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受贈詩誌の感想
「ネビューラ 第40号」
2014年12月20日
代表:壺坂輝代
〒700-0817
岡山市北区弓之町5-22-502
つまずきの石を友として
私は暗闇を歩いている
と言うのは簡単だ――
霜降る朝の小石
たくさんの小石――青い景色に流されて
静かな川の奥に眠る
黒い急流に飲まれていった
それらのひとつひとつに
つまずいてみたい
ころぶ時の感触――手のつき方や驚き方
さっと血が引いて そしてすぐに
収縮した血管が柔らぐ重苦しい安堵
目的地までは果てしない
なかなか先に進めないのだから
(武田章利「小石のエレジー」)
歩いているとつまずくことが度々ありますが、つまずくことを怖がって避けながら歩くのは勿体ないと思っています。ころんだときの風景や感覚は歩くときとはまた違っていて、痛みに泣いたとしてもそれを感じられただけで、つまずいたことにもつまずいた石にも、意味があるような気がしてきます。再び立ち上がって歩くときの見え方はころぶ前と少し変わっていて、似たような石にはつまずかないように気を付けるようになって、そうやって歩いていくこと自体を歩く理由として、今日も。
「MÉLANGE Vol.16」
2014年12月17日
編集・発行:福田知子
〒603-8146
京都市北区新御霊口町262-502
人間になりたくない
言の刃・だ・のだ・である・ではないの詩
岩脇リーベル豊美
***受肉
言葉になる前の魚はナイフだった
鱗を煌かせながら翻るナイフだった
肉を受けて言葉は人間になった
人間は白い腹を素手で掴んだ
静思の水底で還る言葉はひとつ
問い掛けに必要な答えはなかった
離魂病の論理をもち出した
それでも過渡を巧く解き明かせなった
冷たい宇宙の破片に悲観していた
彼女とそれは支えあって矛盾した
森羅万象をありのままに好きになりたかった
肉を言刃で切り取った
ふつうに腐りたいと思う一瞬だった
受肉しなければ良かったのに。
と思ってしまうのは、仕方ありません。
魚は見えたあとすぐにいなくなってしまうので、
掴まえたくなるのも、仕方ありません。
眺めるだけではなく触れたいと欲するのが、
人の性ではないでしょうか。
ありのままに好きになるなんて、無理な話です。
それができるなら、詩は要りません。
繰り返される高揚と落胆の波間に、私は魚です。
まだ、人間になりたくはありません。
「視詩 No56」
2014年12月17日
著者・発行:田名部ひろし
埼玉県東松山市松山町2-7-36
見る詩
p..6−7のイラスト
(田名部ひろし「火も水も天地も怒る、かわりばんこに」)
美術部の妹が「パッと見て分かりやすい、面白い!」と申しておりました。
行儀よく文字が整列している詩が多い中、やはりインパクトがあって目立ちます。
制服の黒髪の子達の中に、一人だけドレスで金髪の子が混じっている感じです。
そうでした、規則なんてあってないようなものでした。と、思い出させてもらいました。
「something20」
2014年12月25日
編集・発行:サムシングプレス
〒180-0006
武蔵野市中町3-1-9-302
思い出のリング
陽の下で踊る土埃 上履きの底に運動靴の土をつけ 小学生たちが列を作っている 壁に貼られた視力検査表に ランドルト環は並んでいた 子どもたちはおかしな形の黒いスプーンを目に当てるのが楽しかった 図形は見えるけど 先生の指示棒が細すぎて見えないんだよね 見えても 見えなくても 子どもたちは笑った その日ひらいた花のように
(岡野絵里子「ランドルト環は傾く」)
あれって「ランドルト環」っていうんですね、初めて知りました。小学生のとき、自動車のハンドルみたいだなと思って、その進行方向(穴が開いてない方)を指差してしまった覚えがあります。
視力検査の日の朝にブルーベリージャムを塗ったパンを食べ、順番が回ってくるまでできるだけ遠くを見ようと一生懸命窓の景色を眺めていたのが、中学生のとき。それでも眼鏡を頂戴することになってしまいましたが。
乱視なので夜空のランドルト環が幾重にも見えて、どこを指差せばよいのやら未だに分かりません。
また、こちらの詩誌は、作者名を大見出しに置き、一人あたり詩を三篇程度+エッセイという構成で、どんな作家がどんな作風の詩を書いているのか、とても分かりやすかったです。
■藤川みちる (ふじかわ・みちる)=劇作家・俳優・詩人
1991年生。 仙台市在住。
劇団みちるcafé 主宰
●●● 「季刊ココア共和国第16号」 のおしらせ ●●●
●●● 秋亜綺羅詩集 『ひよこの空想力飛行ゲーム』 ●●●
●●● 秋亜綺羅自身による詩の朗読 ●●●
●●● 第22回丸山豊記念現代詩賞 ●●●
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