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桃山時代の一重口水差しは、特に瀬戸、信楽、備前にあるようで、矢筈口に先立つ形として存在しているようです。初めは見立てとして使われていたものが、茶道具として作られるようになり、さらに形に変化がもたらされ、矢筈口が生まれてきたようです。志野の発生期が、信楽、備前の矢筈口の制作時期と重なる為、その前の一重口の形は存在しないというのが定説のようです。
確かに伝世の志野水差し、陶片を調べても、少し崩された形の矢筈口の形しか無いようです。陶片でもどこかにあればと思うのですが、もしそれに類似するような情報があれば教えて下さい。
図柄に関しては重ね円、桧垣文はよくある構図です。一つのヒントとして考えているのが、徳川美術館のタケノコ紋の茶碗(銘玉川)です。
牟田洞窯の作で荒川豊蔵が同じような陶片を見つけた事から、志野が美濃の産と分かったという有名なお茶碗です。
牟田洞窯の陶片です。国宝の卯の花がきの茶碗もここの産です。
紹介した水差しも、もし桃山時代の産であれば、ここの牟田洞窯の産ではないかと考えています。比較した陶片も確か牟田洞窯のものではないかと思います。
筒型の端正な茶碗と少し崩した沓形に近い形の茶碗が同じ時代に存在するという事は、水差しもほんのわずかではありますが、一重口の水差しが遊び心で作られたのではないか。
仮説ではありますが、そんなことを思いめぐらせています。
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