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かわいいものほど、おいしいぞ ■ 秋亜綺羅
わたしは、じっちゃんっ子だった。じっちゃんは父方の祖父で、とうに亡くなっている。わたしが小学校低学年まで両親とも教師をしていたので、留守番とわたしのおもりが、じっちゃんの主なる仕事だった。わたしが小学校から帰ると、部屋のまんなかのちゃぶ台(食卓)で、じっちゃんは袋貼りをしていた。昔は魚屋でも八百屋でも、古新聞紙や古雑誌で作った袋を包装紙がわりに使っていたものだ。じっちゃんは古い書籍や雑誌をどこからともなくたくさんもらってきて、まずそれを全部読むのだ。小さかったわたしにとって、じっちゃんは世界で一番の読書家だった。読み終わると綴じている針金をはずし、余ったごはんで糊を作り、袋を貼りはじめるのだった。できあがった袋は近所のお店に持って行き、じっちゃんのすこしばかりの小遣い銭になるのだ。そのお金がわたしへの駄賃になり、またじっちゃんの好物の焼酎に変わるのだった。じっちゃんにとって焼酎は、少ない楽しみのなかで、もっとも贅沢なものだった。その焼酎の一升ビンは夕食直前に必ず押入れからとり出され、決まったガラスのコップにあけられて、一気にじっちゃんの喉を流れていく。それはほんとうに一瞬で、ひと息で飲み乾されるのだった。だがそれは一晩にコップ一杯だけで、じっちゃんが焼酎をおかわりするのを見たことはない。じっちゃんはわたしにとって世界で一番、酒の強い男だった。
じっちゃんとの思い出のひとつに、スズメをつかまえて食べたことがある。近くのドブでドジョウをすくったり、庭にヘビが出たといってはとらえて料理したり、そんな時代だった。わたしの記憶ではじっちゃんは、焼酎をしみ込ませたコメを、庭に遊びに来たスズメたちに食べさせた。ヨロヨロと酔っ払って踊るスズメたちを、手でヒョイヒョイと捕まえたのだ。あとはおいしい焼き鳥、というわけだ。
さてすこしく時が経ち、七〇年安保に負けた頃、わたしは東京に住む学生だった。すこしは詩人として有名で、大学にはほとんど行かず、戯曲を書いたり、詩の朗読会のために走ったりしていた。詩の仲間と激しく論争しては酒を飲み、お金はいつもなかった。パチンコでとったボブ・ディランと鯖の缶づめだけが主食だったり、タンポポの葉を天ぷらにして食べたりもした。おなかが減っていた。
その時だった、思い出したのは! じっちゃんのスズメだ! スズメだ! 焼酎をさっそく手に入れてコメをそれにひたした。さあ、今夜のおかずは焼き鳥だ。焼酎にひたしたコメをさあベランダに蒔いたぞ! しばらくすると…、来た。スズメが…食べている、コメを! と、あ、焼き鳥が…、焼き鳥に変身するはずのスズメさんが、とても元気に飛び立って行ってしまった。なんてことだ。東京のスズメは焼酎にめっぽう強いな。強すぎる。
そこで余った焼酎で反省会。じっちゃんとの思い出をもうすこし掘り下げてみよう。
…じっちゃんはスズメをいつもかわいがっていたよな。毎日同じ時刻にコメをあげていた。そのコメはもちろん焼酎にひたされたものではない。スズメたちもすこしずつなついてきて、はじめは庭だったコメも、縁側に蒔かれるようになる。スズメたちはもう部屋にまで入って来るほどだった。そこまで一か月ほど経ったのだろうか。そこでとつぜん、じっちゃんは焼酎のコメをスズメたちに与えることになる。主人を信じ安心しきったスズメは酔いやすい、とでもいうのだろうか。スズメは、酔った。な〜ぜぇ。
あ! わたしは気づく。一か月! じっちゃんは無毒のコメをスズメたちに一か月ものあいだ与えつづけている。それと同じ一か月という時間だけ、台所の戸棚でコメは焼酎に漬けられていたのである。一か月ものあいだ焼酎にひたされつづけたコメは、すでに、スズメを踊らせるだけの魔力をもっていた。一か月、じっちゃんはスズメたちを愛しつづけ、別の場所に置かれたもうひとつのコメは完全にアルコールのカタマリとなっていった。じっちゃんは一か月かけて、スズメを料理していたのだった。
だが、じっちゃんがスズメを長い間かわいがってから、食べたのはなぜか。
そういえば、スズメの焼き鳥をわたしにくれたとき、じっちゃんは確かに言った。
「スズメっこ、めんこいがら、うめぇぞ」
近所のドブですくったドジョウにでも、庭でとらえたヘビにでも、長い時間じっちゃんは無言で話しかけているように、幼かったわたしにはおもえた。
農家の人たちはコメや野菜を、豚や牛を、ほんとうにかわいがって育てる。動物の赤ちゃんがかわいいのは、天敵に同情させ襲わせないためではないか、という学者がいたけれども、わたしはそうはおもわない。かわいいことは、おいしい証拠なんじゃないか。赤ちゃんは肉がやわらかくておいしいよ、というわけだ。
とりあえずじっちゃんは、いのちほど大切な焼酎を、かわいいスズメたちと分かち合ったのだった。
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