後から決める。

当ブログの運営方針について、後日何らかの指針を示すつもりでいます。

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 腐りきって穴ぼこだらけのどうしようもない人間社会にあって、そのあまりに大きすぎる空白をどうにかして埋めようとする。埋めようがないならそれは仕方がない。ただ、埋めようとする努力だけは続けなければいけない。変わり映えのしない世の中では、その主流から離れた努力があまりに無価値に見えるがために、ただそう見えると言うだけで、外見上意味のない事をし続ける人間は馬鹿にされる。かなわない崇高な努力はその時点で崇高ではなくて、目先にある利権を奪い合う努力の事が、社会で生きる上での基本的な知恵とされている。多くの人達がそこにしか努力の意味を見出さない。なぜなら彼らにとっての意味とは、自分たちの利益のタネを生み出そうとするところにしかないからであり、結局のところそれだけを頼りに人生を生き抜いてしまうからだ。人間の本質はそれとは違うところにある。しかし、誰もそれに気づいてない。
 
 そうすると善悪を判別する価値観は、失われてしまったのだろうか。人間の本能的な倫理観や、信仰というものをそのよりどころにする人もいるだろうし、或いは僕という人間もそれに近いのかもしれないが、しかし、その個人的な意見として、所謂現代の宗教・思想というものは、どうも個人の欲望の為に悪用されやすい傾向にある様に思う。勿論、それが彼らの本質で無いのは間違いない。かつて人間を救うために教えが生まれて、其れを広めてきた人たちがいた。しかし、現代は欲望の時代。同じくらいかそれ以上、人間の素晴らしさを悪用しようとする人がおり、そして敬虔であったり善良であったりする人達が、その明確な扇動に騙される。そういう事があまりにまかり通りすぎてはいないか。僕は彼ら自身を軽蔑しないが、彼らを扇動するその人を軽蔑する。それは偏った考えだろうか。
 
 いわゆる宗教や思想を、過大な欲望を達成する為の道具としか考えていない人達。そして、それを是とし、むしろ賢い生き方だと心の内に称賛する多くの人達。その主張がまかり通っているのを見ると、どうしても人間の倫理観の脆さを実感する。しかし、彼らに扇動されている多くの人達の内、善良とよべる努力は、何時か正当に評価されるものであってほしいと思う。大金持ちの教祖様や、宗教原理主義と称して「天国に行ける」と自爆テロや何やらをやっている人達を見ると、彼らがそれとは異なる人々より優れた者だとは、どうしても僕には思えない。何かを信じる信じないにかかわらず、倫理の本質に近い事をする人達。世の中の最後のところで、彼らの努力が評価される。そしていつか歴史その物が、彼らを評価する性質のものとなるべきだと思っている。不遜な考え方といえば、そうなるけれど。

10000件達成!!

 
訪問者のみなさん、いつもコメント・ご訪問ありがとうございます。
おかげさまで「後から決める」は、何とか累計訪問者数一万件の大台に乗る事が出来ました!
 
 
元々二リーサー(面倒くさがり)な自分がここまでこれたのは、
学生という身分の都合上、もてあました時間を記事を書く時間に充てる事が出来たという事は元より、
時々意味不明な記事もあり、恐らく不愉快な気持ちにさせてしまった方もいたといたとは思うものの、
何といっても、それでも訪問して下さった方々の支えによるものだと実感しています。
 
 
このブログは、地理を一応の得意科目とする母校の性格上、
元々は、国際関係のニュースや新聞記事に一々ケチをつけるというスタイルでした。
・・正直、同世代には全くウケませんでした
 
 
それでもやがて、僕にとって、最初のブログ友達に当たるよこ八さんをはじめ、多くの方々との交流の中で、
当初意図した形とは違ったものの、少しずつブログの世界になじんでこれたと思っています。
 
中には色々と議論した事、ぶつかった事、僕から見て不可解なコメントに出会う様な事もありましたが、
そのほとんどは(一部例外を除いて)、結果的に僕という人間にとってプラスに働いたと思います。
 
本当にありがたかったと思っています
 
 
最近は、ご存じかもしれませんが、体調があまり良くないです。
しかし、それでも、来月からは学校が始まりますので・・・
何とかなるしかないかと、どちらかというと楽観しています。
 
いい加減なブログ経営ですみません。一万件の大台に達しても、それは数の上の事で、
実際にはこれからも続けて、ご迷惑かける事があるかと思います。
 
それでも、皆様方のご辛抱の許す限り
是非これからも「後から決める」を、よろしくお願いします

自分史観 −2−

 
 その内、負の力を信奉する文化が生まれた。例えば核には抑止力があり、双方の陣営が其れを持っている以上、にらみ合いの中で両方の陣営の安全が保たれると言う様な考え方だ。社会の不均衡が目立てば、共産主義勢力はその内部から盛んに攻撃をし、その結果、資本主義は微妙なバランスで修正され保たれる。やじろべえはぐらついても、軸が二つしかなく、それが互いに引っ張り合うので、倒れない。そういう安定感が資本主義世界を支配する一方、もう片方の世界は腐りかけていた。戦後半世紀たち、結果、腐りきった。共産主義陣営は崩壊し、資本主義の勝利が謳われた。結局、正しい方が勝ったのだと言うことになった。
 
 しかし、実際のところどうだろう。はたして正しい方が勝ったのだろうか? ただ単に弱い方が負けて、強かった方が勝っただけの話じゃないか。子供向けのアニメでは、正義が必ず勝つようになっていて、茶番と知っていながら子供はそれを見る。しかし、世の中が正義と悪の二つで大別される、その考え方が正しいにせよ、それは実のところ力差で成り立っている関係では無いわけで、正義が必ず勝つというのは、どうも誤りである様に思う。実際、競争主義社会で正義は勝てているのどうか。誰かによる目先の利益の奪い合いの為に、過労死や貧困に巻き込まれる他の誰かがいて、さらに地球環境まで破壊するその構図が、人類が進化の末に到達した理想郷なのか。その先はないのか。永久に続くのか。疑問は山積みだと思う。
 
 往時より資本主義が崩壊する可能性は、目先の事に限ってのみいえば、減った。共産主義国が無いために、共産化の心配が減ったからだ。しかし、ソ連型の共産主義が負けたという事実が、資本主義が勝利したという結論に必ずしも直結しない。資本主義の抱える様々な問題は、曖昧にされたままその先の時代に受け継がれてしまった。21世紀、グローバルな競争が始まる。たった一つの世界、一つの正義になってしまった資本主義の元で、独善、搾取としか言いようがない現状がある。負の力によるメカニズムが崩壊した後、新たな負の力が蔓延し、対立のなくなった世界は、より多くの対立を生む。戦争の危険性もなくならない。蓄積された社会の不満のはけ口としての戦争の効果は、依然として有効だからだ。冷戦中ならそれが、左傾化の方向に向かった。今はその道が閉ざされた様に見えるために、全く逆の方向に行きかねない。実際、世界はそうなりつつあるのではないか。
 
 今、その潮流を必死であおる人達がいる。或いは、人類自体が、それを志向する方向に向かっている。けれども、僕が思うに、資本主義は永続しない。世界において無限に膨張可能なのは人類の欲望だけで、戦争やメディアの力でどれだけそれをごまかしても、人類が競争の圧力に耐える力や、地球環境には何れ限界があるから。どこかで必ず終わりがやってくる。遠い未来の話だとは思わない。時代は混乱していて、ますます悪くなっていくように思えるが、しかし、人類は欲望だけの生き物ではなく、また、そうであるがために、資本主義以外の道は何時までもなくならない。膨張する資本主義の問題点、人類は何れそれを克服しなくてはいけない。克服する道を、残しておかなくてはいけない、その必要性。
 
INTERNET WACTHというサイトにおいて、駒澤大学准教授の山口浩氏など、複数の知識人から以下の様な指摘がなされている。
 


 
「 ブログ「H-Yamaguchi.net」を運営する山口氏は、自らのブログに寄せられたトラックバックの大半が「ボット」によって作成されたブログであったことを挙げ、ブログ検索サービスで収集するネット世論の信憑性に疑問を呈した。山口氏によれば、これらのボットブログは、ニュースを自動収集してリンク集のように仕立てられたもので、トラックバックを自動送信する機能があるという。
 
山口氏は、ボットブログの技術が政治の世界で悪用された場合、「ブログ検索サービスが収集するネット世論は、ボットブログの集積という恐れも出てくる」と指摘。検索結果のページの表示順の上位に自らのWebサイトが表示されるように工夫する「サーチエンジンオプティマイゼーション(SEO)」ならぬ、「ネット世論オプティマイゼーション」が導入されかねないとして警鐘を鳴らした。  
 
 この意見については、藤代氏と佐々木氏からも賛同する意見が寄せられた。「政党に好意的もしくは悪意的なブログをばらまくことは技術的に可能。ブログに書かれたキーワードだけを収集してネット世論を抽出するだけではボットブログを防げない。マスメディアが、この『ネット世論』に引っ張られて記事を書いてしまうこともあり得る」(藤代氏)。「検索エンジンの性能が低かった頃、何度検索してもポルノサイトが最上位に表示されることがあった。その対策方法と同じように、トラックバックの量ではなく質を判断するような集合知のレベルに行かざるを得なくなるだろう」(佐々木氏)。  」
 


 
 僕はあまり知られていないこういった記事を、一考に値すると言う風に思った。このボットと似た様な機能については、心当たりがあるブロガーは多いはずだ。実際ヤフーの様なブログサービスでは、どんなにブログの人気が落ち気味な時期でも、随時投稿を怠らなければ、必ずこの手のコメントやトラックバックだけはもらえる。そしてその大概は、アダルトサイトにリンクされた紋切り型のトラックバックやコメントが何回も張り付けられるという、あの中身のない胡散臭いものである。調べてみたところ、迷惑な事にコメント自動投稿ツールというものは実際に存在して、画像認証の機能がないヤフーブログにおいては、その機能は存分に発揮されている。ヤフーブログの世界ではアラシ的なブロガーも残念なことに存在するが、ある人曰く、その一部もこれを利用しているという。とにかく、このツールは嫌がらせか商業用・政治目的で悪用される可能性がある、というよりは、それ以外の使い道が、発想の貧弱な僕には見当もつかないのだけれど、探してみれば、インターネット上ではワンクリックで千件の同じコメントが可能! とうたっているソフト会社のサイトもあって、イライラする。もっとも、彼らにとっては千件に一件でも効果があれば、それだけで収入を得れるのだから、ぼろい商売だ。
 
 そして、勿論それらのツールは商業目的だけではなく、政治的な目的でも利用されているはずだ。しかし、僕はむしろ、それが危険である理由とは、それそのものの内容の偏りというよりは、現実世論とは違い、「彼らの数が現実世論における場合とは違い、多数である必要がない」という事にあると思う。なぜなら仮にその数が少なかろうが、単に資金さえあれば、彼らは先の様な手段や組織動員的な方法で、外見上のネット世論の多数派を容易に形成する事が出来る。そして、ネット上の論客に数多くみられる差別色の強い言論は、その内容の分かりやすさゆえに、ポルノサイトよろしく、ばらまけばばらまくほど効果が出るという様な側面があるのではないかと僕は考える。共産党宣言のコピーをばらまいたところで、普通誰もまともには読まない。先進的な見方から世の中の矛盾を批判すれば、其れは特に面白くもない普通の記事である。しかし、韓国や中国、政界のおもしろ情報と称して、政治的な動機を多分に含むボットをばらまけば、多くの人は好奇心からそれを読むだろうし、実際、ネット上ではそういった情報がかなり氾濫しているではないか。特に差別というのは、手っ取り早くて分かりやすい。難しい理論はいらず、○○人は△△人より劣っている、それだけでいいのだ。日本より治安が悪いとか、こんな事件が起きましたよとか、適当な補足を加えて。
 
 ネット世論は現実社会のそれと随分異なっている。そして、そのネット上で独自に育まれた言論には大衆誘導的な要素が強い。そこで、政治的な動機からそれを現実に置き換えたいと考える人達がいる。だが、僕には彼らの主張が特定の政党支持に加担しているように思え、その背景が気になって仕方がない。四コマ漫画の様な論理展開だが、実際そういう風に僕は考えるし、その点ネットの利用法というもの以前に、国の内部で社会的多数を占める、経済的に優位な側の人達というのが、僕には如何しても疑わしいものに思えてしまう。社会問題に対する言論と経済力の問題はそれぞれ異なっているように思えるけれど、その主張は外見上見えにくい形で繋がっている。ネット上で利権と結び付いた政党の支持が優位なのは、まさしくネットがそういった言論をあおりやすい性質をはらんでいるからではないか。革新政党についても無条件その主張を受け入れていい理由はないが、しかし、その世界において利権に近い保守政党の力が圧倒的である事は目に見えている。その背景にあるものを、常に疑っていたい。
 
 ヒトラーはただ純粋に、自分の思想を達成するためだけにユダヤ人を迫害したんだろうか。それはきっとそうなんだろう、と自問自答しながらも、考えこんでしまう時がある。ホロコーストと呼ばれる虐殺があまりに非人道的であったがために、その事を信じがたいという気持ちも勿論そうであるのだけれど、それ以上にその発想の根本としてあるのは、ユダヤ人の迫害という全国民的な愚行、それが、ドイツ民族を団結させナチスの旗がしらの元に集めるという意味で、とても大きな役割を果たしたのではないかという事だ。ヒトラーは確かにドイツ民族の至上主義を信じていた。だが、当時の主流な先進国民の一つだったドイツ人をあれほどの狂気に駆り立てるために、そのカリスマ性だけが大きな役割を果たしたとは信じられない。とにかくインパクトがあったから、という理由で国民的人気をはくす政権は現代日本にもあったけれど、幾ら時代が違うとはいえ、其れをああしたところまで持っていくのには、それ以上の理由が必要だったのではあるまいか。
 
 そういった意味で、大昔からのユダヤ人に対する差別意識を利用した国民世論の統一、その発想こそ、当時、ナチスが不況にあえぐドイツ人達の心を強く打った大きな理由だったのではないか。残念ながら差別主義というのは、何処の時代においても、一定程度存在している物だと思う。そして、当時のドイツの混沌とした国情を考えると、そうした状況で、多くの人達が毎日自問自答しながら暮らしていたはずだ。ドイツがこれほど衰えたのは、一体だれの責任だろうか。その責任を、だれに押し付ける事が出来るだろうか、と。そんな時代の中に現れたのが、悪いのはドイツ人ではなく、国が滅んだのはユダヤ人、問題があるのはユダヤ人、国を発展させるのにはその迫害。そういう単純で、根拠のない理論だったのではないだろうか。そして、ある国家主義者はその理論を利用し、一政権の基礎とするまでに成長させた。それがあのヒトラーという人だったのではないか。歴史的知識も何もない子供の発想なので、正しいかどうかは知らない。だが、根拠がない発想が独裁政権誕生にまで飛躍する事があり得るかというと、僕はあり得ると思う。大体、この世界で主流派である宗教にしても思想にしても、それには科学的な根拠がないといわれれば、それまでなのだし。
 
 ナチスドイツは元々あったユダヤ人への差別意識というのを、独裁的な国家権力の基盤を固めるコンクリート材として利用した。そして、もしそうだったのだとしたら、僕はもう一つその考え方を、極東のある国のネット世論の現状にまであてはめずにはいられない。近年往時ほどパッとしなくなったその国において、「2ちゃんねる」を中心としたネット提示版の多くでは、気にくわない発言をする人間は在日朝鮮人と決め付けていい、左派の政治家も在日朝鮮人、国を滅ぼすのは在日朝鮮人という、根拠が何処にあるのかさっぱり分からない暴論がまかり通っている。しかもそれが一部の世論ではなく、一見するとネット上の主流な世論であるかのようにさえ見れ、市場では嫌韓流なる差別マンガが大手を振ってまかり通っている。論理はないし、根拠もない。異論も大体においてない。強いて言うならその根拠は愛国心で、其れに反発する人間は売国奴だ非国民だと、思う存分叩かれる。この国のネットでは、そういう事が当然になっている。
 
 彼らの主張を危険だと感じる僕の様な立場の人間が、そういった現象を一部の数少ない右派の妄言であると決めつけるのは、非常に簡単な事ではある。何しろ、ネット世論と現実世論は、幸いにして別の国ほどの違いがあるし、現実社会で、「私の気にくわないあの政治家は実は在日だったのだ!根拠はネットで見つけた。」なんて事を自慢げで語る馬鹿な人は、僕が知る限りでは、今のところ四七都道府県中一都知事に限られている。そうした暴論に、大方の人間は同調しない。少なくとも、僕はそうであると信じている。そして、この国の主流な世論がそうで有り続ける限り、この国の主流派の国民と、在日朝鮮人の方々は、この国で当然の人権を行使し続ける事が出来るだろう。そうあり続けてほしい。真摯にそう思う。

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