社交ダンスと天文

ご訪問を有り難うございます。またブログを始めました。(元ミニッツエム)

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転業する決断

 ワープロやパソコンが世に出てきてから、20年以上に

なると思う。それまでは、活版やタイプライター、写真植字機で

文字を組んで、版下づくりをしていた。


 膨大な手間隙をかけて文字を組んでいくのだが、誤植が

あると、文字を入れ替えないといけない。これが大仕事なので

ある。活版だったら、活字を入れ替える。タイプだったら、

正しい文字を打ちかえる。


 写真植字だったら、印画紙の上で正しい文字を魔法のように

誤った文字と張り替える。まさに神業か奇跡か。


 ところが、ワープロが世に出てきて、その後マイクロソフト社の

MS-DOSの基本ソフトが出てきてから、事態が一変したのである。


 なぜならば、国内のパソコンメーカーがそれまで、バラバラに

基本ソフトを作っていたので、違うメーカーの文字情報を他社の

ワープロで見ることが出来なかったのが、MS-DOSで統一されたので

違う機種でも、文字を見ることが出来るようになったのだ。しかし、

世界標準を先取りされた、最初の痛い例ではないだろうか。


 その後、DTPも出現してきて、これが優れものだった。複数の

ワープロで入力した文字情報を一括で連結できて、何百ページもの

編集作業があっと言う間に出来てしまう。


 これで、タイプラーターや写真植字のメーカーが一斉に転業を

せざるを得なくなった。世の中は変わるのが実に早いのだ。


 タイプライターは売れなくなり、営業がいくら頑張ってもダメに

なった。変わってDTPの天下が訪れて現在に至っている。


 ワープロやワードは文字をデジタル化したという点で画期的な

発想であった。今、我々がこうしてブログを書けるのも、文字を

活字や印画紙の映像から、デジタル情報に変えたからに他ならない。

そして、その後、インターネットが爆発的に発展した。

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大学受験の頃の話

 昔の大学受験の頃のエピソードを思い出したので披露したい。

自分は勉強はあまり得意ではなかったので、特段に大学進学には

こだわっていなかった。そうだ、半ば諦めていた。


それで、他に自立する方法を見つけないといけないので、専門

学校に行った。それでも当時は就職できたのだ。初任給が3万円

くらいである。現代と比較すると良い時代だったのかも知れない。


 在学中、ある男子高校生が、「俺は東大を受験する」と冗談を

言っていたが、本当に受験したので、先生にえらく褒められ感心

された。「うーん、受験したか。お前は偉い」。しかし、その高校は

何十年も、誰一人として、東大に受かったものはいない程度の高校で

あった。もちろん、本人も後に不合格をみんなに言いふらしていた。


 その高校生は、己の能力を知っていたからこそ、そのような暴挙に

出られたのだと思う。背伸びして学閥を自分の肩書きに置き換えたいのか、

実際に本来の学業に打ち込むために大学に行くのか、よくよく考えないと

自分自信を見失うことになると思うのである。

新銀行東京

 1000億円を原資として、新たに作られた官製の銀行であるが、

肝心のスタッフは、みなド素人で、担保も保証もとらずに、

とんでもない相手先に融資していたらしい。

 都民の税金をつぎ込んで銀行を作るという発想はいったいどこ

から出てきたのだろうか。

 こちらの地元の地方銀行でも、保有資金が3兆円というから、

1千億円というのは、そんなに大きな資金保有量ではないと言える。

 だから、融資にはもっと慎重でなければならないはずだが、ただ

実績がでないので、どんどんと融資に走った嫌いがある、しかも、

民間の銀行よりも、はるかに高金利で貸しているので、危ない企業は

返済に窮しているのではないか。これまで見たこともない都知事の

言動がとても気になる今日この頃である。

 来年の今頃はまた400億円の追加融資でもめることになるかも

知れないネ。

キトラ古墳の謎

 1972年、奈良県の明日香村で高松塚古墳が発見された。

この発見に触発されて付近の調査が続けられて、1983年に

キトラ古墳が発見された。この時、「玄武」という壁画が発見された。


 1998年にファイバースコープで内部を観察したところ、

「青龍」、「白虎」、「朱雀」などの壁画と共に天井に

「天文図」が見つかった。


 調査の結果、この星図には星座と他の星星が描かれていて、その中に

4つの円が朱色で描かれていたが、その中の2つがそれぞれ、

「黄道」と「天の赤道」であることが分かった。


 このことは、当時の天文学が非常に高度なものだったことが

うかがえる。


 なぜならば、「天の赤道」という概念が非常に抽象的な概念である

からである。


 太陽の通り道である「黄道」ならば、長年に亘って朝夕、星空を

観察していれば、太陽が季節、季節で決まった星座の中を動いていく

のが分かると思う。


 しかし、地球の赤道を天球に投影したと考える「天の赤道」という

概念は、そう簡単にできるものではないと思う。


 しかも、天の赤道と黄道がちゃんと2点で交わっているではありませんか!!

(春分点と秋分点)


 これは、何を意味しているかというと、地球の地軸が公転面に対して

ある角度で傾いているのだということを、当時の学者はすでに知っていた

ということに他ならないのではないでしょうか。


 さらに、この描かれた天文図は現代の朝鮮民主主義共和国の平壌あたりの

緯度の夜空であるということが判明したとのことである。当時の日本と朝鮮は

どのような交流があったのか興味深いところです。

人体の不思議展

 大阪梅田のビルで開催されている、人体の不思議展を見てきた。

数年前にも開催されていたが、長蛇の列であきらめて帰ってきたことが

ある。昨日は空いていたので、すぐに観賞できた。小学生を連れた親子が

多いのに少し驚く。


 最初は昔の解剖図がいろいろと並べてあった。その中にはレオナルド・

ダ・ビンチの図版もあった。この展示は本物の人体やその臓器をプラスティック

のように加工したものだということである。


 順路をたどっていくと、本物の人間の皮膚を除いた展示が目に

とまる。数体あってどれも日本人のようで顔の表情があるので、本物の人間で

あったことが分かる。どのような経緯で、このように人体標本になったのか、

少し気になるところだが、顔の筋肉だけの表情をみていても、人相は

だいたい分かるものである。


 見ているうちに、見せていただいているのだという、奇妙な遠慮の

感情が湧いてきた。


 人体を頭の先から胴体までCTスキャンのように、数センチづつ輪切りに

して、並べてある展示があった。これもプラスティックのような感じなので

それほど生々しいものではなかった。


 さらに人体を頭から下に縦にスパッと左右に裂いて、展示してあるのも

あった。見ると背骨が結構な太さがあるのに気付いた。頭蓋骨につづく頚椎から

下に行くに従って、背骨は太くなっているのだと分かる。


 また、腹部の内臓を取り去って、内部の大動脈や大静脈が見えるように

してある展示もあった。理科で習ったように、心臓から降りてくる大動脈は、

下腹部のあたりで、左右に枝分かれしてそれぞれ左右の足に血液を送っているのだ

と分かる。また、両足の先まで行った動脈は足先で繋がって今度は静脈となり、

再び上がってきて、今度は二本が一本になって、再び心臓の右心房、右心室へと

いき、肺へと送られる。ここで酸素を得て再び左心房、左心室へといき、大動脈へと

つながり、脳と両手を含む全身に血液が送られる。(間違ってたらゴメンね)


 もう一つ目を引いたのが、胎児の展示である。数体の胎児と胎盤が

展示してあった。これも実際のものではあるが、色も余りなくて、

作り物のような感じがした。


 写真をアップできないのが残念であるが、なぜかもう一度、この

人たちに会いたくなった。

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