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ちょい機会があって↑百人一首について調べてみた。ナニを調べたか、というと系 図です。ご存知のように百人一首(ココでは小倉百人一首)には「親子」関係な作 者が多いんです。 有名な例では・・・()内は歌順 藤原公任(55)→藤原定頼(65) 和泉式部(56)→小式部内侍(60) 紫式部(57)→大弐三位(58) 藤原俊成(83)→藤原定家(97)・・・コイツガエランダノガオグラヒャクニンイッシュ 他にも腐る程アルプス山脈 ヤマホドアルッテコトデスヨ オクサン で、中学校くらいに習ったと思うけど↑百人一首は上代(大昔)から今(選者の定 家の時代)までの「定家が選ぶベスト100」。概ね歌の番号が時代を顕してます。 ↑例では公任と和泉と紫は同世代の人で、並び順は概ね生年に比例してる。でも注 意しないとダメなのが「活躍した時期」と「期間」です。「花の色はうつりにけり な以下自粛」なので女性は繰り上がってるケースがある。 つまり若くして才能を開花させて大評判を呼んだ人が多い、ってコト。小式部内侍 の「大江山いく野の道の遠ければ・・・」は12〜14歳の作やとされてます。超 早熟の大天才。クワシクハカコキジデドゾ コノウタハギコウスイヲアツメタココンノゼッカヤトオモイマス あ、話題が明後日の方向へ・・・ッテコトデモトニモドシマス^^; 系図ですから独立してそうなヤツでも、よーく見ると連続してるのが居てます。例 えば↑の例から・・・ 藤原兼輔(27)→○→○→紫式部(57)→大弐三位(58) 兼輔は曾孫の代に繋がってるんです。更にややこしいケースとして・・・ 藤原忠平(26)→○→○→藤原公任(55)→藤原定頼(65)・・・嫡系 藤原忠平(26)→○→藤原伊尹(45)→藤原義孝(50)・・・傍系 ってな感じで枝分かれしてる場合もある。52番の藤原道信も忠平の曾孫、63番 の藤原道雅も忠平の6世孫、75番の藤原基俊は忠平の7世孫・・・ハァハァ こうやって百人一首の歌人系譜みたいなのを作っていくと、当然にしてハミゴ(仲 間ハズレ)が登場します。系譜が謎なヤツもハミゴ扱いね。72バンノ キイノキミ トカ で、そこで問題です。「誰と誰やと思いますか?」 17人も居てるんですよ、奥さん。暇潰しに探してみてください。
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文学歴史
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中チビ(高1)と話をしてたら「どうも噛み合わんなー」と思ったんです。その 時の話題ってのが「楽器」でした。楽器の歴史というか、そういう変態さんなコ トについて話をしてたんです。 と・こ・ろ・が・・・ですよ、奥さん。 どうも中チビは「ルネッサンス(復古主義)」についての知識が皆無なんです。 聞いてみると、中学校では習わなかった(厳密には試験に出る範囲外で華麗にス ルーパスされてたらしい)と言います。これには驚きましたね。もし「ルネッサ ンス」をパスすると、後の宗教革命や名誉革命もパスせざるをえなくなるから。 そうすると産業革命に至らないんです。 実際には産業革命は習ったそうですがね。つまり歴史を流れとして捉えるのでは なく、トピックとして教えてるみたい。前後の関係は無視して、その瞬間に起こ った事実だけを教える、ってコト。 現実に起こったコトだけに拘ると、そこに至る原因を考えなくなるからね。 歴史教育の最大の要点は「どうして○○が起こったのか」という「背景を洞察す るコト」やと信じてます。 以下余談ですから以下略。 産業革命に至る道筋をザザザっと流すと・・ ルネッサンス(キリスト教以前はどうやったん^^?運動)→反動改革(神さま 舐めたら殺すド運動)→宗教革命(なんでアホ教皇の言うコト聞かなアカンねん 運動)→反動改革(邪魔臭いヤツは焼き殺すド運動) ってな大まかな流れを踏まえてイギリスでは・・・ 清教徒革命(勝手に離婚してナニが悪いねん革命≒英国国教会誕生)→ピューリ タンの超お利巧さんジョン・ロック登場(欧米に於ける政教分離運動の創始者)→ 名誉革命(プロテスタントを舐めたら殺すド革命)→英本土統一作戦(グレート ブリテン登場)→議院内閣制(王様の権威がイマイチ)→植民地拡大(カトリッ クなスペインをフルボッコ)→アメリカ独立(欧州中に革命を大輸出)→ナポレ オンが大暴れ(フランスに輸出された革命が成功)→極貧時代到来 となったらから気合と根性の「産業革命」なんですよ、奥さん。 先進諸国と言われている国が「政教分離」をお約束にしてるのは何故か。逆にイ スラムな国で「政教一致」をやってるのは何故か。どうして共産圏は「宗教禁止」 やったのか。 その理由の一部というか殆どが↑の中に含まれてます。 産業革命だけを見ても判らんよね・・・orz
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九九ってあるんですが、実は「何時頃から存在するのか謎」なくらい古いんです。文 献上で確認できる最古のモノとしては970年に源憲為(みなもとノのりため)が著 した「口遊(くちずさみ、と読みます)」です。 ちなみに↑口遊には「いろは」に先行する「天地(あめつち)」と「大為爾(たゐに ≒たいに)ってな字母歌も収録されてます。貴族の子弟に向けて書いた「学習参考書」 のハシリなんですよ。 で、九九。 「九九」として収録されてる最も古いのが↑口遊なんですが、実際には万葉集にも使 われてます。例えば柿本人麻呂が詠んだ239番歌「狩路の小野に猪鹿こそは・・・ (かりじのおのにししこそは以下略)」ってのを万葉仮名では「狩路乃小野尓 十六 社者(但し、ここでの「狩」は当て字≒ユニコードなのでPC上では書けない)」。 ししこそは=十六社者、ね。しし=四四=十六、ってコトですよ、奥さん。 言葉遊びなのか、それとも詠んだ相手が長皇子(ながノみこ、天武帝の皇子)なので 控えた(仏教の関係から猪鹿狩を穢れと見た)のか謎ですが、こういう使われ方は万 葉集に頻繁に登場します。オオトモノヤカモチ ニモアリマス 万葉仮名の最初期にも登場するので「九九」が伝播したのは6世紀以前かも、ですね。 この辺りを解明して、証明(は無理やと思うけど、キチンとした論証が)できたら一 生喰うていけると思います。 ・・・ってなコトを学者志向のボンクラお嬢ちゃんに言うてみた、ってハナシです^^; 学問で食べていくにはニッチな道へ特攻しないと食べていけないからね・・・orz で、以下余談ですから以下略。 9ってな数字は7の次くらいに不思議なんです。9の秘密を知ると暗算が超得意にな ります。金貸し関係な人には必須のテクニックです。アホは検算で無駄な時間を喰う て残業せなアカン^^; 例えば「9の倍数の各位の数字の和は9の倍数」やったりするんです。 18→1+8=9 2889→9×321→2+8+8+9=27→2+7=9 この性質を応用したのが「九去法(きゅうきょほう)」です。ちょっとややこしい定 義ですが、さすがのWikiも日本語になってないので気合で書き直すと・・・ 「計算結果を9で割った時の余りは、計算前の各数字の各位を9で割った余りを加減 乗除した数字を9で割った値に等しい」ナンノコオヤラ・・・ニホンゴッテバムズカシイT^T 125+391=516 1+2+5=8と3+9+1=13→1+3=4を「足して」9の余りを求める。 8+4=12→1+2=3 5+1+6=12→1+2=3 3と3なので125+391=516は正解。 掛け算も同じで・・・ 125×391=48875 1+2+5=8と3+9+1=13→1+3=4を「掛けて」9の余りを求める。 8×4=32→3+2=5 4+8+8+7+5=32→3+2=5 5と5なので125×391=48875は正解。 マトメとして・・・ A+B=Cなので(A+B)÷9の余りはC÷9の余りは等しい。
A×B=Cなので以下略。割り算も引き算も以下略。 |
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しせい、と読んで頂いても結構ですけど「うじ・かばね」と読んで頂くと嬉しいかも。 で、先日、大チビ(大2)のお友達がお泊りにきたんです。コンパやってたら大阪ま でしか辿りつけんかったみたい。京都行きの終電がタッチの差で・・・orz アルアルT^T 翌朝・・・ 大「この子の名前、マンガみたいなんやで」ナマエキクタビニハラカカエルワ ダレモホンキニセーヘンデ 友「○○△△って言います。よく↑言われるんです」センゾダイダイノミョウジデスケド 私「閑院流やな^^;」レキシノキョウカショニデテクルヨネ 友「分家なんですけどね」マニアデスネ コクブンヤッテハッタンデスカ 私「マジですか・・・」イヤ ジョーダンデイウテミタダケ 気の毒やけど、誰もホンキにしない苗字と名前でした。親御さんも、もうちょっと考 えないとね。結婚して姓が変るから、ってのもあったとは思うんやけど、当事でもマ ンガチックやったハズ(ってか、今ならギャグ系のマンガにしか^^;)。 聞いてみると、やはり、子供の頃から名前で苦労したらしい。今でも↑苦労してるし。 で、以下余談ですから以下略。 閑院流ってのは藤原北家の支流な一族を指します。「この世をば・・・」と歌ったと される藤原道長の時代から続く名門中の名門(ほぼ五摂家に次ぐ家格)です。道長の 伯父で、右大臣やった藤原公季(きんすえ)が家祖。シッテルヒトハミナサンシッテルハズ 公季が住んでた家が「閑院」って呼ばれてたので、周囲から「閑院大臣」って渾名さ れてたんです。当事のエライさんは、ほぼ全員が藤原さんやったので、こういうケー スは非常に多いです。 近衛文麿で有名な近衛家(摂家)は「近衛大路に住んでた」からで、明治維新前後に 活躍した三条実美(清華家≒閑院流の嫡系)の三条家は「三条に住んでた」から。も ちろん「家祖に当る人が」ですけどね。 で、更に余談。 公季って人は北家隆盛の礎を築いた藤原冬継(公季の祖父)の継嗣やった、という説 もあります。↑冬継の邸宅やった「閑院」を譲り受けてるから、ってのが論拠の1つ で、加えて(最晩年ではあるけど)太政大臣にまで上り詰めてるから。 道長も太政大臣になったのは最晩年で、外孫に当る後一条帝の「成人式」を主導する 為です。道長ってば権力者ではあったけど、果たして真の「氏の長者」やったかどう かは謎。元々が連立政権的な色合いが強いからね。ナゾガオオインデス クワシクハカコキジサンショウ 太政大臣≒氏の長者(うじのかばね)ってな図式があるから、リリーフやったとして も「公季には、それだけの背景があった」と看做すんです。更に孫の公成に至っては 「道長家が摂関家というのはおかしい。オレこそが以下略」と主張して大政争を巻き 起こした。クワシクハカコキジサンショウ この時は源俊明に諌められてアレしたんやけど、「しゃーないな」ってんで、公成の 息子たちが清華家(せいがけ≒三条+西園寺+徳大寺≒閑院流の本家筋)を形成した コトも「本来の冬嗣の継嗣は公季やったけど、若輩やったので以下略」ってな説を補 強してます。後白河法皇の寵臣やったから、ってな反論もあるけどね。 後に今出川も加わって4家になるんやけど、摂関家以外で太政大臣になれるのはココ だけ。言うてみたら歴史的にクセモノの家系なんよね。 ウダウダ書いたけど、纏めてみると清華家を除く公季の子孫の家を指して↑閑院流ね。 で、私も堂上家(どうじょうけ≒天皇に謁見できる家格を持つ公家の総称)なお友達
は居てますけど↑そんなにマンガチックな名前ではなかったです。娘も普通のありふ れた名前です。でないと↑悲劇が待ってるのは確実ですからね・・・orz |
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「ら、らぁー」の歌声が聞こえてチョイ覚醒しつつある、たんぽぽタソ(小5)が 夜遅くにいきなり電話してきて・・・ た「いろはって和歌やったん知ってた^^?」57577ノアレヤデ シッテタ^^? 私「和歌と違うで、アレは今様って言うんや」75757575ナ 75ガ4カイ た「イマヨウってナンなん・・・orz」セッカクオシエタッタノニ ナンデソンナンイウンT^T 暇潰しに勉強しよるからね、たんぽぽタソは・・・orz なんか凄いコトになってき てるんですよ、奥さん。下手したら「お勉強特化型強化人間」になりそうな悪寒。 たんぽぽママが「お受験」したからやろね。モロに影響受けてる。ちょい思い込み の激しい子やからね。ナントカキョウセイシテフツウノコニシナイトT^T で、いろは。 手習い歌としては最も有名ですね。他にもあるんやけど、大概はコレです。成立年 代は謎なんやけど↑いろは歌の形式が「今様(いまよう)」なので、平安末期頃で はないか、と疑われてます。文献学上では970年以降1079年以前というのが 通説。クワシクハWikiデドゾ で、今様。 和歌と違って75757575です。7+5が4回ね。 当事の最新流行歌です。清少納言の枕草子でも261段に記述があります。 「今様歌は長うてくせついたり」≒今様は歌が長くて節回しも独特やね。ヲカシスギ 紫式部も式部日記の中で触れてたりする。宿直(とのい、と読んでね)の役人が暇 潰しに「読経(どきょう)あらそひ」してて、その時に今様が歌われてました、って 書いてる。寛弘5年(1008年)8月のコトやから、今から1002年前ですね。 で、今様以前に既に宮中に定着してたのが神楽歌(かぐらうた)や催馬楽(さいば ら)です。この進化系として風俗歌(ふうぞくうた)がありました。↑枕草子では 「歌は風俗」と同じ261段の文頭に書かれてます。この頃(1010年前後)までは 風俗歌が最新流行で、その先鋭化したモノが今様やったみたい。 ポップスからラップへの流れに近いように思うんやけどね。 で、この今様を極めたというか、大作詞家にして超特大級の歌手やったのが後白河 法皇です。摂関政治の息の根を止めた人で、院政を開始した人やね。ついでに保元 の乱と平治の乱を引き起こして武家の勃興と平家の台頭を呼んだ人でもある。 和歌は超下手糞やったらしいね、後白河帝ってば。 それで今様に萌え倒したみたい。殆どは散逸してるけど「梁塵秘抄」ってな伝説の 著作を残しました。これのお陰で今でも当事の今様の具体像を知るコトができるん です。文学史上にも非常に大きな足跡を刻んでます。ホンマニキヨウナオッサンヤデ^^; いろは歌ってば、こういう流れの中で出来たんですよ、奥さん。
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