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速報とは言えない記事になるが、あえてそれについて書こうと思う。先日、ドイツのバーデンビュルテンブルクでの州選挙において、野党勢力であり反原発政党の緑の党が躍進した件についてだ。この州は非常に保守的な性質で知られるバイエルン州の隣州であり、当地も保守の地盤として知られると言われている。だが、その場所で緑の党の州首相が誕生したという衝撃的なニュースにも、今度の事故の規模と対比した時、僕は大して強い驚きを感じない。その点無知識ながら独断と偏見で言うのだが、仮にもし日本の保守の地盤――原発を抱える某県議会辺りで非保守系の勢力が躍進したとすれば、それは驚くべきことだと思うけれど、かの国の政治が日本よりはるかに成熟しているであろうと考えれば、納得もいく。ドイツでは津波もなければ地震もない。それでも人々は原発に対し大きな怖れを感じた。それは必ずしも彼らが特定の思想に踊らされたからではない。むしろ、彼らは人間として当然の認識を持つ事を、僕ら日本人のせいで強いられたのだ。
その一方、震源である日本の現状はどうなのだろうか。お隣のフランスから自由に電力を買えるドイツと、極東の山がちな島国とを対比することには批判もありそうだけれど、かの国よりはるかにリスクの高いこの地震大国で、福島の様な非常事態を受けてまで、テレビでは原発政策を擁護する御用学者達の姿がよくみられているという事実は、はたして健全な反応といえるかどうか。事故当初多くの国民が以後の脱原発の動きの推進をやむを得ないと考えただろうし、今現在も恐らくそうであるさなか、僕らは日本の原発政策に対する健全な批判を、どれだけ聞いただろうか。個人的な偏見かもしれないが、その逆を聞く機会が多すぎるように感じる。僕は原発擁護の声を聞くためにテレビをつけているんじゃない。それも震災の発生から随分たったわけでもなく、未だ多くの人が新しい情報を得ようとテレビにくぎ付けになる、この騒ぎの真っただ中にわざわざ。
ただ、こういう事態にイライラを募らせつつも、僕は将来に対して微妙な期待感を持ち続けることにする。なぜなら彼らが何と言おうと、この国で原発政策を進めていくことが極めて困難である事は最早疑いの余地がないし、それが選挙で今すぐ大きく反映されるかどうかは別として、長期的な原発の縮小はやむを得ないと、幾ら国民と乖離した政治家や官僚でも、そう考えるだろうと思うからだ。勿論、違う解釈をする人達がいるのも事実だ。「千年に一度の津波にあれほど耐えた(耐えたのか?)日本の原子力発電は素晴らしい」等といっている、経団連会長の様な人を筆頭にして。しかし、僕はこの事態を受けてのそういった主張は、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」の言葉を拝借すれば、「2+2は5」とも解釈できるのだと民衆に信じ込ませようとする様なものであり、まさかその発言を自然に受け入れられる人は少ないだろうと思う。1984年の世界の様に、「自由」が「屈従」の事であるかのような主張はもう通用しない。メルケル首相の言ったとおりである。日本の、或いは世界のエネルギー政策は、一つのターニングポイントを迎えている。
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