お墓を知ろう(仏教墓塔研究会)

墓地 墓石 仏壇 神棚 占い 家族 相談 お墓の建て方祀り方

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全203ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

お葬式の喪主と施主

お葬式において、喪主と施主を別に立てるという事が掛かれていました。
絶対に有り得ない、止めるべきお話です。
喪主と施主を別けるから揉めるのです。
一本化ですべきです。
お金の管理は、当然主催者の喪主がします、そしてそれ以降の法事も施主として勤めます。
母が亡くなった場合、高齢の父が喪主をして、子供が施主をするなどしてはなりません。喪主施主は子供が勤めます。
母が亡くなった場合、長女が喪主をして弟が施主をするなどをしてはなりません。喪主施主は弟がします。
喪主イコール施主なのです。
昨今はSNSの時代です。
何も知らない、勝手な考えが、投稿によって、さも正しき回答のように誤解を受ける発信が為されています。
大変危惧すべき憂いです。
くれぐれも間違わないようにお願い申し上げます。
喪主と施主を別けてはならない一体な事なのです。
揉める基を作らないで欲しいのです。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

浄土真宗のお家のお墓へは正信偈写経をお納めください。

浄土真宗の僧侶が「お墓へなんかへ、お経を納めないで」とか、「遺骨へお経を納めない」と言っています。
何と失礼な言い回しなのでしょうか?。
お墓を何とお思いなのですか??。
ご遺骨を誰だと思っておられるのでしょうか???。
全く不遜です。
お墓は死体の始末場所ではありません。
ご本尊様の阿弥陀如来をお迎えすればこそ、仏石に『南無阿彌陀佛』としているのです。
阿弥陀様の世界へ正信偈を御供えする事に何の反対理由が有るのですか。

お墓が立てば、正信偈写経をお納めする事は必須であってお経の供わっていないお墓こそ無意味なのです。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

ご相談が有りました。
墓石の仏石(棹石)には、必ず仏種子を刻みます。
お墓に手を合わしますが、何に向かって手を合わせるのでしょうか?。
墓石に刻まれているご本尊様、つまり家宗旨の仏さまに対してなのです。
それが、仏種子で示されています。
キリークは、阿弥陀様の梵字の仏種子。
ア字は、大日如来の梵字の仏種子。
円相は、お釈迦様の教えを示す仏種子。
妙法は、法華曼陀羅の仏種子。
狭い墓石正面の頂部の白毫の位置に、仏のマークを刻んで仏そのもののお身体にする事こそ建墓の大いなる意味が有るのです。
仏も迎えていない単なる石組にしてはなりません。
今日のご相談者にも、その点を力説いたしました。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

天下のイオンが『イオンのお葬式 お葬式参列マナー』なるご案内パンフがある。

読んでみて驚いた、何と稚拙な内容なのか。

誰もお咎めナシの様子に、更に落胆。

御葬式のセット内に、葬儀と言う言葉が出てこない。

葬式とは、葬儀と告別式の合わさった文言。

初七日法要の料金が含まれている。

葬式内に初七日法要を含めてはなりません。

死亡後七日目の仏事が初七日法要なのになんで前倒しまでして包含するのか?、仏事を蔑ろにして不遜。

水引も『黄白』もあると説明しているが、通夜葬式で黄白使用は絶対にない。

それ以降の仏事には使用はするが。

香典の御札にも言及しているが、頂けた内容ではない。

香典とは読んで字の如く線香代や蝋燭代やお花代などの御供えの意。

御霊前に捧げる御札をナゼ古くて汚れた不浄極まりない物を使うのか。

新札こそ相応しい。

わざわざ、嫌って折ったりしない。

表書きも『涙で墨も薄くなりました』なんて屁理屈優先で愚かな言い回しをしない。

しっかりと弔意を示してはっきりと書くべき、何ら問題はない。

礼をつくす心を大切にすると大上段で構えるならば、もっと真摯に真剣な場面の形成であって欲しいのです。

天下のイオンであり、国民生活をリードし続ける社会の使命を感じて頂きたいのです。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

お墓閉まいと言う言葉が闊歩しています。
住職が飛びついた美辞です。
子孫が居ない理由で、施主の費用で解体させ、無縁を吹聴し、永代供養付きの納骨堂へ誘導する。
お寺の言う事ですから、皆さん安心してそうしてしまう。
墓しまいの理由を尋ねると「子供がいない」「娘だけで、嫁いでいるので負担を掛けたくない」「住職が勧めるから」、トンでも無い。
お墓は、もともと永代借地権を有している。
跡継ぎが居なくなっても、墓地墓石は未来永劫なのです。
京都の墓地を見てください、300年400年と立ち続けています。
おそらく、誰も継承している人はいないでしょう。
墓地に立ち続けているのです。
墓地と言う聖地に抱かれているのです。
墓石は記念碑ではありません。
仏菩薩をお迎えしている仏塔にご先祖は抱かれて往生を叶えているのです。
子孫の安寧の為に建てられた墓石を、ナゼ今あなたの勝手な理屈で解体など蛮行を犯すのですか。
商売上手な住職や石屋や霊園に惑わされてはなりません。
墓石を守り供養し報恩感謝の聖苑が墓石なのです。
貴方が絶えても、死者の魂は永遠なのです。
仏の住まう仏塔を解体し住処を追いやってはなりません。
高額な費用を要して、子孫の為にお建てに成った先祖の思いを考えるべきです。
永代供養などの美辞、今更唱えて頂かなくても、墓石は仏塔であって、極楽浄土が具現されており、僧侶の愚かな供養を頂かなくても、信頼されるご本尊様に抱かれて大満足なのです。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

全203ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


みんなの更新記事