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2013年5月25日(土)、伊藤文恵が仙台を踊った。ぞ。
仙台・定禅寺通り、国分町を終日踊りつづけた。
一+一は!
秋亜綺羅
空気が踊ると風を感じるよね
空気が眠れば気配を感じる
気配はもうひとりのぼくだとおもう
一緒に歌って笑ってた、きみのこと
涙がとまらなければ 壊れたこころを癒し終わって ぼくはいつも一緒だから だけどあるときは、ぜんぶ裸になって
あるときは派手なコスプレをして
みんなの前に現われる
そんな勇気がいるのかもしれないね
これからぼくたちが向かうだろう この場所と時間だけがいまのぼくたち
ふたりで写真を撮ろうか
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カクテル・ポエム
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こんにちは。 秋亜綺羅です。
わたしの詩集 『透明海岸から鳥の島まで』(思潮社) に載せることができなかった詩のひとつに、「気違い」 があります。 編集者もわたしも、ぜひ詩集に収録したいと考えたのですが、放送禁止用語であることばは、やはり遠慮すべきという配慮でした。
「気違い」 を 「精神障害者」 などと書き換えると、詩が成立しなくなるのは、明白でした。
「気違い」 の朗読(カクテル・ポエム)は、いままで YouTube に2分割されてUPされていたのですが、今回ノーカットでまとめましたので、ご紹介しました。 以前にUPしたとき YouTube は10分以上のものはダメだったのです。 お時間の許す方は見ていってもらえるとうれしいです。
また以前の2本の 「気違い」 は延べ1万2千名のかたに視聴されていました。 ので、パソコンに登録されている方もいらっしゃると思いますが、以前のものは削除させていただきましたので、あらたに登録してもらえるとありがたいです。
2年半ほどまえに、仙台のエルパーク仙台で公演されたものです。
いささかマニアックな世界です。
「ドリーム・オン」 というタイトルのイベントでした。 詩を聞いたふたりの俳優(舞踏家)が、感じるままに動く、というものです。 1時間以上のイベントで、この 「気違い」 がラスト・シーンでした。
1カ月以上も練習していたのですが、ラストにわたしの尊敬するミュージシャン・只野展也が即興で演奏してくれるのを知ったのは公演の1週間まえ。 丹野久美子の演出でした。
そのとき詩を一篇渡していたのだけど、当日わたしが朗読したのは別のもの。
只野は1行の詩も見ないまま、演奏に入っています。 わたしの詩がどこで始まって、どこで終わるのかも知りません。
わたしは只野展也の演奏だけに集中して朗読することになりました。 わたしの譜面台の原稿のうえには、りきんだ左手がのっかり、原稿を読んでいる気配はありません、ね。
伊藤文恵と斎木良太のふたりの俳優も、そんな殺気? を感じてくれているのが、わかります。
詩のタイトルは、「気違い」。
精神病院に入院させられた「気違い」が、まわりのあんたたちこそ気違いだ、と叫んでいる詩です。 気違いになりきっているのはどこのどいつだい。 わたしだよ。(古!)
伊藤文恵が、舞踏では禁じ手? とおもわれる、ジャンプの連続をし、声をあげて叫んでいます。
見ものです、ぜ。
企画・構成=丹野久美子
出演=伊藤文恵、斎木良太
シンセサイザー演奏=只野展也
詩=秋亜綺羅
制作=劇団I.Q150
カクテル・ポエム「ドリーム・オン」
気違い
秋亜綺羅
いつだって会議は仲間からはずれるべき奴をひとり決定することで成立する
その奴というのはまさにぼくでしかない
というのが今回の会議の結論らしいのだ
死んだ鳥のようにぼくを寝せてしまえば
会議はベットのまわりででもつづけることができるからだ
ぼくは街路樹の木の葉たちがみんな虫にみえる
安心して街の空気を吸っているのは木の葉たちでぼくではない
だからぼくのお腹には虫がいるんじゃないかとおもう
そうおもってしまうとぼくは青白くて痩せている
友人たちはそんなぼくをみてお腹に虫がいるんじゃないか
医者に見せたほうがいいといって看護婦を抱いて酒をのんでいる
そんな時ぼくは友人たちの顔が街路樹の木の葉に見える
ぼくの主食は街路樹の木の葉なので
木の葉が手に入らなければ呪ってでも手に入れる
長生きできないのかも知れない
どうせ長生きしないのだからお酒をたくさんのむ
友人たちはぼくがとても青白くて痩せているという
木の葉のように飛んでしまうんじゃないかという
眼を瞑っても開いても在るものをぼくは夢と呼ぶ
ぼくは空を飛ぶ時いつも
仰向けの魂と一緒に青い肉体まで飛んでいくので
友人たちの老いた後姿を記憶にとどめるのが
精一杯であるほんとうだ夢じゃない
そんな夢から醒めるとベットのまわりには友人たちと
医者と看護婦とが
立ったまま会議している
頼むからぼくも仲間にいれてほしい
ぼくはあなたたちと何も変っちゃいないぼくは虫だ
頼むからと頼んでもぼくの望まない注射液と薬が
友人たちと医者と看護婦の笑い声と区別がつかなくなって
お腹のなかに注ぎ込まれている
ぼくは目を醒ますことを許されない
神よ!
とぼくは叫ぶ!!
木の葉たちはそれをうわごとだろうという
気違いというのは
ぼくを神様だと信じているぼくの仔猫のことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
もう少しであなたに助けられたはずのぼくの子どものことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
何度もあなたとの心中を試みたぼくの妻のことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
あなたが怖くて故郷に逃げ帰ったぼくの妹のことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
神に誓ってなどと平気でいうぼくの立派な片親のことをいうのではないだろうか神よ
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(写真をクリックすると音が出ます。ご注意ください) こんにちは。 以前にこのブログで紹介していた 「ひよこの唄」 が YouTube に UP されました。
これは、わたしの作になるカクテル・ポエム 「ひよこの空想力飛行ゲーム」 の挿入歌です。
わたしの部屋には、 このまえお祭で買ったひよこが1羽います。
夜寝るとき、 わたしをおかあさんと思っているのか、
近づいて来て、 わたしのお布団に入って来ます。
ひよこは鳥なので、 将来青空を飛ぶ予感を持っているのです。
わたしのお布団のなかで、 空を飛ぶ夢を見ているのでしょう。
うれしそうな表情で、 肩甲骨ののところを震わしているのです。
だけれど、 おとなになって、 ニワトリになったとき、
ひよこは自分が、 空を飛べないことを知るのです。
空を飛ぶだろう 「予感」 と、
飛べないことを知る 「絶望」。
それがひよこの、 運命なのです。
飛ぶことをあきらめるときが、
ひよこがおとなになれるときです。
丹野久美子は、「ひよこ」 がつぶやくように、 ささやくように、 歌っています。
うた/丹野久美子
作詩/秋亜綺羅
作曲/サイトウミノル
ギター/サイトウミノル
ねえ、 抱っこしてよ
軽くでいいよ
わたしは心のなかで
強く抱きしめ返すから
寒くもないし
お腹もすいていない
すこし暗いけれど
好きなひとの顔を
見ることができる
さようなら
ねえ、 キッスしてよ
もうすこしだけ
ふたりは唾液のなかで
きっと同じ日に死ねる
ねえ、 まあだだよ
帰れないかもしれないけれど
青空を泳ぎつづけるよ
好きだよ
きっとあしたも、ね
さようなら
で、 ついでながら。 このCDには、 「ひよこの空想力飛行ゲーム」 の挿入詩 「残り半分のあなた」 も、丹野久美子が朗読をしてくれています。
残り半分のあなた (音が出ます。ご注意ください)
秋亜綺羅
(朗読・丹野久美子)
(音楽・サイトウミノル)
水平線では
泳ぐものと飛ぶものが半分ずつ溶け合っています
鏡と現実の境界にも水平線があって ふたりのあなたが半分ずつ溶け合っている だから鏡を見ているあなたは 半分だけあなたなのです 残り半分のあなたはまだ鏡の中にいて 隠れたままかもしれません 帰りたくないのかもしれないね あなたは半分だけ自分を嫌いだから |
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こんにちは。秋亜綺羅です。
わたしのカクテル・ポエム(詩の朗読)がYouTube にUPされたので、時間の許す方は覗いていってもらえるとうれしいです。
昨年の11月に、仙台のエルパーク仙台で公演されたものです。
ということで、何回かに分けて紹介させてもらったカクテル・ポエム「ドリーム・オン」もきょうでお仕舞いにします。
いささかマニアックな世界でした、ね。ずっとお付き合いいただいたよい子のみなさんも、はじめからスルーしている賢明なみなさんも、これでおわりです。お疲れさまでした。
今回は「気違い」という詩です。わたしの尊敬する音楽家・只野展也が即興で演奏してくれています。
公演の1週間まえに只野が稽古を見に来てくれたとき、当日楽器を持ち込んでくれることをお願いしたのでした。そのとき詩を一篇渡していたのだけど、わたしが朗読したのは別のもの。
只野は1行の詩も見ないまま、演奏に入っています。わたしの詩がどこで始まって、どこで終わるのかも知りません。
わたしは只野展也の演奏だけに集中して朗読することになりました。
伊藤文恵と斎木良太のふたりの俳優も、そんな殺気?を感じてくれているのが、わかります。
詩のタイトルは、「気違い」。
精神病院に入院させられた「気違い」が、まわりのあんたたちこそ気違いだ、と叫んでいる詩です。気違いになりきっているのはどこのどいつだい。わたしだよ。
企画・構成=丹野久美子
出演=伊藤文恵、斎木良太
シンセサイザー演奏=只野展也
詩=秋亜綺羅
制作=劇団I.Q150
カクテル・ポエム「ドリーム・オン」
気違い
秋亜綺羅
いつだって会議は仲間からはずれるべき奴をひとり決定することで成立する
その奴というのはまさにぼくでしかない
というのが今回の会議の結論らしいのだ
死んだ鳥のようにぼくを寝せてしまえば
会議はベットのまわりででもつづけることができるからだ
ぼくは街路樹の木の葉たちがみんな虫にみえる
安心して街の空気を吸っているのは木の葉たちでぼくではない
だからぼくのお腹には虫がいるんじゃないかとおもう
そうおもってしまうとぼくは青白くて痩せている
友人たちはそんなぼくをみてお腹に虫がいるんじゃないか
医者に見せたほうがいいといって看護婦を抱いて酒をのんでいる
そんな時ぼくは友人たちの顔が街路樹の木の葉に見える
ぼくの主食は街路樹の木の葉なので
木の葉が手に入らなければ呪ってでも手に入れる
長生きできないのかも知れない
どうせ長生きしないのだからお酒をたくさんのむ
友人たちはぼくがとても青白くて痩せているという
木の葉のように飛んでしまうんじゃないかという
眼を瞑っても開いても在るものをぼくは夢と呼ぶ
ぼくは空を飛ぶ時いつも
仰向けの魂と一緒に青い肉体まで飛んでいくので
友人たちの老いた後姿を記憶にとどめるのが
精一杯であるほんとうだ夢じゃない
そんな夢から醒めるとベットのまわりには友人たちと
医者と看護婦とが
立ったまま会議している
頼むからぼくも仲間にいれてほしい
ぼくはあなたたちと何も変っちゃいないぼくは虫だ
頼むからと頼んでもぼくの望まない注射液と薬が
友人たちと医者と看護婦の笑い声と区別がつかなくなって
お腹のなかに注ぎ込まれている
ぼくは目を醒ますことを許されない
神よ!
とぼくは叫ぶ!!
木の葉たちはそれをうわごとだろうという
気違いというのは
ぼくを神様だと信じているぼくの仔猫のことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
もう少しであなたに助けられたはずのぼくの子どものことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
何度もあなたとの心中を試みたぼくの妻のことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
あなたが怖くて故郷に逃げ帰ったぼくの妹のことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
神に誓ってなどと平気でいうぼくの立派な片親のことをいうのではないだろうか神よ
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こんにちは。秋亜綺羅です。
ちょっとブログをサボっていました。
で。きょうは、カクテル・ポエム『ドリーム・オン』の後半です。
いよいよ、ますます、マニアックですよん。
ヒマじゃないひとは観ないほうがいいかもです。
昨年の11月に、仙台のエルパーク仙台で公演されたものです。
今回は、「四匹の黒犬が黙る」という詩です。
この詩は、けんめいに聞いても意味がとれない詩です。
もともと意味がないのですから。
なぜ「四匹」かというと、「四」と「匹」が似ているからです。
なぜ「黒犬が黙る」のかというと、
「黙」という文字は「黒」と「犬」でつくられているからです。
しかも点が4つあるので、「四匹」というわけです。
そんなナンセンスの繰り返しです。
【ビデオ(上)】
まずわたしが、詩を棒読みするのですが、
ふたりのスタッフが、同メーカー、同機種の2台のテープレコーダを持ち込んで、
同時に録音をしています。
ふたりの舞踏家は、2m×6mの白いスクリーンに張りついたまま、動きません。
そこに、あらかじめ用意されたテキスト中心の映像が映されます。
それだけです。
【ビデオ(下)】
さて。2台のレコーダに録音されたテープは巻き戻されます。
同時に再生を開始します。
会場は完全暗転になります。
暗闇の中で、白いスクリーンだけが青く光っています。
スクリーンには、夜光塗料が塗られていたのです。
ふたりの舞踏家がすこしずつ動きはじめます。
すると、スクリーンには影が残されているのです。
過去の影と、現在の影が、ゆっくりずれていきます。
現在と過去は、暗闇で踊りつづけます。
2台のレコーダから流れる2つの声は、すこしずつずれていくのが
わかります。
2台の機械ですら、同じものを聞いてはいないのです。
100人の観客ならば、100の詩を聞いていた。ということになります。
ずれは、どんどん激しくなり、
文字も、ことばも、声も、音も、もう意味をとることは不可能です。
ここにあるのは、詩。だけです。これが、詩。です。
…というのがこの、カクテル・ポエムの目論見だったというわけです。
家庭用のビデオのため、夜光塗料の光をじゅうぶんに捕えていません。
部屋を暗くしてご覧いただくと、見やすいようです。
企画・構成=丹野久美子
出演=伊藤文恵、斎木良太
詩=秋亜綺羅
映像=星川律子
制作=劇団I.Q150
カクテル・ポエム「ドリーム・オン」
四匹の黒犬が黙る
秋亜綺羅
淋しいという文字は木がふたりで住んでいるのにどうして淋しいのか、なんてことじゃなくて、妹とふたりで海で溺れたときの淋しかったことを考えているのだ。ぼくは次の夏、ひとりで溺れて死ぬ気だったとき、弱い者だけが泳ぎの方法を知ればいいのだ、と思った。エイ、ホー。エイ、ホー。エイ、ホー。そういうわけでぼくは泳げるようになったけれど、過去にも未来にもいける泳法なんて未だ知らない。父島、母島、鳥の島…。犬のぼくは青空の鳥のように泳ぎ続けるのだが、この程度では、永遠までの遠泳は無理というものだ。あおい空を見上げる。あおい。あおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあお…必殺マックオペレータは<あ>と<お>を打ち違えないこと。吠えたいくせに犬かきをして四匹の黒犬が黙る。尤も犬も大きくて太い丈夫なペニスは持ち合せていないので、中山峠を越えるともうぼくは六回もセックスはできない。シックス・ナインなのだ。相手は猫でもいいから描いてみる。血で満たされた皿をかぶった河童でもよろしいが、ここは海でしかないので海豚を相手にしたほうが好ましい。相手は手相と書き換えてもこの場合、かまわない。ただし、自分の手相を忘れて相手の手相しか視なくなったタロちゃんという名まえの友だちは、オナニストでしかない。ぼくの初恋のすずめちゃんチロちゃんは舌を切られて死んだ。きみには、自白する自由がある。千口ちゃん。ところでぼくの友だちといったら、ひきこもり中の透明人間くんとか、死んだふりが好きな幽霊くんとか…。宇宙人のチカは千人力だ。ぼくは淋しいから、だれかと一緒に溺れたい。夕方の久方ぶりの雨ふり、烏の鳴く鳥の島を過ぎ去っても、未来は未だ来ないまま過去となっていった。過去はカコ、カコ、となく。実際、過去はカエルだった。ぴょんと日付変更線を一旦亘ると一日がやって来る。完壁な璧。ぼくは犬だから漢字を間違えてもだれもとがめてくれない。矛盾という名の武器。逆説法と呼ばれる逆立ち。愛という曖昧な味。アイ・マイ・ミー。雰囲気、零。ぼくの虱は風に飛ばされてトリップ。国家という家に囲まれたぼくはもう囚人ではないか。困ってしまう。原因は、緑の縁側がぼくの国家だという事実ではなく、ぼくが犬だったという真実らしい。ここはどこだ。ここはココア共和国。きょうはここらでココアにしよう。囚われたゴキブリさんたちがみんなで羽ばたけば、既成概念としての家(ゴキブリほいほい)は飛んでいくぞ。問題は、気づくか、傷つくかだ。これはもうまるで詩だな。詩とは言葉の寺と書く。詩人は寺の坊さんなのだ。そのほかのだれも、ぼくの野たれる後ろ姿を監視してはいない。野たれる犬は、犬のことばでいうならば、自由である。あおあおあおあおあお。木、林、淋しい森、妹はいつまでもひとりで立っている。
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