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こんにちは。 秋亜綺羅です。
10月11日(金)夜、仙台市青葉区立町にあるライブハウス・サテンドール2000で、梅津和時(サックス)・秋亜綺羅(詩)・伊藤文恵(舞踏)ライブがありました。 リハーサルなど一切なく、3人が出会って15分後にはゴング。 2時間に及ぶ、激しく、せつない?! 祭りは終わりました。 お祭りの後はふつうむなしいものだけど、この夜ばかりは余韻がさめやらないままで、日付変更線をわたることができました。
3人はそれぞれ互いのパンチを受けとめながら、自分の個性と技術の限界を出し切ったように感じました。
いささか狭い会場は、超満員。 詩人の一方井亜稀、藤川みちる、伊達泳時、高橋泉、エンタテイナーの日野修の顔も見えました。
写真を撮ってくれたのは、横浜から来てくれた写真家・宮内文子。
ビデオも撮影していたので、公開されたらまた報告します。
■ あやつり人形
完璧な暗闇で目をつむると
水溶性の映画がやってくる
世界でいちばん明るい場所がそこにある
マッチを擦って煙草に火をつけた
瞬きすれば使い捨てガスライターの時代が使い捨てられる
わたしの国の天井では電球から蛍光灯へと吊るし換えられた
わたしたちの命題は夜を暗闇に葬ることなのか
地震が起きて電源が失われる
わたしたちのあやつられる足はそのとき言語を失調する
人生なんて人形芝居
ひとがあやつり人形にすぎないのならば
この足は思想が足かせ
こちらの足は装置が足かせ
疑惑をもみ消した信念など役に立たないのだ
人形たちが望むものは理論なんかじゃなく、仕掛け
ユートピア理論の敵は、自分のこころをユートピアにしてしまうことだ
人形たちのこころはじゅうぶんに貧しく。傷口だらけ
せめてできるだけ底の薄い靴を履くこと。地球を踏みつぶせる感じがして
そんな感じを履きたいとおもうのだ
自分の匂いがおもいきり染みるまで一着の服を着替えない
そんな日数を着たくなる
わたしは人形を背負った少女を背負っている
わたしは〈かたち〉と背中合わせ
少女はわたしにだけ唄う
あんたのこと好きじゃない
殺したいほど好きだけど
ほんとに殺すほど好きじゃない
少女はわたしにだけ囁く
ねえ、あたしのそばにいてよ
あんたのそばに、いてあげるから
一発の銃声は人生を変える
一度放たれた弾丸は世界のどこかに必ず当たるものなのだ
わたしの国では火のついた導火線の利用法を会議している
死んだふりした幽霊たちと、身を隠した透明人間たちと
誰かは走った
誰かは走らなかった
入り口が見つからなければそこはもう世界なのだ
出口がなければ〈出口はない〉と逆説する
インスタント食品〈最後の手段〉を買いにマーケットまで
詩も思想も笑いながら焼き捨てて
おそらく食事はおいしいとおもうのだ
いま飢えているところだし
一家団らんする
わたしと、逆説されたわたしと
わたしの人形と
逆説されたわたしの人形と
あやつられる時代と
逆説されたあやつられる時代と
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カクテル・ポエム
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久しぶりに YouTube の自分の映像を見てみたら、なんと、広告が付いていました。 「九十九行の嘘と一行の真実」 という詩の朗読です。 いつもこのブログの下に、リンクを貼っていたので、いつのまにか、たくさんの方が覗いてくださっていました。
秋亜綺羅の詩の前座に、日替わりで、AKB48など有名タレントが登場します。 前座で。 ふふふ。 前座で。
しかし。 この朗読には、アニマルズの 「朝日のあたる家」 を無断使用していたので、いつ削除されるかと恐怖していたのです。……
そしたら! なんと映像の下に、「The House of the Rising Sun を購入」 のボタンが! YouTube すごい! わたしまけましたわ。(回文)
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こんにちは。 秋亜綺羅です。
左が宮内文子、右がお祭りTOSHIです。 それぞれにQRコードが付いていて、それをスマホなどで読み取ると、わたしの詩を、女優で劇作家の藤川みちるが歌ってくれます。
この詩画はA1と、けっこう大きいものです。 無造作に4本の画びょうで留められ、無造作に壁に立てかけられています。
実は、この詩画の裏に隠されているものがありました。
48色のクレヨンと、風船がふたつ、白い紐が1本、それと金づちでした。 偶然これらを見つけた少年は、これらの道具を使って、このふたつの写真といっしょに空を飛ぶことができるにちがいありません。
取り出すと、こんな感じです。
最終日は朗読会も行われ、宮内文子も横浜から駈けつけてくれました。 朗読会では、あたかも詩画から飛び出してきたように、藤川みちるが踊りながら歌ってくれました。 それはまた次の機会に紹介します。 台風のど真ん中で開かれた朗読会。たくさんのお客様がいらっしゃいました。 ありがとうございました。
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久留米市での朗読(5月11日)以来、久しぶりにカクテル・ポエムをします。 わたしはいわゆる朗読パフォーマンスを、カクテル・ポエムと呼んでいます。
活字の詩というのは、その道具が活字あるいは印刷なわけだけれど…。 たとえば楽器や肉声や舞踏や仕掛けなどを道具にして表現される詩。 というのが、カクテル・ポエムです。 その場合テキストは、詩人が演奏するための楽譜にすぎません。
今回は宮城県詩人会主催の 「詩祭2013」 のなかに混ぜてもらうかたちです。 劇作家で俳優の藤川みちるに、わたしの詩をひとり言のように歌ってもらい、わたしは吠えまくろう。 とか考えていますが…。
宮城県が誇る尾花仙朔も出演するので楽しみです。 ファンタジー画家で詩人の石川かおりも、なにか仕掛けがありそうです。
9月16日(祝)14時より、仙台文学館にて。 ぜひ一度ご覧になってみてください。
それからわたしの予定ですが、10月11日(金)夜、仙台・立町のサテンドール2000で、梅津和時・秋亜綺羅・伊藤文恵ライブがあります。 こちらもよろしくです。
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仙台在住の女優であり、劇作家、詩人の藤川みちる(21)が、わたしの詩に曲をつけて歌ってくれました。
これは、9月16日(祝)14時〜、仙台文学館で開かれる 「宮城県詩人会詩祭」 で、秋亜綺羅の朗読に挿入歌として入る予定のものです。(宮城県詩人会詩祭)
わたしが朗読するつもりの詩は 「ちょうちょごっこ」(「現代詩手帖」5月号)。 藤川みちるが歌う挿入歌は、「1+1は!」(朝日新聞5/14夕刊) と、「ひとは嘘をつけない」(東京新聞5/25夕刊)。
「1+1は!」 と 「ひとは嘘をつけない」 は、伴奏がいっさいない。 PAも音響もなく、藤川みちるの手探りの音感だけが頼りです。 まして、ふつうの楽曲みたいに、曲に詩をつけたものでもなければ、音楽向けのリズムも韻も、詩は考慮していません。
もちろん一番、二番…といった作詞のかたちなどありません。
わたしが藤川みちると打合せをしたことは、ひとりごとのような詩の囁きが、気づくと、ことばが音になっている、という感じ。 音楽はややもすると大衆を慰めたりするのに使われるけれど、今回の場合、自分のために囁くこと。 聴くひとが存在したとしても、それはひとりであること。 好きなひとの耳元で気持ちを込めて歌うだけで、じょうずに歌おうとしないこと。
この歌を聴くひとは、たぶんパソコンやスマホなどが多いと思うのだけれど、少女がひとりでこっそり歌っているところを、自分だけ聞いてしまった、みたいな感覚がしたら、成功です。 詩なんて、こっそり書くわけですが、たまたまそれを見てしまうひとがいる。 それでいいんだ、と思うのです。
ところでいま、このふたつの詩と歌を使って、詩画を制作しています。 詩画といっても写真と詩です。 写真は 「1+1は!」 が宮内文子、「ひとは嘘をつけない」 はお祭りTOSHI にお願いしています。 詩画に印刷されたQRコードをスマホで読み取ると、藤川みちるの声を聞きながら、写真を楽しむことができます。 近く公開できると思います。
「1+1 は!」
秋亜綺羅
空気が踊ると風を感じるよね
空気が眠れば気配を感じる
気配はもうひとりのぼくだとおもう
一緒に歌って笑ってた、きみのこと
涙がとまらなければ 壊れたこころを癒し終わって ぼくはいつも一緒だから だけどあるときは、ぜんぶ裸になって
あるときは派手なコスプレをして
みんなの前に現われる
そんな勇気がいるのかもしれないね
これからぼくたちが向かうだろう この場所と時間だけがいまのぼくたち
ふたりで写真を撮ろうか
「ひとは噓をつけない」
秋亜綺羅
オモテは裏にとってみれば
裏なのかな
ぼくの影にとってみれば
ぼくは影なのかな
死ぬのが惜しいとおもう夜とか
もうひとりのぼくと喋れる糸電話とか
ぼくが欲しいものはたくさんある
ぼくを一本持って
鉛筆は詩を書いている
ことばは反則も場外乱闘もできない
「反則」も「乱闘」も辞典の中にあるんだ
籠の中から青い鳥を放してあげようか
青い鳥は黒い青空を舞ったあと
巨大な鳥に食べられるだろう
食べられながら自由を感じるんだ
自由は巨大な鳥を食べるんだよ
真実があるから
噓があるんだよね
ひとは噓をつけない
だって真実なんて
辞典の中にしかないのだから
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