|
1975(昭和50)年5月9日 11:10 5787レ 59609 幌内線 三笠−幌内 幌内線は岩見沢ー三笠−幾春別間と,もうひとつ,三笠ー幌内の幌内支線の2系統があった。支線はキューロクがホッパー車を牽いて,両駅のあいだを日に8往復していた。 5月は,三笠駅構内のいたるところにタンポポが咲いていた。 9月に訪れたときには,幌内駅はいま考えると,ウスバカゲロウである。河原におびただしい群飛が見られた。 30年前のことは忘れたことが多い。(ついこのあいだまで記憶にあったのだけれど)三笠から幌内駅までの移動に何を利用したのか覚えていないのである。 両駅間は2.7キロメートルしかないので,おそらく歩いたのであろう。カメラのほかに,重い録音機とペアのダイナミックマイクを手にさげて・・・。 きょうの画像のデータをすらすら入力できたのは,ノートを引きちぎって書いた遠征の2泊3日の行動予定表があったからである。 それによると,北海道に渡るときは青森発0:35の青函連絡船1便で,函館発4:45の1Dレ「おおぞら1号」に乗り継いだことがわかった。 北海道の食堂車はビールをオーダーすると,最初の一杯だけだが,ウエトレスのお嬢さんがグラスについでくれるのがうれしかった。
列車の前を放牧の牛が懸命に走っているので,「おおぞら」が徐行を余儀なくされるのも,北海道らしいハプニングだった。 |
蒸気機関車
[ リスト | 詳細 ]
日常普通に運転されていた頃の蒸気機関車の姿
|
「また,走りたい・・」 C57 180 号機の最終配属区は,どこの機関区だったでしょうか。 たぶん坂町機関区で撮影した画像なのですが,データは何も残っていま せん。と,威張ることはないのですが。 火を落として,休車中か,廃車待ち。 しかし,雪の坂町機関区を訪ねた記憶がないのです。遠い昔のことです。 忘れてしまいました。 このネガは雪の季節に,などといっているうちに,春が来て。きょうは,お彼岸の入りですね。
|
|
奥羽本線で見かけたC57です。 山形県・大石田町は尾花沢市に隣接し,最上川がゆったり流れています。 雪が多いところでもあります。 大石田駅。駅員が雪の始末に汗を流しているかたわらを,C57が発車して ゆきます。 客車は蒸気機関車から蒸気をひいて,暖房していました。客車の周辺に 漂っている湯気は,暖房のそれですね。この湯気は,独特の暖かそうな においがしたものです。 撮影・1968(昭和43)年2月7日 奥羽本線 大石田
|
|
ボイラーの焚き口から投炭している機関助士です。 蒸気機関車は,待機中でも石炭を燃やす火室を整える作業がありました。 ときどき石炭を投炭して,勢いがいい燃えさし(火床・ひどこ)を保存しておくのです。火室の中の燃えさしの石炭の重なりをを火床と呼びます。 停車中に石炭をどんどん燃やすのは大きなエネルギーのムダですが,燃えさしが少なくてもいけません。 火床の層が薄いと,発車のとき,蒸気の吐き出しで,強烈な空気が焚口から吸い込まれますが,そのとき燃えている石炭も空気と一緒にさらわれてしまうことがあるのです。 そうしたら火室は空っぽ。蒸気は上がりません。 もしそんなことが起きたら,たいへんです。走れませんね。 ですから,機関助士の仕事は,停車中でもたくさんあるのです。 撮影 1975(昭和50)年5月16日 室蘭本線・岩見沢機関区
|
|
1972(昭和47)年,羽越本線で出会いました門デフ型のD51です。 羽越本線が交流電化され,坂町,酒田ほかの機関区に活躍いていた蒸気機 関車が,全機廃車になったのは1972年の10月だったようです。 カマ(蒸気機関車)が車検切れ近くなりますと,点検整備はせずに,よその 機関区の,整備期限が残っているカマを転属させて使う。国鉄は,そのよ うにして整備費の経費節減を図っていました。 まもなく淘汰されてゆく蒸気機関車です。当たり前な方法でしょう。 ちなみに蒸気機関車の点検整備は当時で,確認したわけではありません が,1回150万円ほどかかるといわれておりました。 門デフといいますのは,排煙板(ディフレクター)が,競走馬の目隠しの ような形に改造したもので,門司機関区に多かったので門鉄型デフ,また は門デフと呼ばれていました。 このカマもそのような経緯があって,ふるさと九州を離れて東北にやって きた1両なのでしょう。 羽越本線・三瀬−羽前水沢 1972年6月14日 ★2008-02-25(月) ゲストのご指摘で,記述に誤りがあることがわかりま したので訂正いたします。 1)タイトルと記事の中で「門デフ」「門鉄型」と書いている箇所は 「長工デフ」「長野工場型」と読み替えてくださいますようお願いい たします。 2)したがいまして九州から転属になったのであろうという推察してい
ますくだりは抹消いたします。 |


