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キハ40が配備されたときをきっかけにして、五能線の風景はかわった。 それまでは20系などの小ぶりな車両がトコトコ走っていたのだから。 風合瀬,驫木など、駅周辺の、残されていたさいはての風景の、哀愁はその ままだったが。 「しらかみ」「青池編成」など観光客をターゲットにしたビュートレインが 走るようになり、五能線の名ははようやく知れわたり、スニーカーの客で にぎわっているのは、よろこばしいことである。 「五能線」という歌謡曲がある。あの歌手は私は好きだが、おもいいれ たっぷりに歌っているわりには津軽の情景が浮かんでこないのはなぜであろう。 撮影・キハ40が五能線にデビューした年の5月 驫木駅-風合瀬駅間
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D51が曳くのはいつも1,000トンです。 ですから、まともに発進しようとして加減レバーを引いても、機関車の動輪が 空転するばかりで、2軸なら40両、4軸ボギー貨車なら20両、連結の列車は動き 出しません。発進するとき機関士はまず、そろそろとバックして、連結器の遊び を押し縮めます。こうしますと連結器には前進に対して遊び(わずかなすきま) ができるのです。 最後尾までの連結器の遊びは極わずかですが、これがものをいいます。 発進です。鉄道用語に発進はないかもしれませんね。発車が正しいでしょう。機関 士は逆転器を回し前進モードにして加減レバーを静かに引きます。 貨車は前から1両ずつかたんかたんと順序良く曳き出され、荷重が分散されま すので動輪が空転することもなく発車することができるのです。 北海道は平坦線が多いので、走り出した列車は惰性でしばらく走ることができます。 その間に機関助手は、発車のとき使い果たしたボイラーの水を補給し、石炭をたきぐ ちから投炭して火力を強くし、大急ぎで蒸気を作らなければなりません。機関助手の 仕事はとても忙しくきびしかったということです。 これはものの本からの私の受け売りでございます。 画像は1982(昭和50)年9月 幌内線・三笠です
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「ひばり」「はつかり」全盛時代の、これまたたくさんありました電車急行です。 さいきん天井裏ではっけんしましたネガですが、おそらく昭和56年4月改正の 時刻表にあります急行群のひとつでしょう。 このころの急行設定の特徴は県内の僻地から単機で中継駅に結集しました急行は 併結を繰り返し、官庁や商社の執務時間にあわせて県庁所在地に到着するように 配慮されていたように思います。
撮影 1982(昭和57)年ごろ
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EH500の新しい仲間、63号機が落成。3月29日の3081レで、仙台総 合鉄道部に回送されました。画像の3,4両目、パンタをあげてないのが、そ れです。 もうすでにご覧になった方多いと思います。 このあとのコマがいちばんの見せどころのはずでしたが、63のナンバプレー トはゲットできませんでした。 撮影 09年3月29日 東北本線南福島−福島 須川鉄道橋 |
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1975年ごろの東北本線の電気機関車。ED71。 ED75の先代にあたります。 ネガを天井裏で見つけました。 長い間、留守をいたしまして、相すみません。 お訪ねくださった皆様、ありがとうございました。
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