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永いことご無沙汰いたしました。今日は私に少しお喋りさせてください。
私に関するメモ的なことをお知らせしたいと思います。
まず身長は五尺。小さいでしょう。そして案外太っている方です。
目が大きく、右の頬にえくぼがあります。
ナマコは嫌いですが、あとは大抵好き嫌いなく食べます。
色は白・黒・茶などが好きです。音楽はクラッシックもの、それにフォスターやシューベルト。小説は堀辰雄、川端康成など。
とくに、掘辰雄の「麦藁帽子」は大好きです。絵はあまりわかりませんが、
今のところダ・ヴィンチが良いと思います。
俳句友達はご存じのように寺山修司さん、京武久美さん、近藤昭一さん。
寺山さんはとても背が高く、大きく澄んだ目をしています。
俳句ばかりではなく、詩・短歌・創作・評論と何でもやり、とくに最近は現代詩を研究、新感覚の詩をたくさん作っています。
読書・音楽・絵画・映画など趣味だそうです。
支那ソバが大好物だそうです。五尺四寸ぐらいはあると思います。
京武さんは、五尺二寸くらいで痩せ型です。
寺山さんと同じにお父さんがありません。詩や短歌は相当やりますが、作文などは苦手らしいです。
寺山さんは外交的なのに対して、内面的で、余りものを言わない方です。
近藤昭一さんは、良家のお坊ちゃんみたいな顔をしていますが、ラクビーの選手なんだそうです。いつもニコニコしていて、笑うと左に小さなえくぼが出来ます。非常に体格がよく、何もかものんびりと出来る人です。
張間明子さんは、お父さんがお医者さんで、お母さんは私たちの学校の国語の先生の一人娘。日向へカメラなど持ち出して、いじり回しているお嬢さんです。みんないい人ばかりで、五人集まると、いつまでも話が絶えません。
そのうち張間さんに写真を撮ってもらってお送りしましょう。
想像と違っていたらゴメンナサイ、美人でありませんので。
寺山さんは、貴方を想像してメガネをかけて背はあまり大きいほうでないというのですが・・・。
私はそんな気がしてきました。
書きだしたら止まることを知らないようです。
最後に近作五句を記し、ご無事であられますことをお祈りします。
苜蓿言葉少なし逢ふのみにて
逢ふよろこび日向の草が露めくよ
玻璃戸に海かたぶき易し穂綿とぶ
山焼く火かの女教師の黒髪よ
あがれ山火ここ小学校の木柵より
(一九五三年十月二十一日・伊藤レイコより松井壽男宛)
寺山修司の「牧羊神」時代・青春俳句時代(朝日新聞出版)松井牧歌著
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邪念、私欲がない、清々しい文章。
俳句結社の主宰、あれは頭脳・・・というより精神的な重労働。
「辛抱の類句の奥に名句あり」堪えて堪えての選句だと思う。
三千句送られてくる句の90%がどこかで見たような句だろう。
会員を減らさないように意に副わない句でも褒めなければいけないときもあるでしょう。
俳句に絶対はない、選に絶対はない、推選句・相対評価、三〇句と決めるからいけないと思う。
絶対評価で時には十五句、時には五十句採る、出来ていない句を、言葉を尽くして褒めても結社の信用を無すだけ。
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俳句は初心
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詳細
コメント(15)
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津川絵理子
唇ひとつ入る手鏡涼新た
ブハハー、絵理子さん、いくらかさ張るといっても、もう少し大きな鏡をもってきたらいかがですか。
いくらなんでも小さすぎます。
露けしや目の下にある鳥の耳
ハイ、確かに鳥の耳は目の下にあるみたいですけど、でも、鳥の耳って見えないでしょ、見たんですか?
長椅子の真ん中空いて秋の蝶
「秋の蝶」とあるから、この長椅子は屋外ですね、多分公園でしょう。
人は、他人とは必ず距離をとる、恐れ入ります、もう少し間をつめてお並び下さい、込み合って申し訳ありません。
そんなときでも、二十センチは間を空ける。
込み合った車内では、体が触れあうけれど誰も文句はいわない、触れあうのが楽しい場合もある、イヤな場合もある。
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俳句メガネ←ここ
<更衣水音いつも身に近く>
<母の日の母のさみしき古財布>
<その日から電話がなくて新樹の夜>
<海沿ひに点となるまで遍路見て>
<白木蓮の蕾とびたつ夜明かな>
といった作。
失礼ながら何処かの俳句大会の予選は通過するくらいの出来栄えである。
けれども、いずれも《どこかで見たような》内容であり表現であるから、撰者はそれ以上の評価は与えないだろう。
そのあたりをよく考えないといけない。
これが作句二,三年の人なら上々と言えるのだが、十年以上の句歴を持つ人だと、困る。
(藤田湘子)
〖あなたの俳句はなぜ佳作どまりなのか〗
辻桃子
こんな本も出版されている。
角川・平成俳壇・平成19年度には佳作8句、秀逸1句の入選。
アッ、佳作だ。(喜)
また入ってた。
・
・
・
なんだ、また佳作か。
こんな状態だった。
2012年に俳句界にも投稿始める。
2012年度の平成俳壇は、佳作一句だけ。
13年度は、まさかの推薦と秀逸の二句。(佳作はゼロ)
今年度は10月号までで秀逸3句、まだ2カ月残っている。(佳作はゼロ)
これはどのように考え、解釈したらいいのだろう
退院の妻の鎖骨や夕涼し
今井聖撰・秀逸・(角川・平成俳壇・10月号)
退院の妻自らの心太
没句。
自解・入院時は、ベッド配膳、全粥、三分粥、五分・・七分粥。
自分のことは自分で出来る喜び、そんな句意、自信
撰に絶対はない、俳句に絶対はない。
入選、選外に一喜一憂することはない、と言うことを言いたい。
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俳句(角川)・2013.11月号
第五九回・角川俳句賞・発表
選考座談会:池田澄子・高野ムツオ・正木ゆう子・小澤 實
薬喰
編集部・池田先生、高野先生、小澤先生のそれぞれ○の三点句です。
池田_題材の特殊性では誰も書けない。
特殊性という類想観がなくもないですが、土の上で生きている動物、他の生き物と共に生きているという緊張感、楽しさがよく詠み込まれています。
ただ、特殊な題材なので、ない物ねだりで言えば、この人が東京のお茶の水でどういう句を作るか、そういう所もみてみたいと言う気持ちも起きてきます。
ここで詠まれていることは私には分らないから、事実だろうと思って読むわけですが、この事実の面白さをきちんと生かして詠んでいると思います。
「飼猪に山羊の乳粥食はせをり」、考えもしないですよ。
びっくりして楽しむしかないです。
事実の強さと言う意味では「布海苔掻く鮑の殻を押し当てて」些事だけど眼に見えてきます。
「脂なき胡麻鯖なれど味噌煮とす」など、私は俳句にしようと考えたこともない。
特殊な事を詠んだのだから面白いのではなく、この人がきちんと詠んでいるから面白いんでしょう。
この強さもいいなあという感じで、二番目か三番目に採っています。
高野_池田さんと同じように、素材に寄りかかり過ぎの点、発想に結構あざといところがあることなどから、最初はあまり評価は高くなかったが、何度も読んでいる内に、じわじわ味が出てきて、読み返すたびに評価が高くなってきた作品です。
今になると、私が◎にした「喚声」とどちらがいいか。
それぞれ違ったよさがあるので、比べようがないところがある。
<布海苔掻く>や<脂なき胡麻鯖>の句は面白いが、素材の力に寄りかかっている。
この人の力はそんなに感じない、平均レベルかな。
むしろ、「踊るなり風にそよげる稲のごと」盆踊りだね。
なかなか動きのあるダイナミックな句で、よかった。
「豆腐屋が来れば蜩鳴きはじむ」夕方の感じがよく出た、好きな句です。
「猪檻の猪に臥処のなかりけり」猪の悲しみがよく出ています。
「影が池に滲むとみれば風降り来」感覚が働いていて、諧謔味が効いている。
「どの路地も溝板小路注連貰」古くさい感じはするが、<溝板小路>は使えそうで使えない。
「蝌蚪育て上げたる水の淀みかな」など、これは材料倒れではない。
池田_詠み込む腕がありますね。
高野_茨城和生せんせいより粗雑だが粗雑の良さもある。
正木_大づかみですね。
高野_表現てきには拙いところがあるが、この作者ならではの、独自の捉え方をしている。
小澤_猪とともにある生活をしっかりと‘もの中心で詠む姿勢に共感しました。
好きな句は<飼猪に山羊の><布海苔掻く><脂なき胡麻>あたりです。
「栗茹でし鍋湯を風呂に足しくるる」体に効きそうですね。面白い湯の入り方だ。
正木_体が温まるとこ、何か効能があるんでしょう、五右衛門風呂の感じね。
高野_言葉もかなり吟味されてます。「目蔭して鷹の行方を追へるなり」の「目蔭」普通なら「手庇」とやるでしょう。
「よべ檜葉にかづきし雪の零れそむ」<かづきし>という古語。
普通は「かぶさる」でしょうが。作者の表現力を感じさせます。
正木_私は五篇に入れていませんが、この作品はチェックして別次元のところに置いています。
勿論評価します、いまおっしゃったことは全部納得します、同感ですよ。
池田_比較のしようがない。
正木_そう、「比べられない」と書いています。「たいへん貴重だけれど、それにしても新しみが欲しい」とも書いています。
これまで長い角川俳句賞の歴史の中でこういう作品がなかったかどうか。
平成二十五年に選ぶとして、ここえ行くかと思って別枠にしました。
私がこれまでも必ず採っていたタイプの句です。
ですが、今年になってこういう作品を別枠にしてしまったのは、今年、(予選通過作品の)作風がとても変わっていたのです。
これまでと違い、芽生えたばかりだけれど、新しい動き、とまでいかないが、もどかしく、若い人たちがいっぱい作っているのが見てとれるような作風が多かった。
それで、これを別枠ながら五篇から外しました。
池田_予選を通った中で、このタイプの句はこれだけですよ。予選を通らなかった中には、こういう題材の句があるのかしら。
正木_あるにしても、ここまで上手くなれば陳腐ということで残らないでしょう。
この人は受賞しても少しもおかしくないと思う。
高野_全体に新しみをねらった作品がずいぶんありました。
その分だけ現実との密着度が薄い。
それを考えると、こちらは現実との密着度が非常に濃い。
目線が木とか魚とか地面に非常に近いところで作っている。
こういうのは逆の意味で貴重だ。それは評価してもいいだろう。
正木_これまでの角川俳句賞受賞作と並べても遜色はないと思います。
けれども冒険がなさすぎるというか、迷うところなので、全部みてからどうするかにしましょう。
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俳句(角川)・2013.11月号
第五九回・角川俳句賞・発表
選考座談会:池田澄子・高野ムツオ・正木ゆう子・小澤 實
「風のにほひ」
最後は池田先生と正木先生が◎の四点句です。今回の最高点です。
池田_自然体で無理のない書き方をしているんです。
最初は四番か五番でした。でも、今回はこれときめるのが難しく、一度忘れて、新しく読み直すということを四,五回やりました。
そうするうちにこの作品が上がってきて、最終的に一位にしました。
私は創作はいくら気張ってもいいと思っています。疵があってもいいし、嫌味があってもいい。
新しいものは嫌がられるのですから。それぐらいの気持ちで作っていいとおもっているんですが、この作品は嫌味がないのです。
でも実は、<熱帯魚のひげを見てゐる応接間>の〈応接間〉にはちょっとした悪意、毒がある。
<鶏の腹に縫ひこむセロリかな>お料理教室みたいに言っているだけだけれど、実は「鶏にとっては」ひどいことをやっているわけで、それを平然と
言い放つ毒。
<元日や鉄のパイプの国旗立>決した気持のいいことだけを詠んでいるのではない。
元日がめでたく詠まれていない。
<そのへんの桜ながめてゐたりけり>
わざわざどこどこの桜を見に行くのではなくて、たまたま通ったそこら辺にある桜。
桜に対する、というか、日本人の美意識に対しての悪意というか、そういう屈托がでています。
<白線の内側にゐる春の昼>
白線の内側でなかったらどうか、と考えると怖い句です。
そういうものが潜んでいることにだんだん気が付いた。
だけど、この作者はそれを全然表にだしていない。
のんびりと平な句を創っているように見えて、決して能天気でないということに気が付きました。
↓$↓
正木_今回、全体にこれまでの物差しでは測れないものがあったと言いましたが、これもその一つで、私も池田さんと同じく、何回も何回も読み返している内に、だんだんこれが浮上してきた。
この人の特徴は即物的であっけらかんとしていること。
物の質感、素材感、マテリアルというか、そういうものを詠んでいる句がおおい。
句がいいかどうかは別として、<水中花咲くや鉛の植木鉢>の〈鉛〉〈鉄パイプ〉など、興味の置きどころが物質的です。
そういう作り方でユニークなのが<こつこつと机たたくや干し蝮>、このユニークさが珍しい。
池田_蝮の乾いたので机を叩いたのかしら、この句だけ分らなかった。
正木_私もよく分からなかったけれど、そう解釈しました。
<真鍮の肉付きやよし涅槃像>も金属です。
別の質感では、<アスパラガスとめる輪ゴムの緑なる>アスパラガスは緑色のちょっと太い輪ゴムで束ねてあって、それが食い込んでいたりする、女性は台所仕事をやりながら、そういうものの一つ一つに違和感を持っているんです。
<感冒錠のむ手のひらを呑むように>手まで即物的に詠んでいます。
<落葉はく箒に拳ふたつかな>拳を握っている姿でしょう。
句がいいかどうかは別にして、ユニークな詠み方です。
高野_分からないなあ。
正木_<ラクビーのマウスピースが笑ひけり>、マウスピースが笑っているように見えるわけ。
小澤_〈が笑ひけり〉は変ではないですか。
池田_<電熱の行火の強のにほひかな>「強い」でなくて、〈強のにほひ〉って、そうだなあと思いました。
小澤_ああ、弱のにおいと強のにおいは違うんですね。
正木_この人全然抒情的に詠まなくて<口の中にとびこんでくる蜘蛛の糸>も、物として詠んでいる。
小澤_面白い即物性の句があると思います。
<飛んでゐる白鷺の足そろひけり><羽蟻の羽ひきずつてあるきけり>など。変ったところを詠みますね。
<奉納のプロレスのこゑ青葉風>プロレスもいよいよ相撲なみになって、神社に奉納しているんでしょうか。
ただ、言い過ぎと言うか、<夕焼けはいつも工場の裏つ側>の「いつも」はもったいない。
<涼風や平になつたヨガ教師>面白いが、「や」と「なつた」の口語が気になる。
<金魚鉢水が染まつてゐるやうな>、比喩が強過ぎる気がしました。
〈感冒錠〉の句もそう。〈そのへんの桜〉〈真鍮の肉付き〉は面白い。
正木_×の句がない。
高野_〈そのへんの桜〉とか〈白線の内〉などはとてもいいが、顛末的なことに執着しながらもその面白さに、あまり共感できない。
それがだんだん気になってくるんだ。
〈けり〉が十句、〈かな〉が八句、しかも、果たしてこれ、〈かな〉でいいのか。
もっといい表現があるだろうという句が結構出て来る。気になった。
小澤_〈かな〉〈けり〉は沢山使ってほしいけれど、〈落葉はく・・・ふたつかな〉や〈鶏の・・・セロリかな〉はよくない。
高野_<マスクして耳の後ろの痛さかな><黄塵の金属バットを振りにけり><春風を目で追ひかけてをりにけり>などは安易過ぎる。
それと、擬音語、擬態語の使い方が常套的です。
〈こつこつと机たたく〉<からからに束子のかはく西日かな><むつちりと首の後ろや盆の僧><しつけ糸すつと引きぬき秋袷>など。
普通はこんなところは俳句にしないという場面を作者なりに捉えた句の、感覚のよろしさは私も感じますが、今いったようにとても気になるところがあった。
正木_ご指摘はその通りですね。しかし、とても個性的です。この作り方を極めてほしい。
編集部_有難うございました。
これで二点以上の五篇の講評が終わりました。
これから最終候補に残すかどうかの決定をしていただきます。
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