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南無なむ堂のスタッフブログ
笑って泣いて感謝して(^人^)・・・仏壇店の備忘録です♪

2017年2月11日(土)
4日目

〜クラクフ(ポーランド)〜パリ〜フェズ(モロッコ)

旅の後半は私のリクエストでもあるモロッコに移動します。

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LCCの格安航空会社でパリ経由でモロッコのフェズに向かいます。

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食事を済ませて8時前にホテルを出てクラクフ駅へ。

LCCは荷物一個につき法外な(笑)金額を取られるので、
二人の荷物をバックパック一個にむりやり詰め込みます。

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クラクフ空港までは電車で。

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空港へは余裕をもって到着。

航空会社は easyJet

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搭乗します。

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機内はありえないほどのシートの狭さです。

しかもみんなケチって荷物を持ち込むのでごった返していました。中には荷物持込みでCAと喧嘩している乗客も。CAも負けていません。乗客とガンガンやりあってます。これが世界クオリティでしょうか。日本の航空会社とはえらい違いです。

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ポーランド上空

パリの空港では7時間ほどのトランジットがあるので、待っているのも
バカバカしいし、パリ市街に出て行こうということになりました。

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シャルル・ドゴール空港に到着。

とりあえずクソ重たいバックパックを一時預かりに預けます。

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地図とにらめっこ。

前回パリに来たのは29年前なのでまったく記憶にございません。
コンコルド広場に行けばシャンゼリゼから凱旋門に歩いて行けるということをググりました(笑)

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チケット購入。
か、かたみち10ユーロって

実質4時間ほどしかないのでソッコーで移動します。

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パリ市街に行く列車

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電車に乗り込みます。
行先を確認しています。一回乗り換えるみたいです。

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「コンコルド駅」に到着

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地上に上がればすぐにコンコルド広場でした。

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ちなみにこれが前回訪れた(1988年)の写真

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エジプトのルクソールから持ってきたオベリスクとエッフェル塔

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凱旋門方面に向かってあるきます。

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シャンゼリゼ通り

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シャンゼリゼ通り

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昼食はなんとなくリーズナブルっぽいこの店に入ります。

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ハラ減った〜。

この時点でエッフェル塔は諦めました。
飯なんか食っとる場合ちゃうやろ(笑)

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シャンゼリゼ通り

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シャンゼリゼ通り

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シャンゼリゼ通り

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シャンゼリゼ通り

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凱旋門が見えてきました①

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凱旋門が見えてきました②

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「想定外のパリはラッキー!!」

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ちなみにこれが前回訪れた(1988年)の写真

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「どうやってあそこに行くん??」
とか間抜けな会話をしながら・・・

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二人で記念撮影

インド人観光客に写してもらったのですが、凱旋門が入るようにと地べたに寝転がって撮影してくれました。申し訳ないやら感謝の気持ちやら。

パリ市街では実質2時間半ほどの滞在でしたが、予定外だっただけに長男も満足げ。私も29年ぶりに訪れることができ感無量でした。

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空港へ戻ります。

フランス代表のサッカーの試合があったらしく、サポーターが電車に乗っていました。飛行機に乗ってフランスの地方から応援に来てたようです。

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シャルル・ドゴール空港のLCCのターミナルはあり得ない場所にあります。

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ターミナルまでどんだけ歩かすねん。。。
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チェックインに1時間以上並ばされて、ようやく落ち着いたと思ったらすぐさま搭乗。何書いとるかわからんし。

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初めて聞いた中東のLCC航空
Air Arabia

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約3時間のフライトですが、おそらく史上最悪の揺れを体験しました。
CAが使っているアルミの台車が前から後ろまで一気に走って来て
私の膝に直撃。もう痛いのなんの・・・・もちろん詫びの一言もなかったのですが、まあそれが世界基準なんでしょうね。

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モロッコフェズに到着

結局深夜1時を過ぎてようやく空港の外へ。
もちろん公共バスもなくタクシーのおっちゃんの思うツボ(笑)

高いのか安いのかよくわかりませんが、市街地まで30〜40分の道のりを150DH(約1,700円)で行ってもらうことにしました。感じからすると倍はとられてるような気はしますが、他に手段もなく、他のタクシーも談合してるだろうから妥協するしかありませんでした。

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今夜のホテルはフェズ駅前の
Ibis Hotel

一泊二人で朝食付いて7,500円。

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もう疲れたのでさっさと寝ます。

明日は日帰りでシャウエンへ行ってきます。

つづく・・・。

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2017年2月10日(金)
 3日目 ②

〜アウシュビッツ ②〜

第1収容所からユダヤ人絶滅収容所とよばれた、ビルケナウ・アウシュビッツ第2収容所へ歩いて向かうところからの続きです。

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途中にこのような看板がありました。

「終戦の頃、ドイツがユダヤ人を虐殺した事実を歴史から葬り去ろうと、収容所はもちろん、近隣の町や民家もまとめて破壊しようとした。」みたいなことが書かれていました。

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地図を見ながら歩きます。

地図で見ただけでもビルケナウがどれだけ大きいのかがわかります。

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30分ほど歩くとあまりにも有名なあの建物が見えてきました。

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「死の門」

これは第2収容所の外側からの写真です。

映画「シンドラーのリスト」では、収容所内でのセットや撮影ができないため、スピルバーグ監督はこのゲートの外側にもう一つの収容所を作って撮影したとどっかの文献に書いていました。執念です。

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その「シンドラーのリスト」のワンシーン

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管制塔の中にはツアー客以外は入れてもらえません。残念。

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当時の写真

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二人で記念撮影

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真っ青な空と死の門

現在では静かで平和な風景ににしか見えません。

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アウシュビッツといえばこのシーンが定番

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収容所の様子

モノクロで雰囲気を出してみました。

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ヨーロッパ各地からこの貨車に乗せられて
大勢のユダヤ人が運ばれてきました。

彼らは「荷」とよばれ、もはや人として扱われませんでした。
到着した時にはすでに息絶えてた人も大勢いたようです。

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最もショックだった一枚の写真。
中央の兵士が指一本で収容者の仕分けをしています。

「労働者」「人体実験」「価値なし」に分けられ、老人、子供、身障者などは「価値なし」として、そのままガス室に連れて行かれました。「価値なし」と判断された人達は70%以上と言われています。

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その写真と同じ場所に立っている長男。
さすがに感慨深いものがあるようです。

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当時の写真

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収容所の様子

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収容所の様子

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収容所の様子

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収容所の様子

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収容所内の写真

あまりにも劣悪な建物で言葉も出ません。

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ベッド

トイレにも自由にいけないため汚物が落ちてくるので、最上段に行きたがっていたとか・・・。

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洗面所

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収容所の様子

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収容所の様子

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収容所の様子

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収容所の様子

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収容所の様子

煙突だけが残っています。
極寒の年があり、寒さのあまり労働者が亡くなるので、暖房設備が作られたそうです。

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収容所の様子

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敗戦前に大量虐殺の事実を隠ぺいするため、自らガス室や
焼却炉を爆破し、証拠隠滅を図ろうとしました。

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自ら爆破したガス室跡

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自ら爆破したガス室跡

この地下室のようなところに入っていき、そのまま毒殺されました。

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長かったレールの最終点。

ここから先の希望はありませんでした。

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収容所の様子

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遺体の灰はこの池に捨てられました。

ワイン型のローソクを日本から持参しお祀りしました。

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収容所の様子

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当時の建物。

ドイツ軍の司令塔だったのでしょうか?

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収容所の様子

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収容所の様子

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収容所の様子

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トイレ棟

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穴が開けられただけのトイレ。

一日2回だけ決まった時刻にしか使用させてくれません。

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収容所の様子

最後は歩き疲れてヘトヘトになってしまいました。

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予定通り15:30のバスでクラクフへ戻ります。

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ぞろぞろとお客さんが集まり、すぐに満席。

ちょっと遅かったら危うく1時間半立ちっぱなしになるところでした。

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クラクフ到着後は、外はめちゃくちゃ寒いので、バス停直結の巨大ショッピングモール内レストランで夕食を済ませました。

旅の3日目終了

明日はいよいよ次の目的地モロッコに向かいます。

つづく・・・。

この記事に


2017年2月10日(金)
 3日目 ①

〜アウシュビッツ ①〜

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クラクフを8:05発のアウシュビッツ行バスに乗ります。
乗車率は1/4ぐらいでしょうか?

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約1時間30分ほどの道のり。

昔の収容者の一部はこの道を歩かされたようです。
「死の行進」と呼ばれていたようです。

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10時前にアウシュビッツに到着。
帰りのバスの時間も確認しておきます。

目安は15:30のバスかな?

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まずは第1収容所に向かいます。

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当時の航空写真

第1と第2収容所の位置がよくわかります。

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第一収容所の入口

冬季はガイドツアーに属さずに自由に見学ができます。
ちなみに入場料は国籍のアンケートだけで無料

維持費は現在もドイツが出しているようです。

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ゲートをくぐるとたくさんの棟が見えてきます。

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まずはこの有名なゲートをくぐることからはじまります。

「働けば自由になれる」
を信じてたくさんのユダヤ人はこの収容所で我慢しました。

「B」が逆になってるのは、ナチス軍に何も抵抗できなかった
ユダヤ人収容者のせめてもの反抗と言われています。

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ゲートの下で記念撮影

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ここではオーケストラが演奏をしていました。

収容者の心のケアと言われていますが、悲鳴や銃声を
かき消すために終始演奏していたとも言われています。

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収容所の様子

建物の中は、資料館となっています。

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収容所の様子

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「On The Way  to Death」
と書かれた当時の写真。

列車がアウシュビッツに到着したした写真ですが、
この子供や女性はそのままガス室へ・・・・

無邪気な笑顔の子供の表情をみるとたまらなくなってきます。

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彼らはどのような気持ちで外を眺めていたのでしょうか?

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ガス室の模型

防空壕のように地下に掘られた部屋に送り込まれた様子がわかります。

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有名な毒ガス「チクロンB (サイクロンB)」

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その「チクロンB」の業者からの納品書

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収容所の様子

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収容所の様子

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ものすごい量の眼鏡

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没収されたカバン

収容者が将来出所するときに返すと言い、住所と名前を書かせたようです。
もちろんそのようなことはなく、すぐに隣室で金目の物を取り出す選別が行われていました。

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織物に使われた女性の髪の毛

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収容者の写真

あまりにもたくさんの収容者が送り込まれたため、このように
記録に残っているユダヤ人は初期の極々一部だと思われます。

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一日の食事

・コーヒーと呼ばれる黒い液体
・腐った野菜のスープ
・パンとマーガリン

3食ではなく一日の食事です。
これも本当に支給されたのかも疑問ですね。

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当時の労働に行く様子

グループ単位での労働で、一人でもいなくなったらグループ全員が処刑されたとのこと。
労働中に亡くなった仲間の遺体を背負って(人数合わせのために)労働から帰ってくることもあったようです。

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死の壁

右の建物が裁判所。
裁判で判決が下ればそのままここで銃殺されました。

左の建物は収容者の棟。
あまりにも残酷なので窓には目隠しがされています。

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収容所の様子

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第1収容所の地図

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収容所の様子

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点呼広場

毎日、真ん中に見える鉄棒のようなところで、
見せしめのために誰かが絞首刑にされたといわれています。

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収容所の様子

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収容所の様子

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ドイツ敗戦後、身分を変えて逃亡していたルドルフ・ヘス・アウシュビッツ所長逃亡先の南米でイスラエル当局に拘束され、ここに連行され絞首刑にされました。

その処刑はガス室の真横で行われました。

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軍事裁判を受けるルドルフ・ヘス・アウシュビッツ所長

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その絞首刑台横にあるガス室の入口。
フラッシュ禁止

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ガス室内

ガスは天井の開口から放り込まれるため、息苦しくなった人たちが
その開口に向かって折り重なるように亡くなっていたようです。

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隣室にある遺体の焼却場。

遺体処理もユダヤ人の仕事でした。

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当時のナチス司令塔本部

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収容所の様子

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次に「アウシュビッツ第2収容所」に向かいます。
「ビルケナウ・ユダヤ人絶滅収容所」とも呼ばれています。

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ビルケナウへは約3キロ。

無料シャトルバスも出ていますが、長男と二人で当時の町の様子を想像しながら歩いていくことにします。

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当時のレールが寂しくそのまま残っています。

何十万ものユダヤ人を送り込んだレールと思うとこれを見ている
だけでやるせなくなります。


つづく・・・。

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2017年2月9日(木)
2日目 ③

〜クラクフ〜

プワショフ収容所からシンドラーの工場へ向かうところの続きから。

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クラクフゲットーの壁からシンドラーの工場へは
路面電車を使わず歩いて向かいます。

10分ほどの距離です。

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映画「シンドラーのリスト」で舞台になった
オスカー・シンドラーの工場です。

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オスカー・シンドラーについて何やら書いてます。

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入口では通訳さんに声をかけられますが、
英語がわからないので「そーりー」と丁重にお断りします。

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正面で一枚

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シンドラーのリストのワンシーン。

ちょうど自転車のあたりで写真を撮ったことになります。

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ついでに私も記念撮影

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工場で働いていた労働者の写真が飾られています。

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工場の中は博物館となっています。

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目を覆いたくような記録が所狭しと紹介されています。

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オスカー・シンドラーの執務室

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クラクフ駅の看板(おそらくレプリカ?)

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工場内の階段ですが、映画でもこの階段が使われていました。

ユダヤ女性がシンドラーに両親をこの工場で雇って
助けてほしいとお願いをするシーンだったと思います。

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映画の撮影の様子①
スピルバーグ監督が打ち合わせをしています。

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映画の撮影の様子②

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目的を達成しトラムで市街地にもどります。

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ヴァエル城
残念ながら閉館していました。

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中央広場へ向かう町並み

きれいな石畳です。

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馬車
ゴージャスな旅行者が乗っていました。

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COSTA COFEEでちょっと休憩。
ほとんどスマホばかりいじってる(笑)

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クラクフ中央広場

クラクフがきれいな状態を保たれていたのは、
ドイツ軍がここに司令塔を置いていたからとのこと。

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クラクフ歴史地区は世界遺産にもなっています。

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旧市庁舎の塔と織物会館

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織物会館の内部は土産物売り場いなってました。

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聖マリア教会

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一人旅では考えられない豪勢な食事。
しかしどんだけ食うねん・・・(笑)

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クラクフ駅のショッピングセンター

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ホテルに帰ります。
うろうろする気にもならない寒さです。

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旅の二日目が終了。

明日は早朝よりいよいよアウシュビッツに向かいます。

疲れたのか眼鏡をかけたまま寝ています(笑)

つづく・・・。

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2017年2月9日(木)
2日目 ②

〜クラクフ〜

さっそく映画「シンドラーのリスト」で舞台になった
プワショフ・ユダヤ人収容所に向かいます。

誰も行かないマイナーな場所で、ガイドブックとかはありません。
マニアックな旅人のブログを参考にしながら路面電車に乗り目的地に向かいます。

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クラクフ市街。

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あれだけ行動したのにまだお昼前

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自動券売機でチケットを購入します。

買い方がわからないので、前の人が買ってるのを二人でガン見します(笑)

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クラクフの路面電車は一回約100円。20分間(と思う)有効。

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チケットは自分で買って自分で刻印。
ズルがバレるとかなりの罰金が待っています。

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おそらくここであろうと思われる駅で降車

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真ん中の川より上が市街地ですが、
すべてのユダヤ人が赤で囲んだところに隔離されていました。

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Grey House

戦前はユダヤ人墓地があったところをナチス軍によって造成され、
宿場が作られた場所。

拷問も行われ、ここに入った収容者は二度と生きたまま
出てくることないということでした。

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喋れないけど英語は読める長男。

典型的な日本の英語教育の申し子。

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私は英語がわからないので長男に訳してもらいます

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普通の住宅地を歩いていくと・・。

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アーモン・ゲート・プワショフ収容所長に与えられた家があります。
現在は FOR SALE として寂しく建っています。

彼の極悪非道ぶりは映画シンドラーのリストをご覧ください。

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シンドラーのリストでは、この二階のデッキから遊び半分で
ユダヤ人収容者を射殺しているシーンがありました。

映画のセットとは違い、収容所からは離れているので
実際ここであの惨劇があったかは不明です。

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収容所跡を歩きますが何もありません。

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プワショフ・ユダヤ人収容所のことがさみしく書かれています。

アウシュビッツに移設されるとき、
証拠隠滅のためナチスドイツがすべてを爆破したそうです。

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モニュメント

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さらに歩きます。

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広大な敷地内には何も残っていません。

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モニュメント

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何とも寂しそうなモニュメントと長男

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ここにレールがあったと思われます。
シンドラーのリストもここで貨車のシーン撮影されていました。

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雪が凍ってかなり危険。
私も何度も転んだことやら・・・。

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映画「シンドラーのリスト」はここにセットを組んで撮影されました。

と言いますのも・・・

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映画でアーモン・ゲートが絞首刑されるシーン。

実際の絞首刑の様子がYouTubeで見られます。
閲覧注意!

左上に見える石灰炉が同じものですね。

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これです。

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ここにあの映画のセットを組んだとは、スピルバーグの
執念といいますか、この映画に賭けた思いが伝わりました。

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この小高い丘に登ってみます。

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クラクフ市街が一望できます。

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せっかくなのでツーショット

収容所跡を後にして市街地に降ります。

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クラクフ・ゲットー(ユダヤ人隔離地区)の
現存する当時の壁

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この壁はユダヤのお墓の形だそうです。

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次はシンドラーのリストの舞台にもなった
シンドラーの工場へ地図を頼りに向かいます。

つづく・・・。


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