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第2回YS賞授賞式での恋藤葵(宮城県石巻北高)の朗読
2012年7月26日(木)
こんにちは。 秋亜綺羅です。
昨日と一昨日、仙台市青年文化センターで、宮城県全部の高校演劇部員たちが集まって、「高校演劇総合研修会」 が開かれました。
わたしも講師として呼ばれていて、2日間、30人ばかりのかわいい生徒たちと、朝から夕方までずっと一緒でした。 わたしの講座は 「朗読術講座」 というタイトルで、生徒全員にそれぞれ、自分自身で書いた日記や、詩や、物語や、ラブレターなどを朗読してもらうのです。 ひとり終わるたびにその内容に関して、みんなで討議します。
殺人や泥棒はなぜいけないのだろうか。 とか、リストカットとか、いじめとか。 本気で考えます。 ばか(?)な大人みたいに、「ダメ、ぜったい」 なんていう単純な子どもはいません。 もちろん好きな音楽とか、嫌いな異性のタイプとか、愛するペットやぬいぐるみの話も出てきました。
わたしが役者志望の生徒たちに、自分の書いたものを、なぜ、朗読してもらうのかというと、こういうことです。
絵は絵具を道具とします。 音楽は楽器を道具として演奏します。 詩は言葉を道具として書かれます。 だけど! 演劇の役者は、劇作家や演出家の道具じゃないんだぞ! ということです。 役者は生きている人間であって、道具じゃない。 演劇を作るのは、役者だということです。 役者(生きている人間)が新しい日常原則を試みることが、演劇なんだよ。 ということです。
だけど。 他人が書いた台本や、他人による演出が、きょう自分が精いっぱい表現した以上の満足を得ることができるとしたら、それがほんとうの演劇との出会いとなるでしょう。 他人の作った物語を、他人の振付けで、他人になりきることで、いちばん自分を表現できるとすれば。 それが演劇というものじゃないかな。 と。
上の、YouTube の動画は、ことし宮城県詩人会主催のYS賞を受賞した恋藤葵の朗読です。 恋藤葵も一昨年、わたしの講座の受講生でした。 わたしの授業のときは、iPod で音楽を流し、ケータイにしまってある自分の詩を読みました。 この動画は受賞後すぐのもので、緊張しているところが、かわいいです。
実は恋藤葵はまだ3年生で、昨日も別の先生の講座を受けに来ていたので、昼休み、会場のレストランでデートしました。 いいだろ。
高校生は、こんなにも豊かな表現をするのだ。 というところを見てほしいです。
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