|
のをあある vol.1
2015年2月15日
編集・発行:ほしおさなえ
イメージに酔って
わたしは広く、狭い、海を泳ぐ魚だった。
夕日色の海は、時に様々に形を変えて、わたしをそっと抱いている。
柔らかなあぶくを口からいく筋ものばしながら、わたしは静かに呼吸をしている。
灯台のように揺れる星の光りが、赤に、青に、きらめいている。
(ねぎし「子」)
読み始めて浮かび上がるイメージ。物語のように移り変わっていく情景。意味よりも先に伝わる感覚。詩的な心地よさの中で展開される描写に、ほろ酔い気分。そう、詩とは、酔うことでした。イメージの海を泳ぎ回ることでした。正に、「わたしは海を泳ぐ魚だった」!
左庭 30号
2015年2月25日
編集・発行:山口賀代子
〒615‐0925
京都市右京区梅津大縄場町6の6
重いを軽くする魔法
ドアの外は敵のモンスターばかり
でもここはお姉ちゃんが封印したお城だから
ボクたちは安全にくらせるんだ
身体の電池がなくなったら
透明な妖精に変身して 自由自在に動けるよって
お姉ちゃんは 身体「オフ」になる時
教えてくれた
(堀江沙オリ「ひみつのお城」)
暗喩で進められていくストーリー。最初は意味が分からなくても、読み進めるうちに意味が分かるようになっていきます。「敵のモンスター」とは、家庭内暴力をする男のこと。「身体の電池がなくなったら/透明な妖精に変身して」とは、死んで幽霊になること。最後には「お姉ちゃんとボクは/妖精になって いつまでも幸せに暮らすんだ」。かわいらしい表現でありながら内容は重く、重い内容でありながら読後感は軽い。魔法のおかげでしょうか。
アブ 16号
2015年2月28日
編集:松原敏夫
発行:東中十三郎
〒901-2102
沖縄県浦添市字前田494
分かる意味と分からない意味
あなたよ。無の空に止まらない雲。遠く遠くあそこに。倒れゆく生活の幻影。消えていく悲しみ。小さいマウ ス。豊かな消しゴム。歌わない風。ああ、泣いている人形。色を塗っている空。闘いをやめた道路。独り立ち した鉛筆。挽歌になっていく夏の百合。手なずけた夏の朝。泣きたくなる過去。まだ表われない記憶。まだ 握らない夢。知られざる夢。叫ぶ内面の海。水は泣かない。愛を遠くから呼んでいる手紙。知られざる終 末。語り出される別れの痛み。そろった季節に足をふみ入れた帽子のよろこび。歌って転ぶ時の足音。耳 に走る孤高のなぎさ。瞳で旅する夢想の夜に。
(松原敏夫「あなたを探して」)
一度目に読んだときには、意味は分からないけれど詩を感じる、という感覚でした。何度か読み返すうちに分かったのは、「あなた」が詩を連れてくるもの、己を狂気へ誘うものだということです。そこから少しずつ分かる部分が増えていきました。何度読んでも分からなかったのは、例えば「闘いをやめた道路」「手なずけた夏の朝」「水は泣かない」といったところ。きっと作者の中では深い意味を持つものなのでしょう。分かる部分と分からない部分が丁度良いミックス加減で、噛みごたえのある詩でした。
まどえふ 24号
2015年3月1日
編集・発行:「まどえふ」の会
〒005‐0006
札幌市南区澄川6条4丁目10-1-204
スピードのある言葉
いちめんの
青い野のひろごり
だんだんに薄れゆくとき
薄く重なり深々とずれながらかすれゆく
いちめんにひろごり駆けぬけ
すがしい風が吹いて帯のように細く長く濃く薄くうすく
重なりずれて響きあい未来も過去もくぐもりながら
だんだんとずれてはずれて青くしずもって
(橋場仁奈「あかりのように」)
イメージが連鎖して、段々加速していくような詩です。長いのですが、詩が持つ勢いで一気に読めてしまいました。きっと書くときも一気に書いたのでしょう。めまぐるしく変化する情景描写はまるでジェットコースター。ご紹介したのは冒頭部分です。6行目の加速がお分かりでしょうか。 |
受贈詩誌の感想※藤川みちる
[ リスト | 詳細 ]
|
「水盤」14号
2015年2月15日
編集:平野宏
発行:水基盤
〒856-0835
長崎県大村市久原2丁目1201-88
数式の立て方
大勢のxになりたい。あとは値を入れてくれたらいい。
私がどんな顔をするのか、どんなふうに声を震わせ息をつくのか見てほしかった。
変体ではなく大事なことだから、そうしたかった。
中継を受け付ける気合であるが、彼はyとなるのに尻込んでいる。
慈善事業に白ける姿勢だけれども的外れは明白で、彼はもうyとなれないのかもしれない。所有されているのかもしれない。
(岩下祥子「Irregular」)
xやyを見ると私は萌えます。数式のシンプルな美しさ、その軌跡(奇跡!)を想像して悶えます。数学は詩以上に詩的だと思います。という主観はさておきまして。とはいえ、やはり主観でしかないのですが。
「大勢のxになりたい」という気持ちは何となく分かる気がします。
そのようなxになるためにはyが必要です。yになりたいと思ったこともありますが、本質的に違うのです。自分ではyになれないのです。だから次のように要求するしかありません。
《私がxになるのであなたはyになってください》
だというのにyとなるのに尻込みされてしまったら、yになってもらえないのだとしたら! 数式を立てることは諦めるしかありません。美しい軌跡を描くことはできません。なんと口惜しいことでしょうか。
「水盤」14号
連詩の楽しみ
<1>森永
ふらりと出た旅先は
名前も知らぬひなびた町で
訪ねるところもない
時間つぶしはないものか
(中略)
<2>福間
その角を曲がれ曲がって進め
欲望の道を進めばいいのだ
あどけない人の足に躓いたのは旅に出て七日目
「獅子の舌」という名の食堂に入った
(中略)
<3>平野
曲がったさきはまた曲がって
どうやらそのさきもまた曲がっているようだ
時計回りの白い風がうごいている
歯にはさまった言葉を 舌の先が掻きだしているうのに気づく
(中略)
<4>岩下
聞き間違いに託して事を起こす
歯を立てるような右と
捲られ目を閉じて受け容れる左
続く逃げ道ではなく行き止まりへ
《企画》
連を繋いで「檻」まで行き、その「檻の中のもの」がなんなのかを明かしてください。
森永かず子さん、福間明子さん、平野宏さん、岩下祥子さん4名の連詩です。この順番で5順しているのですが、息が合っていて、最初は別々の人が書いているということに気付きませんでした。
最後にはそれぞれの檻の中が明かされます。そこに何があるのかは、読んでのお楽しみです。
「hotel」35号
2015年1月10日
編集:澤口信治
発行:hotelの会
〒263-0005
千葉市稲毛区長沼町288-227
やさしい言葉
やさしい釦
井本節山
ひびきが、一筋ずつ。とりわけて、この小雨は。毛布に、細い糸が落ちるようだよ。
雨の表と、裏を縫い合わせて。耳をすます。糸切り歯で、夜をぷつんと閉じて。おやすみ。
耳朶をかむ。声の先を湿らせて。ここにも縫い合わせる地平がある。シャッターを切るよ。
だんだんほつれていく。動かないで。陽が消える前に、針を通すから。襟に留めるから。
やさしい釦。異質なものは、互いにゆるく重ならんことを。隔たりのままに、やさしく身を寄せ合わんことを。
空隙は、この小雨で満たされんことを。
メールのようだ。息を添付せよ。髪を添付せよ。濡れた爪を添付せよ。
折りたたむことを拒まない、その風景を添付せよ。
燃えるよ、文字が。頼りないものに、耳を傾けて。まずしい音楽の始まりを。
君を出て、僕の耳へ導く、糸のようだ。さまよう針が、こすれて、細い炎を留める。
もうちょっと聴いている。明るい毛布のようだ。雨を包む、毛布のようだ。
ソフトな言葉と温もりのある情感が心地よく、ずっと聴いていたいなと思いました。
素朴なのに安易ではないところが素敵です。
「hotel」 35号
眩暈の快楽
だがリズムだ、リズムこそは眩暈とその固定という矛盾しきった欲望の運動の特権的な反映である。テンポある織物の中で、結論は拒まれている。構造は循環的である、中心紋ひらく、きれいごとは脱臼する。またがったり、切り刻んだりするものがふえる。非常に旋律的な線が伸びたかと思うと、不意の驚かせがあり、加速があり、横揺れだの縦揺れだの、もしも世界がひとつの婚礼の夜に還元されるなら、ぼくは喉首だろう。
(野村喜和夫「眩暈原論(12)」)
詩を書くことを詩に書いている感じがします。
この「眩暈」は一度経験すると忘れられない快楽であり、ゆえに詩を書くことはやめられません。
作品はあくまで結果に過ぎず、詩を書く真の目的はその過程にあるのではないかと私は思っているのですが、皆さんはどうなのでしょう。気になるところです。
■藤川みちる (ふじかわ・みちる)=劇作家・俳優・詩人
1991年生。 仙台市在住。
劇団みちるcafé 主宰
●●● 「季刊ココア共和国第17号」 のおしらせ ●●●
●●● 秋亜綺羅詩集 『ひよこの空想力飛行ゲーム』 ●●● ●●● 秋亜綺羅自身による詩の朗読 ●●●
●●● 第22回丸山豊記念現代詩賞 ●●●
|
|
「竜骨」95号
2014年12月25日
発行:高橋次夫・友枝力
竜骨の会〒338-0832
さいたま市桜区西堀7-5-1-403
狗頭羊肉譚
♂《我輩は羊である この字はあらゆる美と美味の象徴だ》 ♀《羊の字が羊+大で形のよい大きな羊を表すからなんです》
それにしても、可哀想だから食べないというのはちょっと違う気がします。食べられるというのは他を生かすということであり、立派に命を全うしているので、それを可哀想だというのは失礼だと思うのですが。
「どぅるかまら」17号
2015年1月10日
発行:瀬崎祐
〒710-0047
倉敷市大島499-8
詩を描く
セピア色の髪に灰色のベレー帽をかぶり
うすくれない色の服をきて緑のリボンを首に結ぶ
いくつもの氷河を渡ってきたのだと 巴旦杏の黒い瞳が語る
マリーさん、今日は わたしも絵を描いています 女が微笑を浮 かべる
女は手に絵筆を握る グリーンイエロー クリームイエロー オレンジイエロー
レッドオレンジ 濃すぎる花びらは画布の外へ描いていく 薄日に自分の裸体をさらす プリズムガラスをとおしてひかりの三原色がとどく
ガラスのむこうは輪郭のみえない風景が まばらな木の間で風が凍るので
新しいスケッチブックを買いにいく 線を二本引いて一本の木を描く
また二本引いて一本の木を描く 木の間に海がみえる
先日、友人から私の詩に関して、「(前と比べて)色が無くなった。色を使わなくても書けるようになったんだね」と言われたためか、この詩にハッとさせられました。このような色の使い方もあるのか、と。ひどく印象的で、効果的な、今まで気付きもしなかった描き方。こんな風に描けるようになれたらなぁ、と思いました。 花ひらくひらがな とおいとおい林の奥のゆうがたに黄色いゆうすげ の花が咲いているひんわりと灯りがともっている ように見えるたねん草ゆり科の球根のうつくしい ゆうすげの娘たちは夕方に咲き翌あさにはしぼむ あたりはもうあさい海のようなゆうぐれの暗さの 林のなかであわい黄色のこの花をゆっくりつんで ゆくというよりもなか指とおや指でわたしは娘た ちをずきずきずきとあやめているのかもしれない (河邉 由紀恵「ゆうすげ」) 目を惹いたのは、文字数が揃っていることと、そのためか、ひらがなが多用されていること。そして「ひんわりと」「ずきずきずきと」といった特異な擬態語が混ぜ合わされて、ひどく女性的な、艶かしい感じを受けました。「ゆうすげ」って何だろう?と、調べてみたらイメージと違いましたが、この詩の「ゆうすげ」の方が優美で、私は好きです。 ■藤川みちる (ふじかわ・みちる)=劇作家・俳優・詩人
1991年生。 仙台市在住。
劇団みちるcafé 主宰
●●● 「季刊ココア共和国第17号」 のおしらせ ●●●
●●● 秋亜綺羅詩集 『ひよこの空想力飛行ゲーム』 ●●● ●●● 秋亜綺羅自身による詩の朗読 ●●●
●●● 第22回丸山豊記念現代詩賞 ●●●
|
|
受贈詩誌の感想
「サルとビ 58」
採掘する君
ぼくは逃げる 水のからだ
よくよく 閉鎖された階級の街にいる
それに気づいて なぜか言葉の振動
「さては神々の上の神なるは 君か」
罪に突入する直前のローマンの窒息する位置に
歌の心臓に伝わるべき無地の岸辺へ
道を這い上がるところの<とき>
意志されない地図にしるしたる<とき>の
挫折から遠い 分裂した迷いの体質の君とは
(田中久雄「改稿・・<とき>の河口」)
第一印象は「難しい」、読み込んでいくうちに感じたのが「身体感覚的」「哲学的」。
意味はよく分からないものの印象深い夢を見ているときのような詩で、「ぼく」や「君」が生身ではなく世界との境界が曖昧なあたり、少し共感しました。
この方は、なにか真理らしきものを見出そうとしている採掘者みたいです。頑張って掘り続けて欲しいです。
「季刊詩誌 柵 Ⅲ次第六号」
2015年1月1日
編集・発行:志賀英夫
発行所:詩画工房
大阪府箕面市新稲6-20-7
夏の刻印
陽に火照った一日が
真っ黒になる 夏の闇
夜空に打ち上げられた
大輪の花火
開ききった花が崩れ
消え去る間際のひかりの凋落
線香花火が燃え尽きた
赤いピリオドさえも
闇は 飲み込んでいく
朝がやってきても
夏の闇は消えず
火種を孕んで
焦がれたまま
影のように咲いている
(水木萌子「黒いひまわり」)
「黒いひまわり」というタイトルにバーッと見つめられたような気がして、読み進められずにはいられませんでした。冬から一気に夏へと連れ去られ、太陽と花火――焼き付いた影の花が私の心にも咲きました。
「季刊詩誌 柵 Ⅲ次第六号」
魂の故郷、銀河
鳥はみずからの空をもつ
人はみずからに銀河をもつ
深部にくすぶる衝動にかられ
いくつもの異なる時間と空間を漂う
群れても鳥はただ一羽の鳥であった
研ぎ澄まされた五感だけが支えだった
衝動はまだくすぶる
ゆくほどに空は広がり銀河は深まる
(森崎昭生「宙をゆくもの」)
好きです。
先日、TVで銀河の番組を見たせいか。最近書いた詩に、銀河という単語を用いたせいか。
いえ、元々好きな世界観なのですが。
広大な宇宙に比べれば、自分などちっぽけなものだ!と思うと、塵みたいな悩みはブラックホールが吸い込んで、クリアにしてくれます。それに近い感覚が、好きです。
「文芸アート誌「狼」24号」
2014年11月
発行:狼編集室
〒243-0427
神奈川県
海老名市杉久保南1-3-1
海老名第2スカイハイツ405号室
美しい病
音のないソネット
浦世耀一朗
ナチュラルノイズと同じなのだ
昨日きょうではない耳鳴りと思え
太古からひとは病んでいた
耳で聞くとすれば遠く離れた場所で
わたしの形をした飛行船は燃え尽きた
あなたがわたしを見ても形を失った絵
明日からもひとは病んでいくか
知らないノイズは樹林の中に隠せ
つい振り返ったために舞い散る願い
しがみつく右腕にさまよう無音の歯車
すれ違うひとの群れに もう形はない
どんなに美しがっても残る間違い
わたしは独り 耳を疑って塞いだ
空をいま飛んでいるのは耳鳴りの形
理由も意味もよく分からなかったのですが、とても惹かれました。いえ、よく分からなかったからこそ惹かれました。分かりたいという欲求が私を釘付けにし、悩ませ、読み込まざるを得ない心境に陥らせました。
誰も彼も病んでいるとすればそれは誰も病んでいないのと同じだと思うのですが、そこを病んでみせるというのは……いや、大なり小なり誰もが病んでいるということですね。病んでいないと思っている人も思われている人もきっとどこかしら病んでいて、それに気付くか気付かないか。ナチュラルノイズと同じ。
三連目が難しかったのですが、「どんなに美しがっても残る間違い」の内容、即ち病の有り様と解釈しました。よし、これで治った。と思ったときには、2時間経っていました。
「文芸アート誌「狼」24号」
善悪の彼岸
(肌にも削いでいく冷めた朝に
どうしてだれもが見ぬふりをするのか 善の向こう岸に
いえ それでも わたくしたちは 善のためにいきてゆくのです
「いや わたしには善も悪もないような気がするのだけれども
そのようなものを超えたところに〝楽園〟があるのではないかと
だまって白い光の底から 白い光の表をみて
わたしはすべてを乗り越えていきたい
自らの輪郭さえ 光のなかでは溶けていくのだから
(いえ、あなたの嘘はもうけっこうです
(光冨郁埜「肌にも削いでいく冷めた朝に」)
善悪について悶々と考えていた時期がありまして、
「根源的には善も悪もないが、人として生きるには何を善とし悪とするか自分で線引きする必要があり、その道筋に沿って歩む姿が生き様となる」
という結論に達したのですが、そこへ至るまでの葛藤を思い出しました。
詩全体としては淡い光を帯びているような印象があり、確かに、夜を越えていく朝の薄明かりのイメージです。
■藤川みちる (ふじかわ・みちる)=劇作家・俳優・詩人
1991年生。 仙台市在住。
劇団みちるcafé 主宰
●●● 「季刊ココア共和国第16号」 のおしらせ ●●●
●●● 秋亜綺羅詩集 『ひよこの空想力飛行ゲーム』 ●●●
●●● 秋亜綺羅自身による詩の朗読 ●●●
●●● 第22回丸山豊記念現代詩賞 ●●●
|
|
受贈詩誌の感想
「ネビューラ 第40号」
2014年12月20日
代表:壺坂輝代
〒700-0817
岡山市北区弓之町5-22-502
つまずきの石を友として
私は暗闇を歩いている
と言うのは簡単だ――
霜降る朝の小石
たくさんの小石――青い景色に流されて
静かな川の奥に眠る
黒い急流に飲まれていった
それらのひとつひとつに
つまずいてみたい
ころぶ時の感触――手のつき方や驚き方
さっと血が引いて そしてすぐに
収縮した血管が柔らぐ重苦しい安堵
目的地までは果てしない
なかなか先に進めないのだから
(武田章利「小石のエレジー」)
歩いているとつまずくことが度々ありますが、つまずくことを怖がって避けながら歩くのは勿体ないと思っています。ころんだときの風景や感覚は歩くときとはまた違っていて、痛みに泣いたとしてもそれを感じられただけで、つまずいたことにもつまずいた石にも、意味があるような気がしてきます。再び立ち上がって歩くときの見え方はころぶ前と少し変わっていて、似たような石にはつまずかないように気を付けるようになって、そうやって歩いていくこと自体を歩く理由として、今日も。
「MÉLANGE Vol.16」
2014年12月17日
編集・発行:福田知子
〒603-8146
京都市北区新御霊口町262-502
人間になりたくない
言の刃・だ・のだ・である・ではないの詩
岩脇リーベル豊美
***受肉
言葉になる前の魚はナイフだった
鱗を煌かせながら翻るナイフだった
肉を受けて言葉は人間になった
人間は白い腹を素手で掴んだ
静思の水底で還る言葉はひとつ
問い掛けに必要な答えはなかった
離魂病の論理をもち出した
それでも過渡を巧く解き明かせなった
冷たい宇宙の破片に悲観していた
彼女とそれは支えあって矛盾した
森羅万象をありのままに好きになりたかった
肉を言刃で切り取った
ふつうに腐りたいと思う一瞬だった
受肉しなければ良かったのに。
と思ってしまうのは、仕方ありません。
魚は見えたあとすぐにいなくなってしまうので、
掴まえたくなるのも、仕方ありません。
眺めるだけではなく触れたいと欲するのが、
人の性ではないでしょうか。
ありのままに好きになるなんて、無理な話です。
それができるなら、詩は要りません。
繰り返される高揚と落胆の波間に、私は魚です。
まだ、人間になりたくはありません。
「視詩 No56」
2014年12月17日
著者・発行:田名部ひろし
埼玉県東松山市松山町2-7-36
見る詩
p..6−7のイラスト
(田名部ひろし「火も水も天地も怒る、かわりばんこに」)
美術部の妹が「パッと見て分かりやすい、面白い!」と申しておりました。
行儀よく文字が整列している詩が多い中、やはりインパクトがあって目立ちます。
制服の黒髪の子達の中に、一人だけドレスで金髪の子が混じっている感じです。
そうでした、規則なんてあってないようなものでした。と、思い出させてもらいました。
「something20」
2014年12月25日
編集・発行:サムシングプレス
〒180-0006
武蔵野市中町3-1-9-302
思い出のリング
陽の下で踊る土埃 上履きの底に運動靴の土をつけ 小学生たちが列を作っている 壁に貼られた視力検査表に ランドルト環は並んでいた 子どもたちはおかしな形の黒いスプーンを目に当てるのが楽しかった 図形は見えるけど 先生の指示棒が細すぎて見えないんだよね 見えても 見えなくても 子どもたちは笑った その日ひらいた花のように
(岡野絵里子「ランドルト環は傾く」)
あれって「ランドルト環」っていうんですね、初めて知りました。小学生のとき、自動車のハンドルみたいだなと思って、その進行方向(穴が開いてない方)を指差してしまった覚えがあります。
視力検査の日の朝にブルーベリージャムを塗ったパンを食べ、順番が回ってくるまでできるだけ遠くを見ようと一生懸命窓の景色を眺めていたのが、中学生のとき。それでも眼鏡を頂戴することになってしまいましたが。
乱視なので夜空のランドルト環が幾重にも見えて、どこを指差せばよいのやら未だに分かりません。
また、こちらの詩誌は、作者名を大見出しに置き、一人あたり詩を三篇程度+エッセイという構成で、どんな作家がどんな作風の詩を書いているのか、とても分かりやすかったです。
■藤川みちる (ふじかわ・みちる)=劇作家・俳優・詩人
1991年生。 仙台市在住。
劇団みちるcafé 主宰
●●● 「季刊ココア共和国第16号」 のおしらせ ●●●
●●● 秋亜綺羅詩集 『ひよこの空想力飛行ゲーム』 ●●●
●●● 秋亜綺羅自身による詩の朗読 ●●●
●●● 第22回丸山豊記念現代詩賞 ●●●
|






