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おはやうございます。ここはココア放送局です。聞こえますか。あなたの脳髄とわたしの脳髄が、透明な糸でつながっています。見えない糸電話放送でお送りしています。聞こえますか。
糸は絡まっていませんか。長すぎませんか。雑音がすこし気になります。チューニングはいいでしょうか。
それでは放送を始めます。
朝青龍くん、きょうも元気かい?
※ココア放送局ニュース
J国では「朝青龍問題」といって、一青年が酒を飲んで知人をケガさせたと、国じゅうが騒動になっているそうです。国会で取り上げられるかも、…なんて、なんと、平和でうらやましい国でしょう。
「朝青龍問題」がなぜ「問題」なのでしょうか。ココア共和国情報解析局によれば、その青年が国技の大横綱であること。いままでも「不祥事」が絶えないこと。外国人であること。いろいろありそうです。
しかし横綱としてふさわしくないのでは? というのが「問題」だそうです。J国の伝統としての大相撲を汚すものだ〜、というわけです。
わがココア共和国情報解析局の分析によれば、この原因はなんと、いまのJ国国民の伝統に対する意識の軽薄さからくるものであると断定しました。
もしJ国の伝統を守るということならば、朝青龍を育てた親方が責任をとって辞めるのがほんとうです。辞めないとしても、全責任は親方にあると、謝罪するのがほんとうの姿です。朝青龍にはいっさいの責を問わない。育ての親が責任をとってはじめて、わんぱく少年は自分の行為の重大さに気づくものです。それが、J国の長い歴史が誇る、伝統というものです。自己保身をするおとなたちを見て育つこどもたちは、不幸です。
強くなり有名になりたいというだけで、J国にやってきた外国の若者たちを、温かい目で見守るのも、J国民の伝統の力です。
わんぱく少年は、いつまでもわんぱくでいてほしい。そう思うことも、J国民の伝統の力です。
「横綱はこうあるべきだ」ではありません。そんなことは、横綱が決めることです。
「国技はこうあるべきだ」ではありません。そんなことは、力士たちが決めることです。「べきだ」という概念は、伝統をコンクリートにしてしまうばかりです。
さて。自ら辞めた親方が次の日、朝青龍と出会います。「朝青龍くん、おはよう。きょうも元気かい?」
師弟とは昔からずっと、こんなものです。
師が、弟をかわいい、という気持ちはかわりません。
弟は、そんな師がいるから育つのです。
それを伝統というのだと思います。
では、また。つぎの放送日まで。
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