全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全184ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
秋深まる頃から冬の頃の夕空は桃色に染まって、私をはっとさせた。
そんな空を今年はまだ見ない。
夕方になってふっとバルコニーへ出た瞬間だった。
目の前に見れた、ちよっとだけ建物で切り取られた唯一の空が一面桃色にそまっていて。
私は
はっとして、
急いで、
スマホでその空を撮った。
空はまだ暮れなずんでいなくて、青色をバックに残していた。
背景の青色と桃色との対比が見事に合い見とれてしまっていた私。
(朝焼けはマンションのバルコニーからは見ることが出来ないので郊外の神社の山のテッペンまで行く
其処から撮った朝一、の朝焼け、
濃紺に黒色が混じった恐ろしい色の雲が不気味)
人の心を持った犬・太郎と暮らしていた頃はいつだって、はっとして、見とれて、立ちすくんで、座り込んで、
ふたりして、有度山で見られたこうした自然の示す神秘さに、
いつだって心沈め、時を共有していたんだなあー
懐かしさと切なさを一緒くたにしながら私を今の夕焼けのなかにすべこませていた。
人の心を持った犬・太郎と居た時に時間を戻して……。
太郎よ!
 
イメージ 2
人の心を持った犬・太郎
イメージ 1
イメージ 3
イメージ 4

開く コメント(4)

夏の朝、八月二日の午前九時は私の心中を何度過ぎ経たのだろうか!
十一年、十二年、十三年と過ぎ去って来た。
あの日、平成13年8月2日午前9時、二、三分の間のことだった。
場所は元野犬のボス・太郎、「人の心を持った犬・太郎」と暮らしていた「露庵」のあった「富士見台」。
有度山の麓の小高い山を切り取り住宅地とした場所。
凄い急斜面に碁盤の目の如くに住宅が建ち、高台のため遠くに富士山、三保半島、清水の町、清水港が望めた。
昼日中でも海の底のような静けさが漂い、人っ子一人みかけない。
他所からの人等はほとんど見かけることはなかった。

私はその日からずっーとブログを書いて全国へ発信し続けてきた。
きっと、私の命が閉じられるまで続ける私がいるにちがいない。

野犬から飼い犬になった「人の心を持った犬・太郎」と出会って五年、たった五年です。
私と暮らしていた人の心を持った犬・太郎は死んだと同然な状態となった。
その日の朝を境に。
四ヵ月後、12月11日太郎は死んだ。
その太郎の死は私にとっても死そのものだった。
だけど私は生き続けた。
(どんな思いで生きていたか……って!たった一つの目的のためだけでした。)
なぜ!どうして!誰が! 誰だ! 
私はたった一人でその不条理を解き続けて生きつづける事を決めた。
なぜなら、警察は被害届を受理しながらも迷宮入りにしたから。
私は時効になった後もめげずに行動し調べつづけ不条理を解き明かした。どうして! 誰が! 誰だ! を。
 
一頭の元野犬のボス・太郎が命をかけてまで変えたものがある。
それって何だ!
当地から、
「犬殺し」「犬狩り」とよばれていた
保健所(現在はこの名は消滅している)の
仕事(地域住民からの要望によってなされていた犬等の駆除)が
無くなったことだ。
当時は保健所はそんな要望に忠実だったから致し方ないと言うならそうなのかもしれないが、
私は本当に残酷な人間の仕業の一種だと思っていた。

人の心を持った犬・太郎、元野犬のボス・太郎は最後の野犬だ。
保健所がやっきとなって駆除しっつけていたボス犬・太郎はたった一頭生き残った。保健所の駆除をくぐりぬけて……
仲間や仔犬やメス犬たちたはすべて駆除されたにもかかわらず、逃げて逃げて逃げまくって……
たった一頭生き残った。
http://blog-imgs-52.fc2.com/7/9/7/79792001/s-yakin1_20120428233126.jpg
そのたった一頭生き残った犬・太郎と出会った私も私の人生を一変させて行くことに躊躇しなかった。

私はその犬、名もなき一頭の野犬に魅せられ助けたいと思った。飼い犬にしたいと。

そして、私はした。人間社会の掟にしたがってその野犬と共生することを。

その犬、元野犬のボスは凄かった。
広大な有度山を自由に闊歩していたに違いない野犬時代その野犬の本能を捨てて、
私の暮らしに同化して何一つ人間社会の掟に違反せず、私と生きはじめだしたその瞬間だったのに……。
http://blog-imgs-52.fc2.com/7/9/7/79792001/s-PIC00002_20120509190753.jpg
ほんの一部の人間、たった五名の人間だった。その中になぜか「自治会長夫妻」が居て苛めの先頭にたった。
その者たちは「嫉妬心」ねたみ、やっかみ、の忌まわしい心にどっぷりつかり、気がつかないばかりか悦にさえ入っていた。
凄まじい「嫉妬心」による苛めは自治会長の名の下に八年間も続いた。なぜなら、一年交代の自治会長をおやめになることなく続けていたから。
それはほかに自治会長になられるお方がいないと言う理由からだった。
やりたいお人にやらせておけばという風潮にも原因があったこともいがめないが。
100世帯以上あった住宅地だが、その者たちはほんの近く、向こう三軒両となりだけの者たちにすぎなかった。和室の写真は人の心を持った犬・太郎の最後の姿http://blog-imgs-24.fc2.com/7/9/7/79792001/si5_20111210213122.jpg

私は書き続けた。ブログを。

私はネット上に「人の心を持った犬・太郎物語のその後」として記憶が消えないことを切望しながら
必死で書き続けることで、生き続けてきた。
このブログがなかったら生きてこれなかったと言っても過言ではない。

その間にはたくさんの人達に助けられてきました。

素敵な、力つけられたコメントの数々、
一番最初に中古のパソコンをプレゼントしてくれた教授
その一台のマックのパソコンから私はネットの世界を知った。
たった一人で学習した。独学です。(お金がなかったという理由もあって)
本当にたった一人で図書館の本を頼りに学習していまがあります。
ブログのはじまりはヤフーブログからです。
アップの瞬間のあの胸の「ドキ、ドキ」感は今思えば少女のように新鮮な気持ちだった。
私は淋しいからとか
他人と繋がりたいからとか
何かを助けてもらいたいからとか
一切そのような気持ちはなかったのです。
ただただ
人の心を持った犬その後の物語を既刊以外にしたため続けたいと言う必死さだけだった。
紙に書いたら私が死したあと捨て去られてしまうかもしれないし……と言う不安……。
私の思いは一つ。
世界で唯一の元野犬のボス・太郎の物語を
永遠にこの地球上に遺してゆきたいと事だけだった。
それが「ブログ」だった。

たかが犬、されど犬だ!
元野犬のボス・太郎が命を賭けてまで成し遂げて逝った功績?は
この地から「犬狩り」とか「犬殺し」とよばれていた行政の一仕事を消し去ってくれたことだ!
それ以来駆除は一切されることはなかった。
「人の心を持った犬ー野犬太郎と私の日本平ら物語、ハート出版」の出版パーティー
には気持ちよく保健所の代表者さんも出席、清水市長さんは発起人としてお力になっていただきました)
 
元野犬のボス・太郎が人生を閉じるとき遺したメッセージ。
ここに
元野犬のボス・太郎が世間に一番初めに姿をさらす事のきっかけを作ってくれた
TBSさんの映像がある。
夫の死後、夫は平成7年1月31日亡くなった後から10ヶ月後、
平成7年11月11日、まだこの頃には本の出版はなされていなかったが、
TBSからの取材、そして全国放映
となった。
その時、
テレビ番組の案内宣伝として静岡新聞紙上に載った大きな記事がある。
http://blog-imgs-52.fc2.com/7/9/7/79792001/201207160016116ed.jpg
あの朝、8月2日は清水港まつりの花火の音が聞こえてきていて……。
ギャァーーーーーーーーーー
と泣き叫んだ太郎の物凄い悲鳴は絶対にわすれることはできない。
この悲鳴を上げた瞬間、
何者かが(今は犯人は特定できている)鎖で繋がれて門前で休んでいた太郎の上を車で轢いたのだ)
大腿骨骨頭骨折、後ろ足が折れて、つぶれて、粉砕していた!
 
なぜ、今日このブログを書いたかというと
神戸の小学一年生の女の子さんを遺棄した容疑者が逮捕されたニュースに私は反応した。
と言うのはこの事件の発生時に私は犯人はほんの近くの者だと予感した。
 
人の心を持った犬・太郎事件は難しい事件ではけしてなかったはず。
警察が初動捜査を真剣にしてくれていたならその日に犯人は判明していた。傷口をみることだけでもしてくれていたならば。
傷口から凶器がわかったはず、凶器が車と判明したならば即犯人は判った。
 
私と人の心を持った犬・太郎が住んでいた場所はよそ者が入り込めない環境、急な坂道、閑静な住宅地、行き止まり。
そして、その事件が起きた時間が2、3分の短い、あっという間の時間だった。
私は1分もかけずに現場に飛び出したのに路上には誰一人みかけることはなかったこと。
 
私と太郎の姿を四六時中見ることが出来るものでないと事件を起こすことはできないはず。
 
毎日時計の針の如く9時に軽自動車で出勤する前の家の主人の車が運転席の窓を開けたままその日は一日中あった。
確かに出かけるエンジン音を聞いたのに……すぐにバックで戻ったのだとその時思ったのだが。
 
私はその車の写真を撮った。証拠として……
この瞬間、何者かが(今は犯人は特定できている)鎖で繋がれて門前で休んでいた太郎の上を車で轢いたのだ)
http://blog-imgs-24.fc2.com/7/9/7/79792001/s-mocizuki_20111210214224.jpg
太郎のこの世とはおもえないほどの凄まじい悲しげな絶叫が
静まりかえっている高台の住宅地遠くまでに響き渡って行った……
その太郎の絶叫が今朝私の耳の
底から聞こえていて……。

開く コメント(0)


http://blog-imgs-37.fc2.com/7/9/7/79792001/20100419222521a1c.jpg








ぜんまいの


のの字ばかりの


寂光土         作・川端茅舎




人の心を持った犬・太郎を荼毘に付した平澤寺動物霊園へ行った日も、

今日のような陽光溢れた日和でした。

人っ子ひとりいない森閑の中のなだらかなる道端の荒野に、

のの字に巻いた首をにょきにょきと立てたぜんまいが立ち並ぶその光景に、

思わずシャッターをきりました。

その時、私は


川端茅舎の心眼に寂光浄土を開いて見せた「句」を想いだしてました。

今日その写真にその句を付けてみました。



そして、私はもう一頭の犬「五郎」の事を想ったのです。

有度山から木枯らしが吹きすさび冷たい日でした。

太郎の葬式の日は……。


平澤寺は有度山の北麓にあります。

太郎が居た「露庵」は有度山の南麓です。

五郎は太郎が私と一緒に住み始めてすぐの頃、

有度山への散歩の途中、一キロほど行った山道の側溝の中に捨てられていて、

それを察知した太郎が側溝奥深くから助け出した犬です。

私か゜飼えないので、知り合いのトレーラーの運転手さん、片瀬さんに

南麓の森林を切り開いた空き地のトレーラーの置き場に

犬小屋を作って飼ってもらうことになりました。


片瀬さんはその子犬に「五郎」と名付け、それはそれは大変こまめに面倒をみてくれました。

片瀬さんの自宅は山を下りた街にありましたから、五郎は朝晩、車置き場に通ってくる片瀬さんに

会うのが一番の楽しみです。

昼間はトレーラーでお仕事の片瀬さん、

夜はトレーラーを置いて街の自宅に帰らなければならなかった片瀬さんでしたが、

私が太郎を想ったと同じくらい五郎を想って暮らしてくれました。


私は車の中で突然に言いました。

「太郎と毎日行った有度山をめぐって行ってください!」

車列は花で埋もれた太郎のお棺を乗せて、

太郎と行った、歩いた、走った山道を走ります。

麓の町を通り過ぎ山の中へ入りました。

私はまた言いました。

「太郎を五郎に会わして! 五郎に最期の対面をさせたいのです。お願い!」

「五郎の所へ行ってください!」


今日はお休みの日なので片瀬さんは街の自宅です。

五郎は長い鎖でトレーラーの大きな輪に繋がれていました。

五郎
http://blog-imgs-64.fc2.com/7/9/7/79792001/s-goro_201404231632514a2.jpg


(自由に運動ができるようにと片瀬さんの思いやりです)

車列が五郎の居るトレーラー置き場の際にとまりました。

私はトレーラーの輪に繋がれている五郎に近づいて行きました。

毎日太郎と私は五郎の居る場所に寄って有度山に分け入って行きましたから、

いつもの行動ですが太郎が居ないのです。

太郎と五郎
http://blog-imgs-64.fc2.com/7/9/7/79792001/20140423163614990.jpg



五郎は太郎に「ドーン」と体をぶっつけて喜びます。

太郎はそれを「ガシット」と受け止めびくともしませんでした。

涼しげな目で五郎を見る太郎が……。

今ここに居ない。でも私の心の中に鮮明にその時の姿が浮かぶのです。

私は輪から鎖をはずしました。

五郎がつけている長い鎖を持って太郎の乗っている車に連れて行きました。

お棺の乗っている車の後ろのハッチがあいています。

五郎が突然私の手から離れ長い鎖を引きずりお棺の乗っている車に飛び乗りました。

四か月も会わない太郎に一刻も早く会いたかったのでしょう。

五郎の気持ちが痛いほどわかった私は引きずっている鎖を手繰り寄せ、

五郎を車から降ろしてあげました。


太郎のお棺も車から降ろして、五郎が対面しやすいように足もとに置きました。

お花に囲まれた太郎が五郎の足もとに……。

五郎
http://blog-imgs-64.fc2.com/7/9/7/79792001/s-goro8_2014042316340661b.jpg

五郎はすぐさま、

お花に囲まれた太郎のお顔にびったりと頬をくっつけ、尻尾をちぎれんばかりに振りました。

そして、

顔からずーずーと首







と鼻先をくっっけ匂いをかいでいるようでした。

太郎のお尻の穴に鼻先が来た瞬間!

五郎の様子が豹変しました。

体が小刻みに震えだし、

今しがたまでピーンと張ってまっすぐに上がっていた尻尾は

垂れさがり、またの間に入ってしまいました。

五郎はのけぞるようにして、太郎から離れました。

まさにそこには恐怖に慄く五郎がいました。

五郎は二度とふたたびお棺のなかにいる太郎に近ずこうとはしなかった。


五郎は、

このお棺の中にいる太郎は五郎が想っていた太郎ではない。

太郎のお尻から出ていたあの匂い、

太郎が持っていたあの匂い、

強くって

優しくって

五郎を元気付けてくれた、

犬として、やってはいけないこと、弱い者いじめをするな

仲間をおもいやれ、

人の嫌がることをするな

そんな匂いを太郎は五郎に発して教えてくれていたのに、

微塵も発していないなんて、

ここにいるのは「太郎おにいちゃん」じゃあない!

太郎お兄ちゃんが僕にくれつづけていたあの匂いがしないなんて、

いまここにいるのは心や魂が抜けた、身体だけだ……。

太郎お兄ちゃんはもういない!

太郎お兄ちゃんの匂いは……。


私は再び五郎をトレーラーの大きな輪に繋いであげました。


黒っぽい体毛の五郎の姿が、暮れなずむ山にのみこまれ車窓から消えて行く……。

http://blog-imgs-47.fc2.com/7/9/7/79792001/20131116174741135.jpg

(えほん)ひとのこころをもったいぬ・・・ひだかやすし画伯のラストシーンは
暮れなずむ有度山の頂上、日本平を雄大に深く哀愁こめたタッチで描いてくれていて。

私はこの絵を見るほどに太郎の存在を痛烈にに思い浮かべさせられているのです。

日高康志先生! どうかその後の物語を切望します!


http://blog-imgs-64.fc2.com/7/9/7/79792001/201404231711116dfs.jpg


太郎はいつだってこうして、私と暮らしていた露庵の前の空き地からじっーと太郎が仲間と居た

有度山、日本平を万感をこめて見ていたのです。生きているあいだじゅうは……。

http://blog-imgs-64.fc2.com/7/9/7/79792001/usiro_20140423170858191.jpg




有度山よ!


太郎よ!


五郎よ!











http://blog-imgs-47.fc2.com/7/9/7/79792001/s-s-hon5_20131116174651fec.jpg

http://blog-imgs-47.fc2.com/7/9/7/79792001/s-s-SAVE0739.jpg

http://blog-imgs-47.fc2.com/7/9/7/79792001/s-saigo_20131116175228ae9.jpg


http://blog-imgs-47.fc2.com/7/9/7/79792001/s-s-SAVE0016_20110618223809_201311161755037e8.jpg

開く コメント(0)

静岡新聞、読売新聞、毎日新聞、朝日新聞、中日新聞、5紙を読む。

日本中に重大な人権侵害の渦をしらしめ、残酷さに心ある人たちは怒り、悲しみ、あきれ、

そして、静岡地裁裁判長の確定判決を死守しないまっとうなる判決に心底から感動した昨日今日でした。


ネットをすみからすみ見ても誰一人袴田さんを悪く言ったコメントはない。

日本中の人々がみんなこぞって袴田さんの人生をめちゃめちゃにした警察、検察、裁判所に怒り抗議していた。






http://blog-imgs-64.fc2.com/7/9/7/79792001/line_w01_20140330115955d3d.gif





48年はなんだったのか 清水区の現場


静岡市清水区横砂東町のJR東海道線沿いにある事件現場。

半世紀近くがたち事件を思い起こさせるのは火災による黒いすすが残る蔵ぐらいになった。

現場近くに住む男性(74才)は「この48年は何だったのだろうか。誰もが不幸じゃないか」

と嘆き、家族4人を失い現場の隣で今も暮らす長女(奇しくも28日長女のお方はお亡くなりになったとニュースで知る)を

「犯人が分からなければ何も気持ちがはれない」と思いやった。

「優秀な刑事をたくさん投入して捜査をしたと聞いていたのにもう捕まらないね」と声を落とした。


確定判決で犯行時の着衣と想定された「5点の衣類」をみそタンクから見つけた

元従業員の男性(82才)静岡市清水区は

「裁判所の判断はおかしい」と首をかしげた。

その一点のステテコは「確かに彼がはいていた物だった」と強調した。

「袴田じゃあないとしたら誰が四人を殺したんだ」と声を荒げた。




袴田さんを逮捕した後に取調べした元清水警察署員(87才)藤枝市は

「裁判所の判断は重い。受け入れるしかない」と淡々と話した。

ただ、捏造の疑いについては「心外だ。そのようなことは絶対にない」と語気を強めた


以上は2014/03/28の中日新聞が被害者を知る人の取材をした記事だ。



5紙を見て上記の様な被害者の近くの人を取材した記事を載せていたのは中日新聞と朝日新聞2紙だけだった。



次に
2014/03/28朝日新聞の記事を記す。

「真犯人は」 被害者知る人


一方、殺害された専務家族を知る関係者は、複雑な胸中を口にした。

「事件が振り出しに戻ることになる」

静岡大学在学中に長男雅一郎さん(当時14才)と次女 扶示子さん(17才)の家庭教師を務めていた

静岡市清水区の男性(69)は再審開始決定を伝えるテレビを見て、やり場のない気持ちに襲われた。

「ごく普通の家庭だったのに、大切な命を奪われて、家庭も仕事も壊された」

おとなしい雅一郎さん、ビートルズファンだった扶示子さんの姿がまぶたに浮かぶ。

「袴田さんが無罪なら、真犯人はだれか」と男性は自問する。

「公平公正な目で裁判をやり直してほしいが、被害者のそばにいた人間に割り切れない思いは残ってしまうだろう」


みそ製造工場の元従業員の男性(82)は

「五点の衣類が捏造された疑いがある」

とした地裁の指摘に、合点がいかない。

事件から約1年2ヵ月後、工場のタンクから「五点の衣類」を見つけた本人だからだ。

「(袴田さんが五点に含まれる)スポーツシャツを着て外出したりするのを見たことがある。

捏造は考えられない」と話した。


また別の元従業員の男性(73)も「みそに漬かっていたのなら、衣類に付着した血液に

影響すると思う」と採用された弁護士側のDNA型鑑定の結果に疑問を投げかける。

「裁判所は弁護士側に都合のいい証拠を採り上げているのではないか」と話した。




http://blog-imgs-64.fc2.com/7/9/7/79792001/line_w01_20140330115955d3d.gif







私は思った。

あくまでも私個人の考えです。

中日新聞と朝日新聞記事の中にこそ、真犯人のヒントが隠されているのではと思った。

警察がいかに血にまよって、袴田さんを犯人へ貶めようと必死だった様子が透けて見えるからだ。


そしてもう一つの

なぜならがある。


「人の心を持った犬」太郎を三分の間に大怪我をさせ死に至らしめた事件で私はまったく同じ経験をした。

まだ、気が動転していて何がなんだか分からないそんな時、

すぐ近くの者(後に特定した犯人だった者)が先回りして、

「何だ!何がかわいそうだ!犬畜生のくせして! おい!裁判かけろよ!」

「早く裁判かけてみろよ!」となぜか勝手に怒り狂うようにして自宅から大声をだして叫んだ。

そして、夕方には近所に「太郎は病気でなった」と言いふらしてまわっていたのだった。

私がそれを知ったのは、

太郎を知る親しい人に、

何者かに大怪我をさせられ大変な状態ですと伝えたところ、

話が違っていて、太郎は病気でなったとすでに知らされていたからです。

私はちがいます。太郎はけがさせられたのです。

すぐ太郎を見に来てください!

「お願いします」とお二人の奥さんを呼んだ。

お二人はすぐ来てくれて太郎を一目見るなり

「違う! 太郎は病気なんかではない! かわいそうにこんなに大怪我させられて

かわいそう、かわいそうに」

と病気でなったという情報がうそだったことを認め

太郎の傷口や歩くことも出来ないことも確認してくれたのです。


事件直後、主治医のヤマ獣医師さんが撮ったレントゲン写真。

警察は私が必死になって「どうか!ヤマ獣医師さんへ行き太郎の傷を確認してくださいとお願いしたが

二年間も放置し続けてヤマ獣医師さんへは確認することはなかったのです。(ヤマ獣医師さんからのお話で分かる)

続編ー「人の心を持った犬-最期の物語」扶桑発行の出版パーテーの時ヤマ獣医師さんがスピーチした。

参加してくださったたくさんのお方の前で。私がちょっと席をはずした時だったという。

「私は遠藤さんには気の毒で話できなかったのですが、

太郎の骨は折れて、砕けて、そしてつぶれていたんです」と切なそうにヤマ獣医師さんは告白した。

警察が重い腰を上げてヤマ獣医師さんへ行ったのは署名運動が起こり5000名の善意のお心が詰まった

ご署名を提出しに新しく赴任してきた石田捜査一課長へ行った後だった。

その時石田捜査一課長は捜査をいちからやり直すと約束したのにそれは果たされなかった。

すぐに配転しすがたを消したからだ。

専門医の証拠写真も見ようとしなかった清水警察だ!

何の圧力におびえていたのでしょうか!


太郎の骨は折れて、砕けて、そして潰れていた!http://blog-imgs-64.fc2.com/7/9/7/79792001/rintogen.gif






太郎事件の犯人は私のほうから一言も言わないのに先回りして、

工作をしていたり、裁判かけろよと私が考えもしないことを言ったりした。

犯人は自分が犯人だと思われたくないので工作し虚勢をはる。



袴田事件の五点の衣類は警察の捜査で発見されたのではなかったのですね。

その当時の従業員が発見したのですね。事件後一年二ヶ月も経った後に。

驚きです。


48年も元同僚だった者が無実の罪で無罪になるというのに、

どうして袴田さんに対して記事のような発言が出来るというのか、私は摩訶不思議におもった。

開く コメント(0)

袴田事件再審開始
開いた「生」への扉 届いた無実の叫び


2014/03/27 10:00   夕刊静岡新聞の一面大見出しの文字より!


私は午前10時テレビ画面に釘づけになっていた。

静岡地裁再審決定を大衆に知らせるため走り出てきた弁護士さんの見せたその印に。

感極まって私は泣いた。

自分のごとくに思われて泣いた。


8年前、何一つ先入観もはいっていない心が小さく載っていた新聞記事にすいつけられて、

袴田死刑囚無罪を応援する会に行った。それは正しかった。

なぜなら、私は直感でその会を何十年も支援し続けておられるお方達にものすごさを感じとったからだ。

だから、其処にはきっと正義がある。袴田死刑囚は冤罪だと。

あれから8年。

今日それが現実となった。

私の心の直感は正しかった。

私が惹かれるものはすべて一頭の犬、太郎と繋がっている。


人の心を持った犬・太郎事件、元野犬のボス・太郎を飼い犬になった瞬間、死に至らしめた

その事件は清水警察署が被害届を受理し捜査するのが当たり前だったのにその当たり前をおろそかにした。

たくさんの署名を示しても(石田捜査一課長へ提出)なんのその、捜査続行を約束しても、なんのその……

http://blog-imgs-64.fc2.com/7/9/7/79792001/s-kiisatu_201403281013186c7.jpg

捜査続行のお願いの署名を提出してその約束を交わしたのにかかわらず受理した捜査一課長はその後すぐに配転。

そのまま、迷宮入りにした。


袴田事件は当地旧清水市に起きた大きな事件。

当然管轄の清水署が中心になって県警本部、強行班捜査一課も立ち上げ総数7000名あまりの捜査官

による捜査がなされたという。

偶然にも私はその捜査に加わっていたある強行班捜査一課の刑事と

13年前彼が亡くなるまで家族ぐるみのお付き合いがあった。

昔ながらの小説にも出てきそうな職人肌の刑事さんだった。

見ていないようで見ているその緻密な観察力はごまかせない。

だけど、女性も及ばないであろう細やかな心遣い。

贈り物をいただいても、絶対に的をはずさない、

私が望んでいたものを察知しそれをひそかに探してあって

的を得た時にそっーとくれたのです。

仕事面での研ぎ澄まされた捜査のしかたと

一方人間として持たねばならないほんのりしたやさしさと思いやり

を一緒に持っていた。

専門用語で? 「落としのデカ長」と呼ばれていて……。

私の事件、太郎事件が起こったその時、彼は退職後たった10年余りしか生きられず病死した。

私にその知らせは届かなかった。

私はその時期苦境のどん底に居て、転居したはかりのそんなときだった。

新しい転居先に一人娘さんからそのはがきが届いたのは一年もたったころだった。

父が亡くなりましたとしたためたはがきがとどいたのは……。



そんな時、

私は袴田死刑囚の支援の会に一人参加していた。

今夜は袴田事件を捜査した刑事さんを思って書いている。

いきていたならば彼はまだ86才頃だったと思う。

今日の再審開始を彼はあちらの世界でどのような気持ちで観ているのだろうか。

聞いて見たいとおもっています。

「あの事件は冤罪だ!」と私につぶやいたことがあったように思えていたが……。

私はいえる筈がない。

警察官は死んでもその職業に忠実であって、従わねばならないのだと彼は言っていたから……。





袴田事件第2次再審請求審を担当したのは村山浩昭裁判長(57才)は

1983年、大阪地裁判事補を皮切りに、福島地家裁いわき支部長、東京高裁判事など歴任、

2012/8月に東京地裁判事・部総括から静岡地家裁判事・部総括に就いた。

東京地裁では09年覚せい剤取り締まり違反の罪に問われた女優(43才)に懲役1年6ヶ月執行猶予3年を

言い渡したのをはじめ、11年には7人が死亡、10人が重軽傷を負った東京秋葉原の無差別殺傷事件で死刑を宣告。

静岡地裁では、静岡地検事務官による捜査情報漏えい事件で裁判長を務めた。

昨年、11月には覚せい剤取締り法違反の罪に問われた男性(52才)の公判で県警違法捜査を認定して無罪判決

を言い渡した。

(2014/03/27の静岡新聞夕刊より)

の小さな記事、袴田事件の再審開始を決定してくださった静岡地裁の裁判長さんの記事に心運び

すごい!凄い! 正しい、まともな、面子に執着しないよい心のお人があらわれたんだなぁーと

じっと見入ってブログに書き記しました。

袴田事件は凄いことを教え、人たちの悪い心を変えてくれるきっかけになると思った。


<静岡地裁の決定骨子のなかで次の一文に私は驚愕し感動した。

袴田は捏造の疑いある証拠によって、有罪とされ、

長期間死刑の恐怖のしたで身柄を拘束されてきた。

無罪の蓋然性が相当程度ある以上、拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する







どうか忘れないでください!

「人の心を持った犬」太郎と私を!


私は12年かけて太郎を死に至らしめた犯人を特定した。清水警察は時効に追いやっただけだ。

時効が過ぎていたが私はその報告を事細かに清水警察へ報告しに行く。

午前9時から午後過までかけて、総務課、生活安全課、捜査一課、捜査2課(今は刑事1課、刑事2課と変わっている)

交通課、関連したすべての課の代表たる二人の刑事さん達へ説明と抗議をした。

対応したすべての刑事さんたちは穏やかに真摯にすべてを聞いてくれたが、

「まだ民事があります。100パーセント大丈夫です。民事を……」の言葉でした。

それに対して私は答えた。

「私は私のやり方で太郎の事件を処理させていただきます。私のやり方で……」。



一冊の本「人の心を持った犬」をお読みいただき、

太郎を知ることになった全国のたくさんの人たちへお知らせ出来ましたら本望です。


警察が逮捕できなかったこと、どのような権力が加担したのか等

私が犯人特定に至ったその経緯と時間、そして太郎に大怪我を負わせた者(当然仮名ですが……

を私なりの表現をもって万感をこめて綴った12年間が私が出来る太郎への鎮魂



http://blog-imgs-64.fc2.com/7/9/7/79792001/2014032720425309e.jpg




http://blog-imgs-47.fc2.com/7/9/7/79792001/201311161750240bc.jpg

http://blog-imgs-47.fc2.com/7/9/7/79792001/20131116174741135.jpg

http://blog-imgs-47.fc2.com/7/9/7/79792001/s-SAVE0739_2013090722295659c.jpg

http://blog-imgs-47.fc2.com/7/9/7/79792001/s-saigo_20130906233043c22.jpg




http://blog-imgs-47.fc2.com/7/9/7/79792001/s-SAVE0016_20110618223809.jpg

開く コメント(0)

全184ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事