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いよいよ明日あさっては北陸本線100周年記念号の475系国鉄急行色が6連で走りますね!!
ヘッドマークも両日共に金沢から愛称を変えるという事で、最少で2愛称分の姿が見られますね♬ さて、楽しみですが当方は両日共に午前中は仕事なので仕事終わりからの出撃です^_^;汗 時間的にも明日は遠くても美川界隈からの倶利伽羅界隈への追っかけになるかな〜w 天気は両日共に良好のようです! さてさて、今回は久しぶりに懐かしい475系の姿でもすこし☆ ヘッドマークが745系統に毎日付いていた頃です。 1982年11月15日改正で廃止されるまで、サロ455組み込み10連で大阪〜金沢を米原経由で走っていました。 写真は、松任停泊から回送で送り込まれて一旦4番線に到着した姿です。 横の国鉄特急色は489系白山2号上野行き。 489の号札は11号車を差していますね☆ この後、東金沢側に一旦引き上げてから2番ホームに入線し、4004レ日本海4号の後続にて7時15分に発車していました。 明日の敦賀→金沢は、この急行ゆのくにになるのかな?! 次は急行立山です 特急、急行、快速の三種トリプル並びのシーンです♬ 左から9Mしらさぎ9号 中は503M立山3号 右が3350M快速 福井行き これは小松駅の夕方17時に見られたシーンで、富山行き急行立山3号が中2で退避して下本に特急しらさぎ9号が停車しそして道を譲ります。 上本には、しらさぎ到着と共に475系快速が入線して来てトリプル並びとなりました! ヘッドマークの『快速』表示も懐かしい姿です☆ 『立山』は残念ながら北陸新幹線の富山〜金沢シャトル便の列車愛称には採用されませんでしたが、明日の金沢→糸魚川区間で見れる機会があるかも?!ですね ついでに、今日の475急行色の姿です☆ サワウで休んでいましたzz 明日はA-19とこのA-13どちらが糸魚川方先頭に出るのかも楽しみのひとつですね☆ 遠征されるかたも地元のかたも楽しく撮影できる事を願うばかりです☆ 乗車組のかたは車内放送や走行音など楽しみですね♬ にて。 画像は写真撮りとiPhoneで撮る |
国鉄色・赤2色(475・413)
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こんにちは♪
ダイヤ改正も落ち着いたところで、、。 と、言っても全く沿線現場皆無状態続いてますが(^^;; このところ鉄活は仕事途中に松任工場の様子をチラ見するぐらいとか・・・。 ちょい前、久ぶりに50Dのデータを見ようとするも、とっくの間にバッテリー2つ共干からびてました!(笑 ここ最近『動くもの』をいつから撮ってないんか? て思い見てみると、年末年始の8003レ日本海をチラッと闇討ちしたぐらいで、陽上がりタイムの動態撮影となると、なんと11月から出撃していないといぅ(^^;;汗 天気の良い倶利伽羅や安楽寺にでも突然撮影に行ったら、皆さんから珍しい!や生きていたのですか! と、そろそろ言われそうだわf^_^;) 爆。。 そんなわけでー 今回は28年前のダイヤ改正前日のシーンです☆ でわ♪ 長らく走って来た475系統北陸急行の最後のシーンです。 1982年11月ダイヤ改正で、先に急行ゆのくにが廃止、急行立山が季節臨時化になり使用車種もムコの 583系へ変更。 最後に残っていたのが、この急行くずりゅうの一往復だけでした。 1982年でスデにヘッドマークは省略されて久しかったのですが、いくらなんでも475系統が最後の急行仕業運転日なのだから、急行ゆのくにの時のように(当書庫の前記事参照)、当然ハデにさよならヘッドマークで飾ると思いきや、サワウから入線して来たくずりゅうの姿は全くの普段姿でした(-。-; そこで急遽、当時のオトナ鉄なかたが、『イヤな予感がしてん!』と、一応持って来てたといぅ発泡スチロールとマジックで、急ごしらえの『さよなら急行くずりゅう号』ヘッドマークを製作!! 発車2分前までの条件で、駅長さんとウテシさんの許可を貰って、貫通扉と行き先サボ下に掲示しました! 確かガムテープは当時このホームにあった駅長事務室で借りていた記憶が(^^; そして、最後の急行仕業として発車寸前のシーンです。 クハ451-30先頭 金サワ 6連 最後の運転の先頭車は、クハ455でわ無く、元来から急行用として水カツ、仙セン、金サワで頑張って来た451/471系グループの、サワ車トップナンバーが充当され、今となれば何か意地を見たような気になります。 金沢鉄道管理局の責めての粋な計らいだったのか、運用上の偶然な巡りあわせだったのか真意は28年前の彼方ですが☆彡 (下) 発車寸前のクハ451-30の横顔を! お世話になったウテシさんは真っ直ぐ視線をシグナル方に注いでおられます。 ホームでは、今の金沢駅の『琴音』と全く違って騒がしいあの『 ジリジリ音』が鳴り響いています。 定員76名。 急行型が急行としての最後の発車でした。 愛称サボは行き先板と晩年に併記型になったとは言え、最後まで立派に急行くずりゅうと表示でした! 最終上り見送り隊はなんと僅か5,6人だけ! ヘッドマークも廃止されていたからかな・・・f^_^;) その後、このクハ451-30は近年まで普通電車として通勤通学客の足となり走り続けて、2010.9.29に運転操作機器類を使用停止され、サハ451-30と名前を変化させつつも、翌年2011.6.25付けで廃車されるまで大阪・名古屋地区〜北陸を駆け巡りました☆ クハ451-30→サハ451-30 1964.1.23 生まれ 川崎重工 【敦二】 →1964.9.1【金サワ】 1985.3.13 金沢駅にて。 画像は全て写真を写メる |
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現在は小康状態ですが、未明から雨アラレの大嵐でカミナリ
冬場の北陸にはカミナリが付きものなので珍しくはないのですが発生頻度がかなり多かったです。 午前7時頃には雹とアラレで道路が一瞬で真っ白にw R-8を走行中だったので、皆さん一斉にスローダウン&ポンピングブレーキングでした。 あーまた路面を気にする嫌な季節が来てしまぅw さて、今日は11月14日です。 ちょうど30年前の1982年の今日は、その翌日の上越新幹線開業を控えての大規模ダイヤ改正になるので、上越特急などは勿論、全国的にもこの11月14日で消えて行く列車が多い日でもありました。 今回はその上越特急『とき』『はくたか』のコンビにしようと思いましたが、この改正のもうひとつのテーマだった急行列車削減案。 その影響で消えて行ってしまった中のひとつで、475系急行『ゆのくに』の最後の日の姿です。 では☆ 最終金沢行 サワ475系 10連 (K.I 氏撮影) 『さようなら ゆのくに』 と、パラパラ式の正ヘッドマークの下にさらに特別ヘッドマークを取り付け、その周りにはレイのような物で飾り付けされています。 惜別ヘッドマークは国鉄職員さんによる手作りだと思われます☆ ピンがやや甘く文字が鮮明ではないので、ハッキリ読み取れないのがありますが、『ゆのくに』の下はローマ字でYUNOKUNI、その下におそらく昭和57.11.14と日付けらしき数字、さらにその下は複数の漢字で何か書いてありますが不鮮明でわかりません。 しかし、一番右の漢字が『駅』に見えないこともないので、おそらく文字数から推理すると、『日本国有鉄道 大阪駅』か『日本国有鉄道 金沢駅』のどちらかだったかもです。 この急行『ゆのくに』は次の日から特急『雷鳥』として発展的解消するのですが、これは表面上には特急に格上げによる廃止ででも、当時の国鉄は慢性的に膨大な赤字続きの状態で、この年の夏には政府から『国鉄非常事態宣言』なるものを言い渡され社会問題にも・・・。 そこで苦肉の策として、急行を廃止し少しでも運賃収入を得るための特急化。 他には国鉄職員の大幅削減。 そう言うオトナな事情も裏隠れがあったダイヤ改正による犠牲列車でもありました。 しかし、この手作りヘッドマークには国鉄職員さんの列車に対する愛情が現れていますね☆ さて、この日は日曜日だったのですが、当方なぜか駅撮りさえも行ってないようで、写真はおろかこの日の記憶さえありません(^^;;滝汗 他には489系はくたかも最後の運転日だと言うのに! なぜなんだ(・_・;?? 不思議な事にその前日の土曜日の駅撮り写真はあるんですが-_-b 何か家族的な行事で金沢に居なかったのかも?? なので、この写真は当時の鉄師匠のおひとりに頂きました^^; かなり余談ですが、この前月にCXからタモリ氏司会進行の『笑っていいとも!』が始まりました♪ ついでに、違う日ですがゆのくにサボです☆ 大阪行き この当時の大阪便475系急行電車は他に急行『立山』がありましたが、それは湖西線経由で、この『ゆのくに』は米原経由と別ルートで運転していました。 ですので誤乗車防止の意図もあって、『ゆのくに』の行き先サボの方はエメラルドグリーンに塗られた板でした☆ 板持ちもサワウで、エメラルド板の標記は懐かしい◯金 サワウシです☆ 次回は、フツー時の『ゆのくに』でも♪? 画像は全て写真を写メる |
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こんにちは♪
今日は少し肌寒い感じで、秋らし日です。 さて、先日の敦賀機関区の一般公開で展示された国鉄色A-19編成でしたが、残念ながら検修庫の中でのお披露目w ヘッドマークは2006年のリバイバルくずりゅう時の直江津方面側に取り付けていた大型(レプリカ)物をチョイスでした☆ ん〜しかし、わざわざ回送までしてなぜ外で展示されなかったのかw 少しもったいないですね-_-b そんな状況に某氏達から野村元監督ばりのボヤキが聞こえてきましたので^^; 今回はまだ475系統がバリバリ(死語)に関西と北陸を急行として走っていた頃の姿で、立山号のヘッドマークと行き先サボです♪ では☆ 502Mと書くと、583系『きたぐに』みたいですが、この当時のきたぐに号は501レ,502レで、まだ12系+10系寝台のPCな頃。 列車番号501M〜506Mは立山の伝統でした☆ ヘッドマークは、日めくり式とも呼ばれたパラパラと左右にまくる方式で、この当時には、立山の他にゆのくに、くずりゅう、快速、白地(普通)が内臓されていました。 ☆行き先サボ☆ サロ455 上と同じ立山2号ですが、サボの表示にあるように、糸魚川〜富山は快速の3422Mとして走り、富山から502Mに変化させ急行立山2号として大阪を目指しました☆ そのままサロも糸魚川から付いてるので、富山駅到着時点で、愛称サボの『急行 指定席』にひっくり返しました。 もちろんヘッドマークは、パラパラ式を発揮させて、快速から立山に変えます☆ 上の2枚は、475系定期立山が廃止される2日前の姿なのですが、この次の日の立山4号(昼行)と6号(夜行)の上り2本が、ダイヤ改正への移行編成になり475系10連から489系12連に系統運用変更(金沢からリレー方式)となって、実質475系の立山は上りではこの次の日の2号がラストシーンになりました。 ちなみにその489系の立山4号と6号代走時はボンネットで、ヘッドマーク無し、横幕白地、サボ受けには『急行 立山 大阪行』と手書きで表示されていました☆ 金沢駅上本(1番ホーム)から出発して行く502M立山2号☆ お隣は中線で貨物入れ替えをしている雑貨編成。 茶色のオトキが酔い味ですね☆ ちなみにトキは27255番。 駅長さんか助役さんが出発列車を見送るシーンは良いですね♪ 現在は見られなくなりました。 行き先サボ 501M 急行立山1号 富山地鉄乗り入れ運転時に出現する『宇奈月サボ』で、行楽シーズンのみ季節臨時運転でした。 富山駅で、先頭3両を切り離し単独で地鉄に入りました。 宇奈月温泉駅行きと、立山駅行きとの2系統でした。 この『立山』の国鉄急行色が富山地鉄を走る姿を見てみたかったです☆ 消滅してしまった国鉄色A-16がまだいた時に、リバイバル立山orゆのくにを実現できなかったのが残念でした^^; 1982.11.13 (下) 1982.11.3 全て金沢駅にて。 画像は全て写真を写メる |
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今回は、475系の車両単体塗装変更後の姿で、1編成3両丸ごとの赤2塗装変更化後の姿です♪ 写真を撮った時期は、1編成分の塗装変更を終えた車両がまだ数編成しか出始めてなかったので、赤+赤の6連はまだまだ見られませんでした☆ 言わば塗装変更過渡期の中期に当たります。 前回1をお読みになられていない方は、この書庫の前記事からどぅぞ☆ では、さっそく。 6両ともサボが入ってなく、黄ヘル隊が車内から数人出て来たので、国鉄色を伴車にし福井方面への試運転の帰りだと思います☆ 時期的にこの赤3両編成が単体ではなく、丸ごと塗装変更をした初めての編成になるかと思います。 国鉄色の先頭車はクモハ471−3(現=クモハ413−7)、赤サハはサハ455−4 ちなみに右側の485系編成とは連結されていません☆ 手前からクモハ475−16+モハ474−16+サハ455−6+国鉄色編成で倶利伽羅駅を出発し津幡に向かう後ろ姿を☆ このサハ455−6は413系化改造で不足になった先頭車用にと、ユニット改造されクハ455−702となっているのですが、メモのサハ番が正しければ一度赤2になってから3年後にクハへ改造された事になります☆ スキャンしたらリアが切れましたが、後ろの編成の赤クハも『小目玉』ライトでした☆ 現在のココは高架になってしまっています。 赤編成の車番は不明です。 逆光のなかでも白い太めなラインは目立ちます☆ 以上、475系統の赤2国鉄色への渡過期でした。 次回のこの書庫は、413系車体更新化改造の落成直後の姿デス♪ �1985.5.19
サワウ �1985.6.2 国鉄倶利伽羅駅 �1985.8.29 金沢〜西金沢 �1985.11.4 美川〜小舞子 |




