古陶磁コレクション

長年収集した古陶磁を中心に載せてみます

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志野一重口水差し5

桃山時代の一重口水差しは、特に瀬戸、信楽、備前にあるようで、矢筈口に先立つ形として存在しているようです。初めは見立てとして使われていたものが、茶道具として作られるようになり、さらに形に変化がもたらされ、矢筈口が生まれてきたようです。志野の発生期が、信楽、備前の矢筈口の制作時期と重なる為、その前の一重口の形は存在しないというのが定説のようです。

確かに伝世の志野水差し、陶片を調べても、少し崩された形の矢筈口の形しか無いようです。陶片でもどこかにあればと思うのですが、もしそれに類似するような情報があれば教えて下さい。

図柄に関しては重ね円、桧垣文はよくある構図です。一つのヒントとして考えているのが、徳川美術館のタケノコ紋の茶碗(銘玉川)です。

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牟田洞窯の作で荒川豊蔵が同じような陶片を見つけた事から、志野が美濃の産と分かったという有名なお茶碗です。

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牟田洞窯の陶片です。国宝の卯の花がきの茶碗もここの産です。

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紹介した水差しも、もし桃山時代の産であれば、ここの牟田洞窯の産ではないかと考えています。比較した陶片も確か牟田洞窯のものではないかと思います。

筒型の端正な茶碗と少し崩した沓形に近い形の茶碗が同じ時代に存在するという事は、水差しもほんのわずかではありますが、一重口の水差しが遊び心で作られたのではないか。

仮説ではありますが、そんなことを思いめぐらせています。


志野一重口水差し4

素直にとれば桃山時代の作となりますが、学術的には志野には一重口水差しは存在しないことになっています。
桃山時代の陶片との比較、拡大写真を載せてみます。

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志野一重口水差し3

素直に箱書きを信じるなら細川三斉が生きていた桃山時代の作ということになりますが、この世界仕組んであることも多々あります。
箱書きも後世の作り事で、それらしく仕込んであるというものです。それはともあれ、江戸後期までは確実にありそうです。
もう一つこの水差しには漆の蓋があります。

イメージ 1

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この色具合、感じからほどほどの時代がありそうです。蓋のつまみ部分が色が変わっているのは、補修された痕だと思います。水差しにぴったりと合っています。

志野一重口水差し2

この水差しには箱が有ります。
とても興味深い内容ですので画像に載せてみます。

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三斉公賜る 銘 釜の輪 水差
甲戌猛夏中旬 子飼細川家とあります。

三斉とは細川三斉の事で、釜の輪とは輪が二つある絵柄から銘を付けられたと思います。甲戌は江戸期であるなら、後期の1874年文化11年となります。子飼細川家とは細川家の一門で、刑部家とも呼ばれたとあります。

箱に関しては、どうも蓋と箱がしっくり合わさらないことから、箱に何か書かれていますが、意味が分からなく、合わせのような感じです。

その中に底に新聞紙が敷いてあり、熊本の新聞で昭和18年と有ります。戦時中になりますが、熊本に有ったことが解ります。桃山写しが作られたのは戦後が多いと思いますので、内容を信じれば1874年までは時代があることになります。


志野一重口水差し1

H=15cm
W=13.5cm

 かなり昔に買ったものですが、美濃に詳しい方でしたら、相手にしないものですので、安く買いました。
どうせ最近の写しであろうと思っていたのですが、案外もしかしたらという物です。

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