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地元、沖縄の米軍基地問題について、個人的な意見です。沖縄への基地一極集中反対を、基本的な論調としています。
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日本の安全「沖縄犠牲も」 外交文書公開
 

2010年7月8日  http://ryukyushimpo.jp/themes/shinpo2008/images/b_entry.gif http://b.hatena.ne.jp/entry/image/http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-164683-storytopic-3.html http://ryukyushimpo.jp/themes/shinpo2008/images/delicious.med.gif http://ryukyushimpo.jp/themes/shinpo2008/images/ybm16.gif http://ryukyushimpo.jp/themes/shinpo2008/images/twitter_icon.gif http://tools.tweetbuzz.jp/imgcount?url=http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-164683-storytopic-3.html

 
【東京】沖縄返還交渉当時の1968年、外務省の情報分析部局が日本の安全保障をめぐり、「わが国自体の安全からいえば、沖縄の住民の犠牲においてでも従来どおりの米軍の沖縄保有が当面のぞましかった」との見解をまとめていたことが、7日に公開された外交文書で明らかになった。併せて返還後の沖縄の米軍基地の在り方には「沖縄の返還は基地の自由使用(核の持ち込みをも含めて)を前提として考えざるを得ない」と指摘していた。
 文書は、返還交渉が進む68年5月23日付で、外務省国際資料部調査課(現在の国際情報統制官組織)が「わが国の安全保障について」と題して作成した。本土の「捨て石」にされた沖縄戦の論理が戦後も生き続けていた実態を示すものだ。
 同文書では、前年に佐藤栄作首相が表明した非核三原則についても「三原則を守って核攻撃を受けない保証はゼロだ。純粋に抑止力という見地から言えば、独(西)の如(ごと)く自国に核を持ち込ませることが有効だというのがむしろ論理的結論だろう」と指摘し、沖縄への核搬入容認論も展開した。
 併せて公開された文書では、沖縄の基地の使用について米側が日本側に対し、軍事的必要性ではなく政治判断の必要性を指摘していたことも明らかになった。
 68年5月27日に外務省内で行われた「沖縄の地位に関する第一回日米継続協議」の場で、ジョンソン駐日米大使が三木武夫外相に対し、沖縄の核基地の是非をめぐり「軍事技術の問題ではなく、高度の政治判断の問題であり、政治的決定がなされた後、はじめて軍事技術的にそれをどう実施するかという問題が生ずるものだ」と指摘した。
 


 
 沖縄、特に極東最大級の規模を誇る米軍施設である嘉手納基地に、核兵器が配備されているのではないかという疑惑は、もう随分前からささやかれていたことだった。実際に、1958年の米軍統治下琉球列島における、台湾海峡危機時においては、広島型原爆の250倍とも言われる威力を持つ核兵器が、嘉手納基地に配備されていたことが既に明らかになっており、今回の外務省の資料ではそこまで明らかにはならなかったものの、沖縄に今なお核がある可能性は否定しがたいものだろう。そもそも非核三原則などといっても、憲法九条と同じく、沖縄において本当にそれが適応されているとは思えない。沖縄と日本本土との間の溝というのは、復帰後38年たった今なお、大きなものなのだ。
 
 さて、今回外務省の資料は、「わが国自体の安全からいえば、沖縄の住民の犠牲においてでも従来どおりの米軍の沖縄保有が当面のぞましかった」と主張している。はたして、沖縄だって我が国の一部であるはずなのだが、彼らの言う「わが国全体」とは、一体どの地域の事を指すのだろう。さしずめ、それは沖縄以外のすべての日本の地域、といったところではないだろうか。中学時代、あるクラスメイトは、日本本土と沖縄との間の感覚のずれについて、「沖縄は日本というより、アメリカの植民地みたいなものだから」と言っていたが、成程、沖縄の特性というのは、文化的、歴史的な意味以外でも、そのような側面があるのかもしれないと、今になって思わされる。一部の日本人にとっては、今なお沖縄は、我が国の領土ではないのだろう。
 
 戦後以来日本国には、戦争放棄や非核三原則といった国是のもとで、日米安保という体制に甘んじながら60年もの歳月を経過してきたという歴史がある。そして、その体制を維持するための負担を最も多く被ってきたのは、いつの時代にあっても、日本国全体の一部であるはずの沖縄だった。我が国全体の為に、我が国全体の為に・・・沖縄以外の、我が国全体の為に。その様な矛盾した体制は、はたして、いつごろ出来上がったのだろうか。そして、それはいつ頃になれば、終わりを迎えるのだろうか。いや、思い返せば、沖縄はもともと日本国ではなかったのだ。歴史の流れは、琉球国が消滅したその年から始まっていたのかもしれない。
 
 歴史の流れは、誰かが止める事をしないかぎり、その流れを止めようとしないだろう。我々の見えている、見えていないにかかわらず、歴史の光と闇の両部分は、未来の次世代へと受け継がれていく事になる。そうやって受け継がれてきたものを、大事に次世代へとつないでいくのか。それとも、我々の世代で断ち切るべき流れというものを読み解き、それに新しい風を吹き込もうとするのか。今回の外務省資料公開で、1879年から続く歴史の流れの一部が、万人の目から見ても鮮明なものになった。その明確な過去の歴史をどう扱うかについての決断は、今を生きる我々の手にかかっている。
 

「感謝」とは?

基地負担に「感謝」 菅首相所信表明 現実主義の外交強調
 

2010年6月12日  http://ryukyushimpo.jp/themes/shinpo2008/images/b_entry.gif http://b.hatena.ne.jp/entry/image/http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163402-storytopic-3.html http://ryukyushimpo.jp/themes/shinpo2008/images/ybm16.gif http://ryukyushimpo.jp/themes/shinpo2008/images/clip_16_16_w.gifhttp://image.clip.livedoor.com/counter/small/http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163402-storytopic-3.html http://ryukyushimpo.jp/themes/shinpo2008/images/delicious.med.gif http://ryukyushimpo.jp/themes/shinpo2008/images/twitter_icon.gif http://tools.tweetbuzz.jp/imgcount?url=http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163402-storytopic-3.html

 【東京】菅直人首相は11日、衆院本会議で就任後初となる所信表明演説を行い、米軍普天間飛行場返還・移設問題について、名護市辺野古への代替施設建設で合意した日米合意を踏まえる姿勢を重ねて強調した上で、沖縄の過重な基地負担に対し「感謝の念を深めることから始めたい」と表現した。23日の慰霊の日に来県することもあわせて表明した。沖縄の経済振興に関する言及はなかった。
 菅首相は「普天間基地の移設・返還と一部海兵隊のグアム移転は、何としても実現しなければならない。先月末の日米合意を踏まえつつ、同時に閣議決定でも強調されたように、沖縄の負担軽減に尽力する覚悟」と述べ、基地負担軽減に積極的に取り組む姿勢を示した。沖縄の地域性について「独自の文化をはぐくんできた、わが国が誇るべき地域」と表現した。

 外交方針については、日米同盟を「国際的な共有財産」とし、外交の基軸と位置付けた。同時にアジアとの連携強化に取り組むとした。国際社会における日本の責任感という観点から、「相手国に受動的に対応するだけでは外交は築かれない。時には自国のために代償を払う覚悟ができるか」と問い掛け、国民の責任感の自覚を背景にした外交を行うべきだと主張した。「世界平和という理想を求めつつ、現実主義を基調とした外交を推進すべきだ」と述べ「イデオロギーではなく現実主義」の外交を展開する姿勢を強調した。財政再建に向けた「税制の抜本改革着手は不可避」として、与野党が消費税率引き上げを協議することを視野に「財政健全化検討会議」の設置を提唱した。
 新たな年金制度の基本原則を示した上で超党派の議論を呼び掛けた。鳩山前政権の「政治とカネ」などをめぐる混乱を陳謝し「挫折を乗り越え信頼を回復する」と強調した。


 
 
 「沖縄の海兵隊はグアムへ行く」というタイトルの本が、先日、高校の図書室に入荷されていた。自分の高校の図書館では今、全国的な話題となっている普天間基地の移設問題を取り上げる格好で、安保や基地の問題について考える特設コーナーが設けられているのだけれど、どうやらそれに連動して、この本も含めたいくつかの興味深い本が取り上げられているらしい。普天間基地の「抑止力」は、将来丸ごとグアムへ移転される―。思い返してみれば、そんな衝撃的な話を僕が初めて耳にしたのは、ブログ仲間のよこ八さんや、yukieさんのブログからの情報があったからだった。この本ではその仔細な部分まで明らかにされているのだろうけれど、本の内容に触れる前に、関連する情報に触れる機会があったという事で、この本から受ける印象というのも、そうでなかった場合とは異なったものになるだろう。こういった場面において、人と人との触れ合いというのは、非常にありがたい事なのだとつくづく感じさせられる。
 
 さて、この本と同様に今回取り上げられていた本として、琉球新報社の「2010 .4.25県民集会−沖縄は訴える」がある。この本は、今年の4月25日に行われた沖縄県民大会を取り上げた琉球新報社の特集だが、沖縄の基地問題に関心のある人間としては、これもまた一度目を通しておきたい本の一つだと思う。この本は、幾つものカラー写真を通してあの日の記憶を後世に訴え続ける事になる。そう、確かに4月の25日、自分も含めた「沖縄」は、基地問題の原点とも言える沖縄戦の始まった地、中頭郡の読谷村で、在日米軍普天間基地の即時撤去を鳩山政権へと訴えたのだ。そして、それは鳩山政権に対してのみ訴えられたものではなかった。それは鳩山政権に対する怒りであると同時に、日本本土全体に対して訴えられたものでもあっただろう。沖縄県民のあの日の怒りは、政権に対するものであったと同時に、日本という国そのものに対して向けられていた。
 
 あれから一カ月。普天間問題の五月末決着を主張していた鳩山政権は、その目標を達成すると同時に、自ら崩れた。しかし、鳩山由紀夫元首相の提起した今回の問題の原点は、未だ何ら解決されたものではない。なぜなら、沖縄の怒りは現在進行形の事象であり、また、今後とも受け継がれゆく性質のものであったからだ。首相は変わり、政治のある部分もまた変わっていくのかもしれないが、鳩山政権が崩れるきっかけとなったこの問題について言えば、実は何ら解決に向かっているものではないという事が、どこかで忘れられている。管首相に変わったからと言って、沖縄は基地の県内移設を今後とも許さないだろうし、難しい局面は何ら変わっていない。沖縄県民の立場からいえば、管首相の今回の発言にしても、「感謝などされても」というのが正直な気持ちだろう。
 
 感謝の念を深めるなどという、人間としてもっとも基本的な部分については、沖縄の世論はそもそも望んでいない。困窮した泥棒が苦しさの余り土地を占拠したとして、地主に対して感謝さえすれば、それが許されるという論理がありえない様に、今回の普天間基地の問題は、その即時撤去という形でしか、実質的には何も解決されないだろう。沖縄県民の怒りとは、本土側からの感謝を求めたものなのではなく、ただ純粋に、普天間基地の即時撤去という県民の世論が実現されない事に対する怒りであるにすぎない。今回の普天間基地の問題について、県民のそうした怒りの世論はこれまで、あらゆる形で示されてきたはずなのだ。そこで今、感謝などという言葉を簡単に吐けるというのは、沖縄の痛みをその外から見つめる、沖縄県民でない人間のおごりではないか、と言わざるを得ない。
 
 
 

鳥島・久米島射爆場返還 米に提起へ 官房長官が表明

 【東京】平野博文官房長官は29日、米軍が使用する鳥島、久米島の両射爆撃場の返還と、沖縄本島東方50キロにあるホテル・ホテル訓練区域の一部解除を米側に求める方針を明らかにした。政府が両射爆撃場と訓練区域の返還・一部解除提起の方針を示すのは初めて。25日に来県した北沢俊美防衛相も仲井真弘多知事に同様の方針を伝えたとされるが、知事は「聞いていない」としている。
 
 平野氏は29日の定例会見で「知事を含めて返還の要望が出ているのは事実」と述べ、米政府に返還などを提起する考えを表明。米軍普天間飛行場移設問題と関連させず取り組む考えを示した。
 
 政府高官は同日、「普天間の移設とは切り離す問題だが、広い意味で将来的な負担軽減にはつながる。沖縄への配慮だ」と説明している。ただ、負担軽減策に取り組むことで普天間移設への県側の理解を促す狙いもあるとみられる。
 
 一方、仲井真知事は「これまでの自公政権はまじめにやるという意思表示がなかったので、取り組んでもらうことは非常にいいことだ」と政府方針を歓迎した。県庁で記者団に述べた。
 
 普天間問題をめぐり、県から協力を得るための説得材料にするとの見方について「普天間と絡めるかどうかは政府のポリシーで、全貌(ぜんぼう)というか考え方をよく聞きたい、という原則論しか言えない」と話した。一方、県幹部は「バーターだったらとんでもない」と述べた。
 
 鳥島、久米島の両射爆撃場は戦後米軍が使用。本土復帰後は提供施設・区域として米空軍が管理し、主に空対地射爆撃訓練が行われている。射爆撃場に近いホテル・ホテル水域は約2万843平方メートル。
 


 
 今回の射撃場の返還要求については、沖縄県民としての立場から素直に歓迎したい。しかしながら、これがもし普天間基地の問題を意識して行われる返還要求だとすれば、全く違う趣旨の主張をしなくてはならなくなるだろう。そもそも普天間基地の問題に対する県民の怒りは、県内移設受け入れに対する県民への見返り云々といった内容のものではなく、「最低でも県外移設」を公約としたはずの民主党政権が、5月の決着期限を間近に控えた今になっても、県内移設案を模索している事に対する憤りから来ているものだ。そうした県民の反発に対して、見返りとしての射撃場返還で対応出来ないか等という期待は、考え方の根本からして、明らかに間違っている様に思う。沖縄にとって、普天間基地の追放であり返還は、自身の公約に基づいた政権の責務なのであり、決して政府が沖縄県民に与える慈悲ではない。射撃場の返還要求について、沖縄県民は現政権に対して一定の評価をするだろうが、それが普天間基地の県内移設を容認する材料とはなりえないだろう。
 
 
 当然、県民の負担軽減策としての射撃場の返還要求は、自公政権時代には見られなかったものとして、高く評価したいところだが、今回このタイミングで射撃場の返還要求が行われたという事は、やはり何か別の意味をもつ物として考えられるのが、一般的な反応であろう。さらには返還要求を打診された側である米国もまた、そのような解釈の仕方をするはずだ。そういった観点から解釈すると、今回の返還要求は、普天間基地の県内移設というあらかじめ決められたシナリオに沿って、そのプロセスの中で行われた一つの事象であったように考えられなくもない。今回の政府の決断そのものは、沖縄県民として一応の評価をするが、ただ良かったね、という内容の話題としてのみ、受け入れる事の出来るニュースではない。
 
 
 政権は普天間問題についてここ数カ月、明らかに県内移設に狙いを定めた形での移設先模索を行っている様に思える。米領テニアン等の、一時は有力とも思えた国外移設案についても、最近は全くの音無しだ。県民と、そして国民に、大きな期待を抱かせた政権交代から早半年。その間に、辺野古へ移設反対を訴える県民大会や、名護市長選野基地反対派当選等、様々な形での県民の民意表明があったにもかかわらず、結局新政権は、勝連沖の埋め立てや、辺野古陸上部への移転など、到底地元の合意を受けられそうにもない移設案を軸に、県内移設という形での政府案をとりまとめようとしている。元の木阿弥のまさにこの事だ。「いかなる形であろうと県内移設は受け入れられない。」既に、そう民意は出ているにも関わらず、である。
 
 
 沖縄にあるほとんどの米軍基地は、本来県民の土地であったものを、県民の民意に反して米軍が所有しているものなのであって、本来ならばその土地全てが、県民に返還されるのが当然とするべきものだ。極端な話、仮にキャンプシュワブの様な規模の基地が返還される事になろうと、普天間基地の移設は、そうした基地の返還とは別の問題として考えられるべき問題である。県民との公約を裏切る事になる普天間基地県内移設の見返りは、面積、危険度ともに、これと同規模以上の米軍施設の県外追放を除いて存在していない。県民は政権に対して、今後ともこれまで通り、毅然とした態度で臨むのが望ましいだろう。鳥島や久米島の射撃場の返還は県民にとって当然の事であり、また、普天間飛行場の返還も、要求されて当然の事なのだ。
 
 
 

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「島ぐるみ闘争も」 普天間移設で稲嶺市長


 【名護】米軍普天間飛行場の名護市辺野古沿岸部への移設に反対し当選した稲嶺進市長を激励する会が13日、辺野古浜で開かれた。稲嶺市長は県内移設を排除しない政府に対し「このような状況が続けば島ぐるみ闘争に発展せざるを得ない」とけん制した。会場には、市内外から約200人が集まり「県内移設絶対反対」と怒りのこぶしをあげた。

 稲嶺市長は、辺野古移設反対を訴えて座り込みを続けてきた市民らを激励。その上で、県内移設を否定しない閣僚発言に対し「市民の民意をどう思っているのか。同じ国民なのかという気がする」と不満をにじませ「基地の中に(市民が)入れないから何でもできるといっている。絶対こういうことを許してはいけない」と、国民新党が提案した陸上案を厳しく批判した。

英・仏TV取材「世界中が注目」

 【名護】米軍普天間飛行場移設問題は海外メディアの注目度も高まっている。英国放送協会(BBC)とフランス国営テレビフランス2が取材のため沖縄入りしており、13日に開かれた稲嶺進名護市長の激励集会の模様も取材した。

 BBCバンコク特派員のアラステア・リートヘッド記者は「県民と米軍基地」をテーマに9日から取材を開始。同記者は「普天間問題には日米関係が象徴されている。それが今どういう状況にあるのかと世界中が注目しているグローバルな問題だ」と話した。

 一方、フランス2日本特派員の藤伊秀樹記者は13日から24日までの日程で、基地問題や沖縄の文化などを取材する予定。藤伊記者は「県民が今何を考えているのか、一人でも多くの声を聞きたい」としている。

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 沖縄本土復帰前の「島ぐるみ闘争」について、僕は何も知らない。僕に限らず72年以降の世代は、この小さな島の戦後史について、あまりにも知らない事が多すぎるのかもしれない。1993年、僕らが生まれた年。沖縄という島はすでに、日本という国の領土だった。1993年、僕らが生まれた年。広大な米軍基地のフェンスは、すでにこの島中に存在していた。僕らは生まれつき米軍基地のフェンスに囲まれながらも、それを異常な事だと認識する事なく、この島で日本の教育を受けて、日本の子供として生活している。外側からは広大な海に、内側からは基地のフェンスに囲まれた日本の島。僕らの知っている沖縄は、僕らが生まれたときから、そういう島だった。

 
 しかし、僕らの知らない時代の話に遡った時、かつての沖縄という島の輪郭を形作っていたのは、海岸線の向こう側に広がる、どこまでも広大な海だけだった。そしてその頃、この小さな島に住んでいたのは、日本人でもなければ、中国人でもなかった。ましてやアメリカ合衆国の人間では決してなかっただろう。その頃の僕らは、独自の文化と歴史を有する、「琉球」という国の人々だったのだ。あれから130年たち、僕らは琉球の言葉を最早話す事さえ出来ない。僕らは生まれたときから、すっかり130年前と変わってしまったこの島の環境の中で、日本の言葉を解す、日本人として生きてきている。僕らは「日本」という環境の中で、自分たちの中に流れている血を忘れてしまっている。それだけ人間という生き物は、環境というものに左右される生き物ではあるのだ。


 そして、生まれつきの郷土の環境として、米軍基地のフェンスという「囲い」の中で育ってきた若い僕らは、最早、そうでない生活を夢見ることさえも難しくなっている。僕らがそれを望んだのではない。環境が僕らをそうさせているのだ。僕は今なお、普天間基地の無い宜野湾市を想像する事が出来ないし、ホワイトビーチの無い勝連や、軍港の無い牧港を想像する事が出来ない。米軍基地の無い沖縄をどれだけ望んでも、「米軍基地の無い沖縄」という理想像を具体的に夢見る事は、平成世代の僕にとって非常に難しい事になっている。感情として、僕が基地のある沖縄島を受け入れる事はない。ただやはり、環境がそうさせているのである。

 
 そんな中で今回の普天間基地の移設問題に関する一連の報道は、僕にとっては米軍基地問題に対する関心を取り戻す一つの機会になった。普天間基地の移設という課題を取り巻く、民主党政権や本土世論の矛盾が、僕の身の回りの環境に対する疑問を提起する機会となったのだ。普天間基地という絶対的とも思えた矛盾の一つを、沖縄が自らの能力によって打ち消す事が出来た時、それは、沖縄自らがその環境を克服したという事である。そして、県民が自らの努力によってその環境を変える事が出来た時、そこには全く違う沖縄の姿があるだろう。その時、復帰後生まれの僕にとっても、沖縄県民の望む、理想の沖縄像が見えてくるかもしれない。僕は、この島を取り巻く環境を打破するための、希望を望んでいる。


 県選出の国民新党の下地議員は、普天間の問題についてはいったん妥協し、基地削減は将来的なものとして目指すとしている。しかし、本来その突破口は、この普天間問題にあるのではなかったのだろうか。普天間基地の問題において大きな前例を作らない限り、県民の置かれている環境に変化は生じず、将来的な基地削減など夢のままに終わってしまうことにはならないだろうか。政権が代わり、沖縄を取り巻く環境が変わった今、沖縄にとって、大きな変革の時代がきている。「島ぐるみ闘争」。まさしく、そういう時代である。

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http://www.asahi.com/politics/update/0128/TKY201001280196.html

鳩山首相「普天間には戻さない」 移転問題で答弁

 鳩山由紀夫首相は28日の参院予算委員会で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について、「覚悟を持って5月末までに(移設先を)決める。(普天間に)戻ることはしない決意だ」と述べ、必ず移設先を決め、普天間の継続使用を容認することはないとの考えを示した。

 自民党の山本一太参院議員の質問に答えた。5月末までに移設先を決められなかった場合の責任の取り方は「そのとき考える話だ。もしできなかったらということは毛頭考えてない。必ず5月末までに結論を出す覚悟を持って臨むということに尽きる。米国にも沖縄県民にも理解される結論を必ず出す。それが私にとってすべてだ」と語った。

 日米合意に基づく沖縄県名護市辺野古への移設は、24日の名護市長選で移設に反対する候補が当選し、辺野古移設は極めて困難な情勢だ。有力な候補地は見つかっておらず、普天間の継続使用を容認する案も浮上している。

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http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-156734-storytopic-53.html

岡田外相、普天間の現状維持「あり得る」

 【東京】岡田克也外相は1日、東京都内の日本記者クラブでの会見で、米軍普天間飛行場の新たな移設先を政府与党で話し合う沖縄基地問題検討委員会の検討対象として「ゼロベースということは、普天間のほかになければ今のままということもあり得る。首相も明確に否定したわけではない」と述べ、現状維持も選択肢だとの認識を示した。名護市辺野古への日米合意案も含まれるとの考えも重ねて示した。【琉球新報電子版】

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 先日の平野発言に続き、この人もまた、県民感情を刺激する様な発言を繰りだしてきた。例のごとく、岡田外相である。



 先日開票された名護市長選の結果を受けて、辺野古への基地移設が一段と難しくなった今、普天間の現状維持を示唆するこうした発言は、ほとんど暗に恫喝するに近いものであると、県民は受け止めることになるだろう。それだけ、普天間の現状維持は、最も県民が懸念する結果の一つであったし、先日、それを鳩山首相が明確に否定した事については、県内紙でも高く評価されていた。それにもかかわらず、岡田外相の認識によれば、普天間の現状維持という選択肢を、「首相も明確に否定したわけではない」との考えらしい。


 岡田外相は、普天間の県外移設には以前から消極的な発言を繰り返していた事もあるし、今回の記事も、必ずしも驚くような内容ではないといえるが、やはりこうした彼の認識からは、普天間問題について、民主党内部での、議員ごとによる考え方の「ズレ」がうかがえるところだ。もっとも、彼らの意見が割れているのは、沖縄の負担軽減をいかになすかではなく、普天間問題について、いかに内閣支持率に影響を与えない結論を導き出す事が出来るか、という点についてであるようにも思えるが、鳩山首相はもう、そのような八方美人的な考え方はやめにしなくてはいけない。


 この問題については、関係閣僚同士の意見が割れているのも、鳩山首相の曖昧な態度が原因になっているところがある。保守系支持者や米国の目を気にし、その場しのぎに「ゼロベース」などといった曖昧な言葉に逃げても、党として県外移設を目指すのであれば、「民主党の立場としては県外しか考えられない」と、はっきりと明言しなくてはいけなくなる時が、いずれ来るのは間違いない事だ。それを、無意味に結論を引き延ばしたところで、かえって政権に対する不信感を強めるだけである。


 岡田外相や平野官房長官の発言に対して、県民の視線はすでに冷ややかである。また、そうでなくても民主党はすでに、献金問題など様々なところで国民の失望の目にさらされている。国民の政治不信を払拭し、前政権との違いを明確にする意味でも、関係大臣の人事等の具体的な形で、はっきりとした政策を打ち出してもらいたい。

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