後から決める。

当ブログの運営方針について、後日何らかの指針を示すつもりでいます。

4月25日 県民大会

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

 
 
仲井真知事、協議会「厳しい」 前原沖縄相と会談
 
 

2010年8月2日  http://ryukyushimpo.jp/themes/shinpo2008/images/b_entry.gif http://b.hatena.ne.jp/entry/image/http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-165737-storytopic-3.html http://ryukyushimpo.jp/themes/shinpo2008/images/delicious.med.gif http://ryukyushimpo.jp/themes/shinpo2008/images/ybm16.gif http://ryukyushimpo.jp/themes/shinpo2008/images/twitter_icon.gif http://tools.tweetbuzz.jp/imgcount?url=http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-165737-storytopic-3.html

 

 仲井真弘多知事は1日、来県中の前原誠司沖縄担当相と那覇市の沖縄ハーバービューホテルクラウンプラザで面談した。仲井真知事は米軍普天間飛行場の移設に触れ、鳩山由紀夫前首相が「最低でも県外」としながら名護市辺野古崎への移設になったことに対し「百八十度考えが変わった。極めて厳しい」と述べた。
 政府が普天間飛行場移設に関する国と地元自治体の協議会の設置を検討するなど、県内移設を前提にした手続きが進むことに不快感を示した形だ。
 一方、面談後の会見で、前原氏は協議会について「(知事は)そういったこともぜひ考えてもらいたい(と話していた)」と述べ、知事が移設に関する協議会に前向きな姿勢を示したと受け止めており、今後波紋を呼びそうだ。
 面談後、仲井真知事は記者団に対し、移設決定の経緯などについて「具体的な説明を受けていない。しっかりとしてもらいたい」と述べ、まずは説明が先だとの見解を示した。
 ただし説明を受けた上でも、県内移設を前提にした協議会参加には「厳しい。簡単に政府が決めても前に進めるのは簡単ではない」と強調。「基本的に県民が納得いく解決策を政府が出さないと始まらない」と述べた。
 一方で、地元自治体と政府が意見交換する場については「将来そのような場が要ることは確かだ」と述べ、県内移設が前提ではない協議機関の設置については一定の理解を示した。知事周辺は「移設についての協議機関に参加はできない。ただ、普天間飛行場の危険性除去などテーマによっては意見交換の場は必要だ」と説明した。
 



(見出し記事とは内容は異なりますが。。)
 
 
 先月行われた参議院選挙沖縄選挙区の結果について、先日、県内紙の「声」の欄に、こんな記事が紹介されていた。何でも同紙に寄せられた「声」として、本土在住のある読者から、今回の参議院選挙において、普天間基地県内移設反対を繰り返し強調していた革新陣営の敗北を根拠に、沖縄県民は本当のところ、普天間基地の県内移設を望んでいるじゃないか、という様なものがあったのだという。記事の文脈を見る限り、彼がどういった思想的な立場から、そういった主張をしたのかはわからない。しかし、いずれにせよこういった「普天間基地沖縄県民受け入れ容認論」は、特にネットにおいて、意外にありふれているように思う。ハッキリ言って、盲目的であると言わざるを得ない。それでは、一体どう盲目的であるのか。今日はその点について、僕なりの意見をまとめる。
 
 まず、第一に、これは情勢を読むという観点からいって盲目的だと思う。そもそも今回の参議院選挙において、沖縄選挙区が革新陣営を輩出したからと言って、それが普天間基地の県外移設に繋がっていたとは限らない。むしろ、政権を離脱した社民党の山城候補や、事実上三つ巴の争いといわれた中、いまいち伸び足りなかった共産党の伊集候補に比べて、かつて県内移設容認派であったとはいえ、影響力、認知度ともに高い自民党の島尻候補が当選した事は、ある意味、選挙としては自然な成り行きであり、それを県民が県内移設に容認的なベクトルに向かえっている証拠とするのは、あまりにも実情を顧みない、乱暴な論調だ。問題の見方があまりに淡白ではないか。どのような立場にとっても、普天間問題はそんなに簡単な問題ではないはずである。
 
 そして第二に、これは言うまでもないが、事実に対して盲目的だ。普天間基地問題に対する県民の世論は政権交代以来一貫しているし、それは各種調査などによって嫌というほど明るみにされている事だった。問題に関心を持つ人間として、物事の見方が多少偏ってしまうのは仕方がないのかもしれないが、しかしそれにしても、どういった発想で、それを県内紙に投稿しようと考えたのか。革新候補が敗北した事に対する腹いせなのか、或いは県民に対する冷やかしか、或いは、本当にそう思っての投稿なのかは知らない。沖縄の米軍基地問題において良く聞かれる、この「沖縄県民普天間基地移設容認論」だが、こういった虚構はどういった発想から生まれるのだろう。縞馬に対しておまえは只の馬だと主張する、その滑稽さを想像してみてもいい。事実に対して盲目的であるという事は、時に致命的だ。
 
 そして第三に、これが何よりだが、常識に対して盲目的である。そういった主張を盲信する人物は、沖縄の県民の何を知っていて、物知り顔をしているのだろうか。政治思想は自由でも、事実を捻じ曲げる事は、はたして自由だろうか。それが不確定要素であるなら良い。そういった問題については、当然議論はなくてはいけない。しかし、これほど明らかに確定的な要素に対して、何故わざわざそういった発想が必要になるのか、或いは、何故そういった発想が生まれてくるのか。彼ら自身、それが事実でない事は理解しているはずだ。現実としてそこにある問題について主張しているのだという自覚が、あるかないかという違いではないか。
 
 人間社会には様々な要素があって、ある一面だけを切りとって、全く別のものを読み解こうとする事は、存外に難しい事であると思う。選挙についても、それは同じ事であるべきだ。参議院選挙の側面は、保革などという単純な枠組み一つではない。物事の側面はいつどのような話題にしても、多様性に富んでいるからこそ面白い事が起こるのではないか。当選した島尻議員も辺野古移設反対を訴えて当選した議員だ。敗れた候補の分も、しっかり参議院の最大野党の議員として、自分自身の掲げた公約を強く主張する事を、僕は期待する。
 
 

開く トラックバック(1)

 

米下院、沖縄県民への感謝決議可決=安保50年で、近く上院も

 【ワシントン時事】米下院は24日の本会議で、沖縄県をはじめとする在日米軍基地周辺の住民に対し、駐留受け入れに謝意を示す決議を賛成多数で可決した。上院にも同趣旨の決議案が提出されており、近く採択される見通し。
 決議は、今年が日米安全保障条約改定から50周年であることを踏まえ、「日本における米軍の強固な前方展開は日本防衛やアジア太平洋地域の平和と安定の維持に必要な能力を提供している」と指摘。その上で「日本国民、特に沖縄県民が米軍駐留を受け入れてきたことに感謝を表明する」と強調している。 
 決議はまた、次の50年に向け日本に同盟深化を求めるとともに、人権や環境問題などへの積極的な関与を継続するよう促している。

 一方、上院のジム・ウェッブ外交委員会東アジア・太平洋小委員長ら超党派の議員は同日までに、沖縄県民らへの謝意を示すとともに、抑止力維持と地元負担軽減のため2006年の在日米軍再編合意の履行を求める決議案を本会議に提出した。(2010/06/25-11:56)
 


 
 「感謝」という言葉に限らずだが、言葉は或る程度以上心が反映された時に、初めてその本質的な意味をなすものである。かくいう僕自身その点、言葉というものの使い方をあまりよく知らないと自覚している。しかし、そんな僕の目から見たとしても、一昨日訪沖した管直人首相の「感謝」発言といい、今回の米下院の感謝決議といい、日米両政府のいう「感謝という言葉には重みが感じられないというのが率直な感想だ。「沖縄県民が米軍駐留を受け入れてきたことに感謝を表明する」等とはいっても、決してそれが進んで受け入れられてきたものであったわけではない事を、彼らとて、知らないという事はないはずである。一方それが分かっていた上で、こうした決議を採択するのだから、全く、これほど人を馬鹿にした様な話もないだろう。先日の管首相の発言に続け、といわんばかりの決議内容ではあるが、問題の本質が見えていない様に思う。
 
 自分自身、当然、様々な過ちを犯して、幾度と人様に大変な迷惑をかけたというような経験が度々ある。いや、これは何も僕に限らず、全ての人間には多かれ少なかれ、必ずしもそういった記憶が存在しているはずだ。過ちというものは犯してはならないが、現実としては、気がついた時にはそれは既に存在しているのであり、その後しまつは、現代を生きる人間によってなされなくてはいけない。過ちは将来に生かされる見込みを持って、初めてその将来性を持つものであり、そういった意味で謝罪と感謝は、必ず建設的なものでなくてはいけないのだ。ところで、そういった観点からこの決議を見た時、一体それのどの点において、建設的な要素が見られたというのだろう。彼らの感謝とは一体、何を見据えたうえでの感謝だったのだろうか。彼らの目の前に見えていたもの。それは沖縄県民ではなく、辺野古の海に横たわる巨大な石の塊ではなかったのか。
 
 何度も繰り返し主張するようだが、日米両政府のこういった決議や発言が、県民の感情を逆なでする以上の意味を持つ事はあり得ない。これは、人間関係において言えるものと何ら変わり映えしないものであると、最近になって自分も、ようやく気がつかされたところだ。人間として生きているからには、言葉というものの重みを大切にしていかなければ、自らが大変な憂き目を見ることになってしまう。そして、それは国家レベルの問題においても、何ら変化しないものであるだろう。彼らのこういった県民に対する無礼は、歴史という形をとって未来に蓄積されていく。全ては歴史が、そして我々沖縄県民が評価することになる。彼らはいずれ、この決議の先に、本当の意味で沖縄県民を見据えていなかった事を、後悔することになるのではないか。
 
 沖縄は今週の水曜日、慰霊の日という非常に厳粛な一日を、あまりにも内容を伴わない、管直人新首相の「感謝」という発言によって、大きくかき乱されることになった。そして、それから日もない内に、今回の米下院の感謝決議である。彼ら米国のするべき事は、まずは感謝ではなく、謝罪からだろう。そして、今日本政府のするべき事とは、感謝でもなければ謝罪でもない、行動で沖縄の民意に応える事だ。行動もなければ謝罪もない。ただ、中身の無い感謝という言葉があるだけという今回の米国の決議は、まるで、いつの日だったかの自分を見ているようで、また、その行く末まで見える様な気がする。
 
ご報告遅くなりました。というのも、読谷から徒歩でついさっき帰ってきたばかりの自分です。
 
さて、僕が徒歩で帰宅するこの5・6時間の間に、マスメディアを介して、全国ニュースで伝わっている事でしょうが、本日沖縄県の読谷村で、普天間基地の即時撤去を求める県民大会が開催されました。ただいま、とにかく疲労困憊している為、文章はいつも以上に拙いとは思いますが、写真中心のレポートにまとめてみましたので、是非ご覧ください。
 
イメージ 1
 
 今回の県民大会について、とにかく強烈に印象に残っている事といえば、常々渋滞する国道58号線が、今日、想像を絶する様な込み具合であったという事。割と早い時間帯に出発してもらったつもりだったのですが、北谷町の入り口から大渋滞にはまり、開会式には行きそびれてしまいました。もっとも、ある時点からは、車で移動するより、徒歩で言った方が早いという事実に気付き、そこからは車から降ろしてもらい、会場へと走り出す事にします。北谷町と嘉手納町の町境で降りて、それから30分くらい走り続けたと思うのですが、その間、車道には立ち往生する車や送迎バスの長い列、そして、大渋滞に業を煮やし、車から降りて歩き始める大勢の人たち。車社会沖縄で、あれだけ多くの人が歩道を埋め尽くした日というのは今までに無かったのではないかと思える様な、そんな、或る意味で異様な光景でした。
 
 さて、会場に着く一歩手前まで来て驚いたのがこの駐車の列です。皆で停めれば怖くないと言わんばかりに、会場までの数百メートル公共の道路を埋め尽くしている光景。一体、この都会から遠く離れた読谷村に、今日はどれだけの人たちが来ているのだろう。これほどの人間が、一度に読谷に結集した事なんて、今までにあっただろうか。深い感慨と共に、背筋がゾクゾクッとなるような、期待と不安、強い興奮と好奇心が、心の中を埋め尽くしていくような気がしました。数日前、この読谷に来た時は、この会場の周辺ではほとんど人を見なかった・・・。それが、普天間基地即時撤去の掛け声のもとで、これだけの人数を収容するのです。やはり、今回の問題に対しる県民世論の憤りの強さを感じずにはいられないでしょう。
 
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
 県民大会の会場は相当な熱気に包まれています。恐らく、足の踏み場もないとはまさしくこの様な事を言うのでしょう。写真は正確にいえば、まだ本会場の外で、これより少し奥の本会場へ行くと、人と人の間に、窮屈そうにして地面があるというような印象を受けるほど、多くの人でひしめき合っていました。その会場入り口には、幸福実現党なる人達が張り込んで、「日本は中国の植民地にされるぞ!!」と言うような内容のチラシを、来る人来る人に手渡していたのですが、しかし、そうした一部の人たちは除いて言うのなら、多くの人たちが、黄色いタオル、黄色いリボン、黄色いプラカード等を携帯し、会場は一つの意思を持った熱気の中にありました。
 
 この状況、この雰囲気の中にあって、そうした内容チラシを手渡せる彼らというのも、或る意味ではまた、まねできない様な神経の持ち主ではあるのですが、しかし今回の大会において、本当の意味で多くの人々を感動させ、共感の気持ちを抱かせたという点については、普天間高校三年生による、高校生代表挨拶が一番のものではなかったでしょうか。「私たち普天間高校では、授業をしていながらでも、テスト中であっても関係なく、普天間基地からの突然の轟音に悩まされる・・。」これは、僕も中学時代に経験がある事です。宜野湾市のみならず、基地を抱える自治体の学生は皆そうでしょう。
 
 そして、これは僕の考えとしてですが、高校生や大学生といった若い世代の発言というのは、こういったところにおいて、時に、大人の発言以上に意味を持つものだと思うのです。純粋に「基地はいらない」という一つの動機、そして、その一つの気持ちを共有するために、今日この場所に、何万人もの人たちが集まったという事実・・。これが本来、事の全てであり、今大会のなす意味ではなかった可と思います。全県議会議員協賛のもとでの、超党派の大会開催の実現、そして、仲井真県知事の大会参加。純粋な県民の世論が巻き起こした、一つの大会の本質を、僕らの同世代が、見事に代弁してくれたと思っています。
 
 
 
イメージ 4
 
今回の大会には、共産党の志位委員長、連合沖縄の仲村会長、県議会議長の高嶺氏に、市町村代表の翁長那覇市長・・・。県の要人は、全てが参加したと言ってもよいでしょう。主催者発表によると、今大会の参加者は総勢9万人、離島での分会も含めると、およそ9万3700人。実に、県人口のおよそ15分の1に当たる人達が参加したということになります。読谷という土地の交通の便の悪さ、また、沖縄市の市長選挙が重なったという事を考えると、驚異的な人数が集まったと言えるでしょう。今回の大会は、「僕らは歴史を作る一幕を見た」と、将来子や孫の世代に対してそう言える様な、大きな事件だったのではないかと思っています。
 
 沖縄の世論を、政治に反映してほしい。今回の大会は、普天間基地の即時撤去を、日米地位協定の抜本的な改定を、あらゆる沖縄の世論を、国政に反映させるためのよい機会になった事でしょう。今日大会に参加できなかった人たちについても、黄色いリボンを結んだり、また何か黄色いものを身につけるという、意思表示の一つの手段もありました。日本の歴史は日々作りかえられていきます。僕たちの世代で変えていける事、変えなくてはいけないことというのは、一体何でしょうか。そして、その一つの答えは、今回の大会によって提起されたのではないでしょうか。
 
イメージ 5
やたらと長い、そして、それに中身の伴わない記事になってしまいました。しかしながら、僕という人間にとって、今日という一日は、多分今後の人生においても、大きな意味を持つものになってくるのではないかと思います。4・25沖縄県民大会は以上の通り、大成功を遂げました。しかし、それですべてが終わったわけではありません。なぜなら、今回の県民大会決議は、過去に対してではなく、未来に向かって提起されたものであるからです。鳩山政権が今後、この問題にどう立ち向かっていくのか、今後とも注目していかなくてはなりません。
 
 

開く トラックバック(4)

イメージ 1
 
 
先日、学校行事「遠足」で西原町のビーチに行ってきた。
 
 まさか高校二年生になってまで「遠足」なる行事があるとは思ってもいなかったし、さらに旅行先が宜野湾市の近隣自治体である西原町とあって、さすがに遠足独特の「ワクワク感」というのは感じられなかった。西原と宜野湾では全く町の雰囲気も違うし、写真のように、東シナ海沿いの宜野湾ほど開発の進んでいない美しいビーチもあるのだけれど、やはり、どうせ行くなら遠出の方が良かった。しかし那覇の高校生にしてみれば、西原でも十分に遠出なのだろう。
 
 太平洋沿いの西原町と東シナ海沿いの宜野湾市では、近隣にあっても全く町の雰囲気が違うと言ったが、それはある場面においては例外でもある。それは、米軍基地のヘリコプターを一日に何度も目にするという事だ。クラスメイトがビーチバレーやらお菓子やらに気を取られている間、普天間基地から飛んできたあの米軍機は、何回頭上を通り越して行ったのだろう。それに気を取られることなく、スポーツやらお菓子やらに熱中する事が出来るということ自体、皮肉な境遇だと言えるかもしれない。我々は、随分と米軍基地に慣れさせられてしまっているようだ。
 
 そこで、普天間基地の方面から飛んでくる米軍機を「故郷の風物詩」と呼ぶ、少しブラックなジョークで那覇在住の先生の笑いを取ろうとしたところ、那覇にも気がつかないだけで米軍機は飛んでいると言われた。一瞬「えっ」と思ったが、なるほど、よく思い出してみれば那覇のど真ん中にいても、たまにパタパタという音が聞こえてくる事があった。宜野湾在住の僕にとっては、さすが那覇!報道ヘリコプターがよく飛んでるな、程度の感覚で見ていたのだが、あれは米軍ヘリだったのか。宜野湾で普段から米軍機を、見慣れ、そして聞き慣れすぎているのかもしれない。那覇の町で聞く様な基地の騒音を、僕は騒音だとさえ思わなくなっている。
 
 
 そうだ。僕らは基地に随分と密着して生きている。経済的にもそうだし、精神的にもそうなのだ。基地の問題については、本土沖縄ともに様々な言説があるが、我々が基地と密着して暮らしているという事実についてのみいえば、誰しも否定する事が出来ない。そして、これはあまりにも理不尽で、あまりにも危険な事であるということについても。それを積極的に言明する、言明しないの差はあるものの、現状をしっかりと確認する目と耳があれば、それは否定のしようがない。
 
 以前、或る大臣が、基地を移転させるのではなく、普天間基地の周辺から住民を移動させるという方法をとる事は出来ないか、等と発言したが、これが沖縄ではなく、東京辺りにある、迷惑物件の周辺住民に対しての政治家の発言だったとしたならば、内地の世論はこんなにも冷静でいられたのだろうか。大臣の発言は、現状を認識していない、明らかに異常なものだった。そして、その異常さがまかり通るのが、沖縄の米軍基地問題だ。通常の観点からいえば、明らかに異常であるとわかる様な言説が、沖縄の基地問題についてなら許されているのだろうか。僕は、そんな憤りを禁じ得ない。だいぶ前には、沖縄であった米兵の少女暴行事件に対して、保守系の産経新聞が被害者を中傷する様なビラをまいた事があった。そして、その概要は以下の様なものだった。
 
「2008年3月22日、沖縄県で宅配された産経新聞と世界日報に、被害少女を批判し実名と誤解される名前が記されたチラシが折り込まれていたことがわかり、『琉球新報』に批判された。チラシは沖縄県の国旗国歌推進県民会議の惠忠久会長が依頼したもので、被害女性への批判に加え、自民党と公明党支持者は翌23日に予定されていた抗議の県民大会に参加すべきでないという内容であった。産経新聞は琉球新報の取材に対し「チラシの扱いは販売店が判断するが、公序良俗に反する内容は扱わないように注意している」と返答した[17]。」
(wikipedia より。)
 
 僕は当時、この事件に相当な衝撃を受けたし、産経新聞という新聞の論調について知ったのもこの頃だ。話が随分とそれてしまっているが、この時感じた感情は、恐らくかなり僕の考え方にも影響を与えただろうから、あえてここで取り上げる。このやりきれない話を、あえて一つの事件としてではなく事故として扱った時、この「事故」の起きた要因は、明らかに米軍基地にあった。米軍基地のか持ち出す異常さが、あらゆる異常な言説を許容していた。米軍基地問題を取り巻く政治思想の対決が、人道上許されない考え方すら肯定してしまっていた。被害者や県民は嘆くしかない。嘆く以上の事は出来ない。
 
 
 遠足の日の帰り道、道沿いに、多くの同じ色のポスターを目にした。明日25日に、読谷村で開催される、普天間基地の即時撤去を求める集会についてのポスターである。テーマカラーはイエローだと言うから、沖縄名物のジャスミン茶でも持って行こうか。県民の世論を日米両国に伝えるチャンスがやってきた。県民にとっては、いつも嘆く事しかできない基地問題だ。今回ばかりは、嘆く以上の事をしないと。
 

開く トラックバック(1)

イメージ 2
 
本日18日は、普天間基地の移設先候補と目されている徳之島で、大規模な基地移設反対集会があるそうですが、ここ沖縄でも、来週の日曜日、かつて沖縄戦が始まった地でもある読谷村で、「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」と題した県民大会が開催されます。県民総人口の約1割に当たる、10万人規模の大集会を目標に、県内各自治体が力を合わせ準備に取り掛かっている様です。僕もこの大会には参加するつもりでいるのですが、何せ開催地さえ分からないので、今日の午前中は会場である読谷村運動広場まで、下見に行ってきました。
 
 
イメージ 1
 
 しかし、有難かったのは親に車に乗せていってもらえた事。本当は自転車で行くつもりだったたのですが、自宅から会場までの距離はおよそ20km程あり、自転車で対応できない距離ではないにしても、やはり、「ちょっと下見に行く」程度にしては遠すぎる距離です。当日は宜野湾市の方からシャトルバスが出るという話がありますので、そちらを利用しようかとも考えているのですが、やはり、帰りの事まで考えると、自転車を使っていくのが無難かもしれません。
 
 宜野湾市民としては、過去に「集団自決検定」の際などにも県民大会が開催されている、普天間基地の地元、宜野湾市のコンベンションセンターが会場とされるのが望ましかったのですが、何せこの大会の開催は急に決まった事でしたし、施設側との調整という問題があったのでしょう。とりあえず今回は、読谷村での開催ということになっています。ちなみに当日は、アメリカのワシントンでも、県民大会の連帯集会が開かれるそうのだとか。25日当日、会場に多くの人が足を運ぶ事を望むとともに、ワシントン集会の方の成功も祈っています。
 
(ワシントンで県民大会連帯集会 25日に北米組織がデモ)
 
イメージ 3
読谷村までの道のり、いつも目にする事になる嘉手納町の庁舎。庁舎だけではなく、道や街並みにしてもそうですが、この街のインフラ整備は非常に進んでいる印象を受けます。「町」という単位の行政区画にも関わらず、これ程のインフル整備が進んでいる所以とは、やはり嘉手納町が、「基地の町、交付金の町」だからか・・。延々と続く基地の中を通る一本道と、それを突き抜けた後の視界に飛び込んでくる、嘉手納町の進んだ町並みとのギャップは、或る意味で沖縄基地問題の最も難しい部分の一つを、肌で感じる事が出来る光景であるように思います。
 
今日大集会が開かれる徳之島でも、普天間基地の移設受け入れ賛成派が、少なからずいるといいます。そして彼がそのメリットとして挙げていたのも、やはり基地を受け入れる見返りとしての「振興策」。離島地域である沖縄や奄美の生活水準は、他の日本国内の地域と比べてあまり高いとは言えないでしょう。そうした意味で、米軍基地の存在を支えるいくつかの根拠の中には、日米安保条約同様、沖縄地域の「貧しさ」もあると言えると思います。沖縄の生活水準の向上は、米軍基地問題解決の為の条件の一つ。基地振興策に甘えない新しい県経済のあり方が、求められているところです。
 
イメージ 4
 
会場となる読谷村にて。市街地は、僕の想像以上に都会らしい印象は受けましたが、それでも、会場の周辺まで来ると、ご覧の通りで家はまばら、周囲はサトウキビ畑と米軍基地だらけの、典型的な「沖縄の田舎」といった風情です。この土地に、本当に10万人もの人々が集まるのか、1月の名護市長選の際同様、不安が全くないわけではありません。しかし、我々は、我々自身の将来のために、この現状を変えていかなくてはなりません。そして、その確かな県民の思いは、例え会場が宜野湾であろうと、読谷であろうと、県民大会という形で具現化できるはず。僕はそう信じています。
 
最後に、読谷村の大会会場近辺にて。
 
イメージ 5
 

開く トラックバック(2)

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事