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九九式襲撃機は大日本帝国陸軍によって1939年(昭和14年)に正式採用され、主に太平洋戦争で使用された襲撃機(後述)である。本機に割り当てられた日本陸軍の航空機開発番号はキ-51、連合国側のコードネームはSoniaであった。開発は三菱重工業(以下、三菱)が担い、生産は三菱を中心に1939年(昭和14年)から太平洋戦争期を通じて行われた。派生型として九九式軍偵察機(開発番号は同じくキ-51)がある。また性能向上型としてキ-71が設計されたがこちらは制式採用には至らなかった。 襲撃機とは、敵地上施設(飛行場や地上部隊陣地)および敵地上部隊等に対し低高度から爆撃(特に急降下爆撃)や機銃掃射を行って攻撃を加えるというコンセプトの基に開発された日本陸軍の軍用機のカテゴリーであり、戦闘機と軽爆撃機の中間的な性格を有す、所謂「攻撃機」に近い存在であった。ただし本機の他にはあまり例がなく、キ-93やキ-102、キ-201などが襲撃機の名を冠するが、キ-93は試作段階で終戦を迎え、キ-102はどちらかといえば防空戦闘機的役割で使用されており(ただし、キ102の母体である二式複座戦闘機は軽爆部隊にて襲撃機として多用されており、「二式双襲」との通称名も存在する)、キ-201は戦闘機兼襲撃機(戦闘攻撃機)というコンセプトであった(こちらも設計段階で終戦を迎えている)。もともと襲撃機の役割は直協機(九八式直接協同偵察機など)とも共通しており、地上部隊支援のための戦闘攻撃能力と汎用性の高さが求められた。 そのような襲撃機の開発指示が1937年(昭和12年)に三菱に対して内示された。大木喬之助技師を主務とする三菱の開発陣は指示書に従い、レシプロエンジンとして三菱製ハ-26II(瑞星)を採用した単発複座単葉の機体を設計した。固定武装は両翼内に7.7mm機銃を2挺、後部座席に旋回式7.7mm機銃を1挺装備した。ただし翼内7.7mm機銃は実戦投入後に空戦及び地上銃撃時の威力不足が指摘されたため、大戦後半(1943年(昭和18年)11月)より12.7mm機銃に換装された。爆弾は当初200kg(12kg×12または50kg×4)まで搭載可能であった。また低空飛行で地上を攻撃する任務の性格上、敵地上部隊からの反撃を受ける可能性が高いことから当時の日本機としては珍しく防弾性が考慮されており、11号機(増加試作機)からはエンジン下面、操縦席下面、背面、胴体下面、中央翼下面を6mm厚の装甲板で保護していた。なお降着装置は固定脚であった。 試作機におけるテスト結果は飛行性能および取扱いも良好であったが、機体の振動や着陸時の失速特性の悪さといった問題も指摘され、量産型では主翼前縁にスラットを設けることでその解決を図った。 また本機は生産過程で一部仕様(艤装)を変更するだけで軍偵察機型にする事もでき、この型は九九式軍偵察機と呼ばれた。この派生型では後部座席の副操縦装置を取り除き、胴体下・横に開けられた窓から外部を撮影するための写真機が設置された。この仕様変更に対応するため、胴体内に爆弾を収納するスペースは無くなり、爆弾は両翼下に搭載された。また視界を広げるために機体に比して風防が大きく設計されている。ただし艤装以外は元の九九式襲撃機とほとんど同じものである。 1941年(昭和16年)、性能向上のために九九式襲撃機のエンジンを三菱製ハ-112(金星)に換装し、固定脚を引込脚に変更したキ-71が満州飛行機によって試作されたが、期待した程の性能向上が見られなかったため実用化には至らずに終わった。 九九式襲撃機は日中戦争末期から太平洋戦争全期に渡って使用され、中国大陸から南方戦線(マレー半島、ビルマ、フィリピン、インドネシアなど)まで広い範囲で活躍した。本機は固定脚であり、また搭載されている翼内前方機銃は機首配置の場合のプロペラ同調式ではないため整備性が良く、戦地での酷使にも耐える実用性の高い機体であった。また低空での運動性の高さ(敵戦闘機撃墜の報告もある)、不整地からの離着陸性能、素直な操縦性も高く評価され、教導訓練用の機体としても重宝した。 しかし大戦後半になると旧式化は否めず、敵戦闘機に比べ相対的に低速になったために撃墜される事が多くなり損害が増大している。また他の日本機と同様に爆弾の搭載量が小さく、航続距離も不足しがちであった。それでもその信頼性の高さから終戦まで第一線で活躍し続け、大戦末期には胴体下に250kg爆弾が搭載できるように改造されて対艦攻撃機もしくは特攻機として用いられることも多かった。 生産数は三菱製が1,472機であり、1944年(昭和19年)以降は立川陸軍航空工廠でも1,000機近くが生産され、軍偵察機型も含めた総数は2385機に上る。 戦後、海外に残存した一部の機体が現地の軍隊で運用された。特に、国共内戦の際の中国人民解放軍やインドネシア独立戦争の際のインドネシア人民軍で運用されたことが知られている。その内、現存機としては修復された実機がインドネシアの博物館に保存・展示されている。 本機は有名なアメリカの飛行家である、チャールズ・リンドバーグの駆るP-38戦闘機とも戦っている。リンドバーグの仲間の2機を相手に、高い運動性をもって翻弄していた1機が、リンドバーグ機との反航戦での撃ち合いに破れ撃墜されている。
機体詳細データ(九九式襲撃機[キ51]:後期型) 全長 9.20m 全高 2.73m 全幅 12.10m 翼面積 24.02m2 自重 1,870kg 最大重量 2,900kg 最高速度 425km/h(高度3,000m) 上昇限度 8,300m 航続距離 1,060km プロペラ ハミルトン定速3翅 発動機 中島九九式(ハ26−II)空冷複列星形14気筒 公称950馬力×1基 乗員数 2名 総生産機数 1,472機 武装 7.7ミリ機銃×1、13ミリ機銃×2、250キロ爆弾×1 |
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ぶたがかり さん こんにちは
私も飛行機(戦闘機)が大好きで子供の頃から色々な雑誌をみたり、
模型クラブに所属したりしておりました。 ぶたがかり さんのブ
ログを拝見致しますと、私のように戦闘機一本槍でなく、幅広く研究
されている事が良くわかります。 今後も期待しております。
あ!、飛行機だけじゃ無かったですね! 兵器全般でした。
2009/8/26(水) 午後 1:03
最近は兵器だけではなくて客船とか電車も調べています。
以外に調べていくと面白い物がたくさん出てきます。
2009/9/1(火) 午前 0:24 [ ポリカルポフ ]