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腐りきって穴ぼこだらけのどうしようもない人間社会にあって、そのあまりに大きすぎる空白をどうにかして埋めようとする。埋めようがないならそれは仕方がない。ただ、埋めようとする努力だけは続けなければいけない。変わり映えのしない世の中では、その主流から離れた努力があまりに無価値に見えるがために、ただそう見えると言うだけで、外見上意味のない事をし続ける人間は馬鹿にされる。かなわない崇高な努力はその時点で崇高ではなくて、目先にある利権を奪い合う努力の事が、社会で生きる上での基本的な知恵とされている。多くの人達がそこにしか努力の意味を見出さない。なぜなら彼らにとっての意味とは、自分たちの利益のタネを生み出そうとするところにしかないからであり、結局のところそれだけを頼りに人生を生き抜いてしまうからだ。人間の本質はそれとは違うところにある。しかし、誰もそれに気づいてない。 そうすると善悪を判別する価値観は、失われてしまったのだろうか。人間の本能的な倫理観や、信仰というものをそのよりどころにする人もいるだろうし、或いは僕という人間もそれに近いのかもしれないが、しかし、その個人的な意見として、所謂現代の宗教・思想というものは、どうも個人の欲望の為に悪用されやすい傾向にある様に思う。勿論、それが彼らの本質で無いのは間違いない。かつて人間を救うために教えが生まれて、其れを広めてきた人たちがいた。しかし、現代は欲望の時代。同じくらいかそれ以上、人間の素晴らしさを悪用しようとする人がおり、そして敬虔であったり善良であったりする人達が、その明確な扇動に騙される。そういう事があまりにまかり通りすぎてはいないか。僕は彼ら自身を軽蔑しないが、彼らを扇動するその人を軽蔑する。それは偏った考えだろうか。
いわゆる宗教や思想を、過大な欲望を達成する為の道具としか考えていない人達。そして、それを是とし、むしろ賢い生き方だと心の内に称賛する多くの人達。その主張がまかり通っているのを見ると、どうしても人間の倫理観の脆さを実感する。しかし、彼らに扇動されている多くの人達の内、善良とよべる努力は、何時か正当に評価されるものであってほしいと思う。大金持ちの教祖様や、宗教原理主義と称して「天国に行ける」と自爆テロや何やらをやっている人達を見ると、彼らがそれとは異なる人々より優れた者だとは、どうしても僕には思えない。何かを信じる信じないにかかわらず、倫理の本質に近い事をする人達。世の中の最後のところで、彼らの努力が評価される。そしていつか歴史その物が、彼らを評価する性質のものとなるべきだと思っている。不遜な考え方といえば、そうなるけれど。
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