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サツマイモ

サツマイモ(薩摩芋、和名:甘藷(かんしょ)
学名:Ipomoea batatas L.)は、ヒルガオ科サツマイモ属の植物。あるいはその食用部分である塊根(養分を蓄えている肥大した根)。別名に、甘藷(かんしょ)、唐芋(からいも)、琉球藷(りゅうきゅういも)。仲間に、アサガオやヨウサイ(アサガオ菜)がある。花はピンク色でアサガオそっくりだが、短日性であることから本州ではあまり開花しない(九州や沖縄では開花する)。

中米原産と言われている作物で、これを主食とする地域もある。また、若い葉と茎は一部地域で野菜として食べる。

もともとは南アメリカ大陸熱帯地方から東南アジアに導入され、そこから中国を経て沖縄、九州、本州と伝わった外来植物で、日本から対馬を経て朝鮮半島へも伝わる。

このため中国(唐)から伝来した沖縄や薩摩では唐芋(奄美諸島では何故か薩摩芋)、沖縄(琉球)から伝来した九州では琉球藷、九州から伝来した本州では薩摩芋と呼ぶ。

英語のスイートポテト (sweet potato) でも知られるが、日本では単にスイートポテトと言うとサツマイモ料理の一つを指すことも多い。北米ではヤム (yam) とも呼ばれるが、これは、黒人奴隷が、故郷のアフリカで栽培されていたヤムイモと同じ名で呼んだからである。

原産地については「メキシコで、紀元前にすでに栽培されていた」とされる一方、「有史以前にオセアニアの島々に伝わっていた」という説もあります。

ヨーロッパへはコロンブスが伝え、そして
天明の飢饉の際には多くの人々の命を救ったそうです。日本ではいもの部分しか食用にしませんが、中国や東南アジアでは野菜としてつるや葉も食べるようです。

中央アメリカ原産で古くから南アメリカで栽培されていました。15世紀末にスペイン人がヨーロッパに持ち帰って広めました。 コロンブスがスペイン王に献上したとか。
日本には1597年に琉球に伝来し、最初は琉球で栽培されます。

日本には1615年にイギリス人により伝えられたといわれますが、色々な説があり定かではないそうです。

1604年、琉球王国(現在の沖縄県)に伝わる。野國総管(明への進貢船の事務職長)が明(今日の中国福建省付近とされる)からの帰途、苗を鉢植えにして北谷間切野国村(現在の沖縄県中頭郡嘉手納町)に持ち帰り、儀間村の地頭・儀間真常が総管から苗を分けてもらい栽培に成功、痩せ地でも育つことから広まった。野國総管は芋大王(うむふうすう)と称えられるが、サツマイモを持ち帰ったこと以外は、よく知られていない。
後に麻平衡・儀間親方真常によって琉球全域に広められ、王国民を飢餓から救ったと伝えられている。
1609年、薩摩(現在の鹿児島県)藩主・島津家久は、徳川幕府の許可を得て琉球を攻め、幕府による鎖国が続く中、琉球からの年貢および明、清との交易を通じて、異国の文物、情報を得ることになる。
その後尚寧王より薩摩へ、また1698年には尚貞王より種子島へ送られ、種子島久基の命により種子島での栽培が始まった。なお、三浦按針が1615年平戸(長崎県)に持ち帰り九州で栽培が始まった。
1705年(1709年とするものもあり)、薩摩山川の前田利右衛門は、船乗りとして琉球を訪れ、甘藷を持ち帰り、近隣に広めて「カライモ」と呼び、やがて薩摩藩全域で栽培されるようになった。利右衛門は民間人として初めてサツマイモの栽培を広めたとされ、「甘藷王」として地元であがめられ、サツマイモの神様として祭られている

その後、南九州を中心に普及して、薩摩藷=さつまいもの名前が広まったといわれています。
薩摩、長崎と順次、九州地方に広がっていきました。

1732年の享保の大飢饉により西日本が大凶作に見舞われ深刻な食料不足に陥る中、今日の長崎県と鹿児島県では餓死者を出さなかったといわれ、サツマイモの有用性を天下に知らしめることとなった。八代将軍・徳川吉宗はサツマイモの栽培を関東に広めようと決意する。そして起用されたのが、青木昆陽であった。当時、彼は儒学者としての才能は評価されていたが、その才能を買っていた八丁堀の与力加藤枝直が、町奉行・大岡越前守忠相に推挙、昆陽は、同じ伊藤東涯門下の先輩である松岡成章の著書『番藷録』や中国の文献を参考にして、サツマイモの効用を説いた「蕃藷考」を著し、吉宗に献上した。

1734年、青木昆陽は薩摩藩から甘藷の苗を取り寄せ、「薩摩芋」を江戸小石川植物園、下総の幕張村(現千葉市花見川区)、上総の九十九里浜の不動堂村(現九十九里町)において試験栽培し、1735年栽培を確認。1737年に栽培に成功。 昆陽は「甘藷記」というパンフレットを作ってサツマイモの現物ともに諸国に配り、以後関東地方でも広く栽培されるようになります

その後、サツマイモは東日本にも広く普及するようになる。

幕末から明治期には川越の赤沢仁兵衛が実験・研究しまとめた「赤沢式甘藷栽培法」によって収穫量が劇的に増加する。

各地にサツマイモの伝来の逸話がある。→ 愛媛県大三島では1711年にサツマイモを伝えその後の飢饉を救った下見吉十郎を顕彰した「いも地蔵」など。
サツマイモは栽培しやすいことから、太平洋戦争後の食糧難の時期にも、国民の食を支えてきた。しかしながら、食糧事情が良くなるに従って、次第に果樹等に置き換わり、サツマイモはあまり顧みられなくなった。一方、品種改良によって甘みを増した事から、むしろ飢饉食・主食の代替というより、おやつ、お菓子の原料とみなされるようになった。
近年、健康食品や、いも焼酎の原料として注目されている。

このように、サツマイモは飢饉時に多くの人を飢えから救ってきた。

でんぷんが豊富。またビタミンCや食物繊維を多く含み、便秘やダイエットに効き目があるとして、人気がある。加熱してもビタミンCが壊れにくい特長がある。

60℃程度で長時間加熱すると、デンプンを糖化する酵素が働いて甘味が増す。石焼き芋やふかし芋はこの性質により甘味を最大限引き出す調理法である。また天ぷら、スイートポテトや大学イモ、キントン、スナック菓子、干し芋などに加工されることが多い。若い茎と葉も煮れば食用となり、朝鮮半島ではナムルの材料とする。生のまま日光に晒しておくことにより、より甘味度が増す。灰汁が多いので、切ったらすぐに水に晒す。

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それ↑同感です。ご立派!
これから、応援させてもらいます。

2008/5/13(火) 午後 1:45 [ ジュリア♪ ]

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