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1972年、奈良県の明日香村で高松塚古墳が発見された。
この発見に触発されて付近の調査が続けられて、1983年に
キトラ古墳が発見された。この時、「玄武」という壁画が発見された。
1998年にファイバースコープで内部を観察したところ、
「青龍」、「白虎」、「朱雀」などの壁画と共に天井に
「天文図」が見つかった。
調査の結果、この星図には星座と他の星星が描かれていて、その中に
4つの円が朱色で描かれていたが、その中の2つがそれぞれ、
「黄道」と「天の赤道」であることが分かった。
このことは、当時の天文学が非常に高度なものだったことが
うかがえる。
なぜならば、「天の赤道」という概念が非常に抽象的な概念である
からである。
太陽の通り道である「黄道」ならば、長年に亘って朝夕、星空を
観察していれば、太陽が季節、季節で決まった星座の中を動いていく
のが分かると思う。
しかし、地球の赤道を天球に投影したと考える「天の赤道」という
概念は、そう簡単にできるものではないと思う。
しかも、天の赤道と黄道がちゃんと2点で交わっているではありませんか!!
(春分点と秋分点)
これは、何を意味しているかというと、地球の地軸が公転面に対して
ある角度で傾いているのだということを、当時の学者はすでに知っていた
ということに他ならないのではないでしょうか。
さらに、この描かれた天文図は現代の朝鮮民主主義共和国の平壌あたりの
緯度の夜空であるということが判明したとのことである。当時の日本と朝鮮は
どのような交流があったのか興味深いところです。
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キトラ古墳は当時話題になりました、星座の事も記憶にありますが、天の赤道や黄道が書かれていたのですか、時計の無い時代だから天の動きが頼りだったのでしょうね、子の刻とか丑の刻など空を見て決めたんでしょうね。
2008/2/12(火) 午前 11:05
marcusさん、こんにちは。古代の人々は季節、季節の星座を見て一日の時間の見当をつけていたのかも知れませんね。
2008/2/12(火) 午後 2:12
へーーーすごいことですね。
やはり知識は人間の思慮深さを変えますね。
2008/2/25(月) 午後 2:25
purinさん、こんにちは。この天文図から考えると、古代人にはものすごい知識と知恵があったのですね。
2008/2/25(月) 午後 2:57
ファン登録ありがとうございます。
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・「白虎」は伏儀を祖先とする西方の「巴族(白虎族)」のことです。
・「青龍」とは「東北の秦皇島北部の青龍川を拠点とし舟を巧みに操る水生民族(青龍族)」で「東夷」です。
・「玄武」とは「承徳(かつての熱河)北部の女かや西王母神話をもつ東夷」です。
・「朱雀」とは「山東半島南部の鳥夷」のことです。(「太昊伏義」や「少昊氏」神話をもち鳳凰を合同トーテムとする氏族連合です)
いずれも「チャイニーズにとって異民族のトーテム」です。
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これらはn_o_i_s_e_m_a_n 氏の記述ですが。
半島というよりは大陸から逃れてきたひとびとがキトラに葬られたと見ています。日本はこれらの人々と縄文人の融合で成り立ってきていると思うのですが。
個人的には、あの朱雀はまさしく、手塚治の「火の鳥」ですね〜。凄い。
2008/3/30(日) 午後 6:56 [ mir*k*nino*i ]