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詩をひとつ書こう
秋亜綺羅
「あしたがある♪ あしたがある♪ あしたがあるさ♪」
なんてみんなで歌うと、勇気が出てくる時代は悲しい
「俺たちにあすはない」
とばかり、いきがっていられた
そんなあしたは、もう、どこにもないのだ
詩をひとつ書こう
世界じゅうのたくさんの人生のために
というのは嘘だ
写真が一枚あれば詩は書けるさ
というのは嘘だ
写真の一枚に詩があるのにすぎない
詩があるのにすぎないのだ
人生ということばはたぶん嘘だ
切り取られた一瞬が
詩であるだけなのだ
活け花で枯れた葉を
はさみで切り捨てるように
巻かれたフィルムのなかの
枯れ葉のような一枚を
それが人生でいちばんの
一枚きりの写真なのだから
写真はきのうを撮ることはできない
残念だが、あしたしか撮れないのだ
夜眠るまえには必ず
写真を一枚撮るんだよ
あしたを作っておくのさ
安心して目覚めることができるでしょ
あしたになったら
あさってを作るんだ
いつか死ぬ日が来るよね
そしたら、あしたにおさらばさ
きのうにおさらばより
かっこいいじゃないか
詩をひとつ書こう
モノクロのネガを、あしたを
裏返すために
●●● 「季刊ココア共和国第9号」 のおしらせ ●●●
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詩
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明日の数を数えられるようになったらどうしよう。
ポチ。
2012/4/6(金) 午後 10:05 [ シープ ]
カッコいい詩ですねェ。
オイラも詩を写真に撮りたいけど
こんなカッコイイ詩が撮れない。
寝るときに夢を撮ろうと
枕元にカメラを置いておくのに
夢もまだ撮れないでいる…。
2012/4/7(土) 午前 1:05 [ お祭りTOSHI ]
夢を撮ったら
夢じゃなくなってしまう、よ。
夢は見るだけ
だから夢。
叶えたい夢も
撮る事は出来ない
叶えてからじゃないと。
夢を撮れる時がきたら
それは夢じゃなくって
現実。
写真には現実しか写らないのだ。
今、明日、明日の明日の明日の明日の明日へと
続く日のこと。
それも
ずっと生きていられたらのことだけれどね。
2012/4/7(土) 午前 10:01 [ M。bunko ]
こういうのをどや顔っていうのかね?
ぜんぶどこかで出会った発想
2012/4/7(土) 午後 8:44 [ 郵便屋さん ]
シープさん。
残念ながら明日は1日しかありませんね。
明日の明日も、1日しかありません。
明日と昨日をたして2で割ると、
きょうになります、ね。
2012/4/7(土) 午後 11:08 [ ココア共和国 ]
お祭りTOSHIさん。
お祭りTOSHIさんの写真とそれに付される詩は、
とんでもなく、かっこいいです。
わたしも子どもの頃、夢とか、幽霊とか、魔法をかけて狂い出す時計とか、
写真なら撮れそうな気がして、カメラを枕元に置いていました。
カメラも眠ればいいかもしれないと思って、
いっしょに布団の中で寝たりしました。
けっきょくカメラは、夢を撮る道具ではなく、
撮るひとに夢を見させてくれる道具だったことに、
おとなになって、気づくわけです。
2012/4/7(土) 午後 11:31 [ ココア共和国 ]
M。bunkoさん。
写真のプリントには、フレームの中の現実しか写らないけれど、
現実という名の世界には、フレームなんてありません、よね。
宮内文子の写真には、フレームの外側にある真実や、心的な内実や、動いている時間までもが隠れている。 そんな気がするんです。
その、隠れているものにこそ、鑑賞者は心を動かされてしまうのかもしれません。
素人のくせにナマイキいって、ごめんなさい。
2012/4/7(土) 午後 11:56 [ ココア共和国 ]
nag**agi*agiz*さん。
そうですね。 ちょっと時間ができたので書いてみた。 程度の出来でした、ね。
nag**agi*agiz*さんが 「どや顔」 というように、
前半で、いわゆる定義どおりの詩のレトリックは、わたしの目論みでした。
問題は、
「写真はきのうを撮ることはできない
残念だが、あしたしか撮れないのだ」
という2行で、表現法の劇的な変換をすべきだったのに、失敗した。 ということでしょう。
写真は、きのう(過去の形跡) を撮ることはできるが、
あしたを撮ることはできない。 というのが一般的な常識なはずなのに、
この2行で、わたし自身は 「ネガの世界」 に飛び降りたのでした。
詩の力(?)でネガになってしまった 「あした」 を、
また詩を書くことで、元に戻そう。
といったロジックはへたくそだったけれど、
わたしにとって、はじめての冒険でした。
「ぜんぶどこかで出会った発想」 といわれますが、
どなたの発想だったか教えてもらえたらありがたいです。
2012/4/8(日) 午前 0:39 [ ココア共和国 ]
なんかドキッ
としました
過去現在未来…今日も寝て起きたら未来です。

想い出
海馬にうえつけて過ごしています(^^;
最近は心のファインダーから未来を見ています
過去は
2012/4/8(日) 午前 3:18 [ naorin ]
毎晩、眠りに就くときに、不安な気持ちだと眠れないです。
疲れきって電池が切れたみたいに眠るということは、ありますが…。
そんな時、明日の写真が一枚胸にあれば、安心して眠ることができるのだと思います。
その、はっきりとはしませんが、明日という日を迎え入れようという気分が、詩となったりするのでしょうか。
この詩を読ませていただいて、そんなふうに感じました。
2012/4/8(日) 午前 7:31 [ 雑賀 葉 ]
いい詩ですね(*^_^*)
2012/4/11(水) 午後 10:09
私は写真で何を撮るのだろうかと考えた
いまをとっているんだ。植物/樹、花、雑草のいま いま行き会った小動物 いまの光の中での環境、。瞬間瞬間で変化する今、、
記録ではない、発見か。既視の瞬間なのか知らなかった瞬間なのか。
こんなことを考えるきっかけをありがとうございました。
デジカメができてから整理や印刷代やらがかからなくて貧していてもでもこんな楽しみができるようになった。
2012/4/14(土) 午前 7:22 [ contemporary Eat & Art ]
なおりん♪さん。
1カ月過ぎてのリコメです。
ごめんなさい。 もう、見てくんないだろ、な。
未来が見える心のファインダーというのは、素敵ですね。
それはたぶん、未来をつくることと、同義なのでしょう。
2012/5/4(金) 午後 1:28 [ ココア共和国 ]
SAIKAさん。
写真家にとっての写真と、詩人にとっての詩は
同じだと思うんです。 あらゆるアーティストにとっても…。
いまいちばん、新しい自分を持っていないと、
安心して眠れない。
新しい自分というのは、たぶん、あした(未来)のことです。
2012/5/4(金) 午後 1:37 [ ココア共和国 ]
bb-starさん。
ありがとです。
2012/5/4(金) 午後 1:39 [ ココア共和国 ]
contemporary Eat & Art さん。
一眼レフカメラで、シャッターをおろす瞬間、
ファインダーは真っ暗になりますよね。
(デジタルの一眼レフもそうだと思うけれど?)
ということは、写真というのは、
「これが、わたしが見ていなかった瞬間です」
ということになるんじゃないでしょうか。
写真家が目をつむっていた瞬間を集めたものを、
写真集というわけですよ、ね。
2012/5/4(金) 午後 1:57 [ ココア共和国 ]