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こんにちは。 秋亜綺羅です。
「季刊ココア共和国」 vol.8 に掲載された、いがらしみきおの 「人は死ぬのを知りながら」 が、ツイッターなどで話題になっているようです。
上の写真がその、ラストシーンです。 いちばんいいとこ、勝手にブログに載せちゃって、いがらしさん、怒るだろうなぁ。 まぁ、わたしのブログなんて1日200人と読者はいませんから、影響はないでしょう。 へい。
今回は全部で8ページだけの実験版でした。 いがらしみきおに言わせれば、ダイジェスト版、短縮版ということです。
完成すればおそらく、32ページだてくらいになるだろうと思っています。 いま以上の、巨大なスケールの展開が期待できます。
ネット販売、電子出版。 英語版、仏語版なども考えています。 問題は、死ぬほど忙しい、いがらしみきおが、いつ描いてくれるか。 です。 死ぬのを知りながら、死ぬまえになんとかお願いしたいものです。 ははは。
ダイジェスト版である今回の 「人は死ぬのを知りながら」 は、文字だけ並べてみれば、詩人や、哲学者にとってみれば、それほどびっくりするものでもないでしょう。
「人は死ぬのを知りながら」 いがらしみきお
人は自分が死ぬのを知っています
人は自分が死ぬのを知りながら
毎日ごはんを食べます
人は自分が死ぬのを知りながら
誰かに会います
人は自分が死ぬのを知りながら
なにかになります
人は自分が死ぬのを知りながら
笑っています
人は自分が死ぬのを知りながら
黙っています
人は自分が死ぬのを知りながら
かすかになにかを待っています
人は自分が死ぬのを知りながら
なぜ死ぬのかは知りません
実際、いい詩なのだけれど、こうやって書き出してしまっては、いがらしみきおのせっかくの意図は壊れてしまうのでしょう、ね。
ただ、漫画人にしてみると、すごい作品みたいです。
この8ページのために、いがらしみきおは1週間ほどかけて描いています。
たとえば、うえに載せた最終ページ。
人は、いません。
まえの7ページには必ず人が登場していたのに。…
道には、足跡らしきものが遠くから続いて来ていますが、
途中までです。
近くになると、足跡ではなく、木の葉らしきものになっています。
水たまりが4つあります。
水たまりには青空と、白い雲が映っています。
道の横を流れる川には、木々の影まで水面に揺れています。
この1枚の絵のなかでは、舗装されていない泥道だけが、
人工のものです。
人工といっても、川の側にそって歩いた、たくさんの人々の足によって
つくられた道なのでしょう。
遠くの山々も、空も、川も、土手も、
人がつくれるものではありません。
だけど、人がつくった道が中央にいちばん
大きく描かれています。
なぜか、なつかしい。
なぜか、ここで自分は死ぬんだな。
という気にさせられます。 わたしは。
というようなことを、読者がそれぞれ
考えていけばいいのだと思います。
漫画というのはふつう、絵を眺めながら、ふきだしなどの文字を読んで、ストーリーをつくっていくものですが、これは、逆の読み方が必要です。
文字を眺めて、絵を読んでいく…。
絵を読むことで、ことばの奥まで入っていってしまう…。
1枚の絵に、なん時間でも考えさせられる。
その、キー (鍵) となっているのが、文字。
というわけです。
表現にとって、あたらしい分野をつくることになりかねない、記念すべき作品だと、わたしは思います。 コンサートといえばクラシック音楽しかなかった時代に、世界で初めてのジャズが、演奏されたときのように。
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2011年12月17日
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