ぶ〜じゃえもんの戯れ言

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大谷 米太郎(おおたに よねたろう、1881年7月24日 - 1968年5月19日)は富山県小矢部市出身の実業家。

1881年(明治14年)、貧農の小作農家の長男に生まれる。弟妹が5人いて、小学校にも満足に通えなかった。

13歳から24歳まで、百姓奉公と酒屋奉公をする。

24歳の時、父親が死亡。父の変わりに、家族8人のために小作を続ける。一方、酒屋奉もする。文字通り、朝から晩まで闇雲に働いた。けれども、生活は一向に楽にならなかった。食事も、鶏が食べるような屑米を食べていた。と、いう。

そういう赤貧洗うが如しの状態にあって、唯一の楽しみは 、村で行われる相撲大会だった。米次郎はいつも、優勝して、賞品を手にしてた。それだけに、「田舎の横綱」として、その方面では名前が知られてた。

明治44年、31歳の時に、いつまでも田舎に逼塞していても、将来の目算が立たない。と、判断して、母親に三年の暇をくれるよう懇願する。そして、僅かな金(20銭)を親から借りて、裸一貫で上京する。

しかし、単身田舎から出てきたばかりの保証人もいない男に、まともな仕事は見つからなかった。

職探しに奔走しても、保証人のない悲しさ。広い東京で、相手にしてくれる人は、誰もいない。母親の作ってくれたおにぎりもなくなり、15銭の宿賃を払って投宿したものの、明日からはなんの目安もない。

だが、一日の疲労と楽天的性格で泥のように眠りこけた。

だが、同宿の荷揚げ手配師の世話で、翌日から港湾人夫として働く。体力があったから、普通の人夫の2・3倍働くので、一日にして重宝がられる。

日雇人夫の仕事にありつけても、雨が降ったり、仕事の無い時には遠くまで探しにいくので食べるのが精いっぱい。そんな時、仕事にあぶれて仕方なく、畑の大根を失敬したり、ごみ箱を漁ったこともあった。と、いう。この当時が、最も貧窮のどん底であったろう。

だが、何が何でも種銭を作る事が先決。といって、乏しい賃金の中から、貯金をする。

日雇い稼業から足を洗い、色々な店で働くようになる。そんな時、昔とった杵柄で、両国の国技館で力士になる。

フンドシ担ぎから、幕下筆頭にまで出世する。しかし、田舎相撲で指をなくしていたので、幕内に上る事を断念する。

そして、酒屋稼業に転身する。その当時、相撲時代から相思相愛の女性と結婚する。けれど、慣れない商売は、大変だった。

しかし、人の気持を掴むのが上手だったので、成功にこぎつける。その後
、更に儲かる仕事を求めて、田舎から上京した弟の竹次郎とともに、鉄鋼圧延用のロールを作る町工場を経営するようになる。

以降、米太郎は弟の竹次郎と二人三脚の事業展開を行なう。

1923年9月1日、関東大震災が発生する。米太郎の町工場も焼けて、跡形も無くなる。けれど、持ち前の前向き志向と、機を見るに敏なる性格で、禍を福に転じてしまう。

米太郎は、震災復興を行なう土建事業や鉄鋼事業に注目して、大谷重工業を起業して、基礎が確立する。

やがて、満州に工場進出して、事業拡大を図る。「鉄鋼王」とまで、呼ばれるようになる。

しかし、太平洋戦争の敗戦で、これまで築いてきた財産が半減する。けれど、公職追放にならなかった。それが幸いして、戦後復興に全力を挙げる。
戦後の朝鮮特需の勢いに乗って、大谷重工業は息を吹き返す。そして、巨万の富を築く。

その後、米太郎は経営不振に陥った会社を再建する事業を行なう。その一つに、星製薬がある。

両国国技館は占領軍に接収されてしまったので、蔵前に国技館の建設に協力するなどの慈善事業を行なう。

1964年、東京オリンピックの開催が決まる。東京都から2万坪の元伏見宮邸跡地を買うよう要請された土地に、オリンピックの宿泊施設不足からホテルニュ−オ−タニの建設事業を起こす。

また、浅草・新宿・大森に「少年センタ−」の設立に寄付。
郷里富山県小杉町に大谷技術短期大学を作る。

米太郎は家庭の都合で、学校は行けなかったが天性カンがよく、目で覚えるのに優れていた。従って技術もすべて独学で習得した。この事は、美術収集にも生かされ、浮世絵のコレクターでも知られ、彼のコレクションはニューオータニ美術館で見ることが出来る。

1968年(昭和43年)、86歳のときに脳腫瘍で死去。

生前、「いくら口がうまくても実行しなければ、人は信用してくれない。」
と、言う人生訓を堅持して、大谷米次郎は、あまり知られていない。

1997年5月、鎌倉佐助に鎌倉大谷記念美術館が開館した 。鎌倉中央図書館の近くの、丘を背にした奥まった閑静な場所である。この美術館には、大谷米太郎が長年収集した日本画と三男米一の西洋画のコレクションが、所蔵されていて随時展覧されている。もと米一の住居を一般に開放して、私設美術館にしたものである。

「いくら口がうまくても実行しなければ、人は信用してくれない。」
と、言う人生訓を堅持して、あまり知られていない。

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