖港するための交渉団は、その交渉に失敗して帰国したのです。なぜならばマルセイユ経由でパリに登った使節団は、パリの繁栄振りを目の当たりにして、正使の池田筑後守以下、多くの使節団員が「開港派」となって帰国したからであったとされています。この奇妙な命運の使節団の中で、ひぃひぃ祖父さん=敬一だけが異国の土となって帰らなかったのでした。子供を残して病に倒れ儚くなった敬一は、さぞ無念な想いだったろうなと思います。合掌

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