ココア共和国

ここはどこだ。ここはココア共和国。きょうはここらでココアにしよう。秋亜綺羅のブログです。

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──わたしは詩人の・・・・・です。
──詩人の、って。 あの、詩? ですか?
──はい。 いちおう、・・・・・賞ももらっていますし…。
──へえー。 詩人でも賞を取るとうれしいんですね。
   学者もノーベル賞だとかといってはしゃいでいるし、ね。
   詩人くらいには、そんなものいらないって言ってほしいですねぇ。
──……
 
 と。 どうしてか、秋亜綺羅詩集 『透明海岸から鳥の島まで』(思潮社・2012.08) が、第22回丸山豊記念現代詩賞をいただけるそうです。
 学者とか文学人にとって、ひとつのことを研究・追究することと、賞をもらうことでは、確かに次元を別にして考える必要があると思います。 さっきまで出来なかったことに挑戦することの目的は、他人(ひと)に誉めてもらうためではないでしょう。
 
 賞をもらうということはいささか気恥ずかしいけれど、やっぱりうれしいかな。 とくにこの丸山豊記念現代詩賞は、福岡県の一都市である久留米市が、全国の詩集を対象に選ぶという、壮大なスケールをもった市民の、文化を大切に考える心がこもったものです。 しかも応募制の詩人賞が多いなかで、丸山豊記念現代詩賞は応募制ではありません。 応募してまで賞が欲しいのかよと、自問自答する詩人は多いと思うのです。
応募となれば、自らほかの詩人たちと競争しますという宣言を意味します。 そんなことをさせない、久留米市の配慮も感じられます。 それらの意味で、わたしは最高の賞をいただいたと思っています。 最高の誇りを感じています。
 
 
 
 
第22回丸山豊記念現代詩賞受賞のことば(記者発表全文)
                                        秋亜綺羅
 
 畏敬する丸山豊先生のお名まえの賞をいただくことになりました。 わたしは六十二歳になったいまでも、ことばの海をうまく泳ぐことができず、溺れそうになりながら、もがき続けています。 そんなわたしにこのような名誉が、突然舞い降りてきたのでした。 藁をもつかみたい溺れる者に、重い、重い名誉がのしかかってきたのであります。
 丸山豊先生の詩に 「詩人」 というタイトルの短い散文詩があります。 「詩人は 画家 僧侶 駅長 キャベツ 幼児 水夫ではない。 寺院のような揺りかごのような住所をもたない。 詩人はほとんど言葉を持たない。 そしてたぶん 画家 僧侶 駅長 キャベツ 幼児 水夫である。 走ってゆく光をおそれるように ただひとつの言葉をおそれ その言葉によって生き その言葉のために一歩前へすすむ。」 (詩集 『水上歩』)  というものです。
 たとえば今回受賞したわたしの詩集の中の 「猫うつしのキッス」 などは、明らかにこの詩の影響を受けています。 なぜ 「キャベツ」 なのか。 「水夫ではない」 がどうして 「水夫である」 と等しいのか。 この一見ナンセンスに見せる逆説の方法を乗り越えようと試みるわけだけれども、壁にぶつかってしまうのです。
それは 「丸山豊」 という名の巨大な壁なのだろうと思います。 新しくないものは古くもなれないというけれど、丸山豊先生の詩は残念ながらまだ新鮮で、現代詩にとってまだ誰も乗り越えていない壁なのだと考えます。
さて、わたしの受賞詩集の中に 「津波」 という詩があります。 大震災直後 「進入禁止」 の立看板を無視して、一面が水田だったはずの場所に二日間しゃがみ込んでいました。そこには、流されてきた屋根、自動車、大木、船たちが共存していました。 どんな現代美術だって不可能だろう、そんなスケールのドローイングでした。悪いけれど、感動するしかありませんでした。
新聞記者ならば現場に行って取材メモをとるのが仕事であるように、わたしは詩人として取材し、詩を書くつもりでいました。 だけどその二日間、ことばはひとかけらすら浮かぶことはありませんでした。 ただただ意味もなく、涙は止まらないのでした。悔しいだとか、悲しいだとかじゃないのです。
 「たとえばひとりの幼女が交通事故に遭って、倒れたまま自分の血で 『おかあさん』 と、アスファルトの上に書いたとする。 その五文字より衝撃がないものを、詩とはいえないでしょ」 などと、それまでわたしは粋がって話していました。 だけど被災の地には 「おかあさん」 の五文字がいたるところ、どちらを見回しても、現実として存在したのでした。 現実の 「おかあさん」 は強烈でした。
家に戻ってからも二か月ほど、詩を書くことはできませんでした。 その間、信じられないほど悲惨な事実を、多く耳にしたりしました。 わたしはもう詩を書くことなどないんじゃないか、と思ったりしました。
だけどある日、ぽつりと、ことばが出てきたのです。 あの二日間を、わたしの脳がことばにし始めたのです。 詩をつくり始めたのです。 わたしの脳には、まだ流されずに残っていたことばがあったのです。
それは寒くて真っ暗い夜、数日ぶりに電気がついた瞬間。 水がなく即席ラーメンすらそのままかじっていた食事どき、蛇口から二週間ぶりに水が落ちてきた瞬間。 一か月ぶりに都市ガスが来て、風呂に入れるぞと叫んだ瞬間。 それらと同じくらいに、それはうれしい瞬間でした。
わたしは 「津波」 を一気に書きました。 この詩は長ったらしく、一人称(わたし)が次々と変わるので、学校の国語の授業的には、駄作の見本となることでしょう、たぶん。
一人称(わたし)が、恋人を見失った青年だったり、一匹の金魚だったり、がれきだったり、ままごとをする子どもだったりと、勝手気ままに変化していくのです。 だけどわたしは、これでいいんだと自分にいい聞かせました。 これは小説じゃないのだから。 いや、詩である必要だって、ないじゃないか。
 「津波」 では 「太陽がいっぱい!」 ということばが連呼されます。 四〇年以上もまえ、寺山修司先生の朗読劇 「書を捨てよ、町へ出よう」 で、東京に家出して来た全国の高校生たちが全員で叫んだことばです。 家出と津波とではまったく違うけれど、目のまえがなく、目のまえのことしか考えられないとき、叫ぶのです。
 「太陽がいっぱい!」
選考してくださった清水哲男先生、高橋順子先生に深謝いたします。 そしてなによりも!  「現代詩」 という、 「生活」 というよりどちらかといえば 「学術的」 と思われがちな芸術分野に対して、このように全国的な壮大な視野を持たれる久留米市民のみなさんに、激烈に敬意を表したいと思います。

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