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2012年12月31日(月)〜2013年1月1日(火)
ことしも、いろいろとありがとうございました。
しばらく詩のイベントをする余裕がなさそうだったので、夏に詩集を出しました。
個人誌 「季刊ココア共和国」 もなんとか続いています。
ことしは親しい知人たちが相次いで亡くなりもしました。
悲しいとか、悔しいとかより、なんだか体も心もガックリしたままです。
いっぽうで、元気な若い詩人たちとの交流もたくさんできました。
12年さよなら。 13年おはよう。 ということで、
「季刊ココア共和国」 vol.11に掲載した 「このナメクジ、ほめると溶ける」 で、
年を越したいと思います。 とても短い詩です。
ちなみに、「現代詩手帖」(思潮社) 1月号に、8ページにわたる詩を書かせてもらっています。 現代詩っぽいことばはいっさい使っていません。 へ〜、これでも詩なんだ〜、と思ってもらえたら成功です。 よかったら本屋さんで立ち読みしてみてください。
では、よいお年を。
そして、新年おめでとう。
このナメクジ、ほめると溶ける
秋亜綺羅
ナメクジって、足がないのに歩いてる。
すごい!
生物は死ぬまで歩きつづけて、
生きる理由にたどりつけない。
ゴールは、屑かご。 宇宙の外にある。
屑かご。 どうせ屑かご。
捨てられているものは、
死んでしまった生物たちすべての
生きてしまった理由。
溶けて数えきれないので、
とりあえず。
ひとつ。
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詩
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お久しぶりです。
お久しぶりはもはや、このブログの常套句です。 な。
日本国では、民主党のおエラい立場の方々が地方を訪ね、原発の安全性を説いて歩いています。 科学者でもないひとたちに言われたくない。 という感情も、まぁ納得できます。…
だけど、問題はそういうことじゃなくて、考えてみると。…
もし、日本に政権交代がなく、自民党政権のままで昨年の原発事故が起きていたとしたならば…。 野党のはずの、この民主党のおエラい政治家たちは、それでも原発の安全を国民に訴えていたでしょうか。
たぶん、真逆でしょうね。 原発廃止論を必死に訴えていたはずですよ。 あのおエラい民主党の政治家たちは。…
立場によって、ころりと変わるゲームですからね、政治は。 だから、政治は面白いわけです。 オセロゲームみたいなものです。 政治家は、政治を思い切り楽しんでもらえばいい。
でも、ですよ。 サイコロを転がしてゲームするのはいいいけれど、「原子力」 までサイコロにして、転がされても困っちゃうんですよ、ね。 危ないからさ、原発を転がしたりしないで、よ。
幼い子どもにガスライターをあずけるより、何100万倍も危険です、ぜ。 消火方法も知らないような究極の火遊びは、やめにしようよ。
原子力 秋亜綺羅
「コンピュータ文明」 についての研究会があってわたしも呼ばれた。
そのあとパーティーがあって、 「コンピュータを欠かせない仕事をし、最先端のソフトで編集をしている、
詩人でもある秋亜綺羅さんに、コンピュータの未来を話していただきましょう」
とばかり、わたしに急に振られたわけだ。 ビールもちょっと入っていたし、
あいさつなんて準備もしていなかったし、渡されたマイクをつき返して、
わたし自身、なにをしゃべりだすかわからないまま、
即興の詩のボクシングのつもりで、つぶやいてみた。
コンピュータなんてないほうがいいに決まっている
都会に建築物なんてないほうがいいに決まっている
伝達のためのことばなんてないほうがいいに決まっている
生きていくのに数字なんてないほうがいいに決まっている
楽譜と指揮棒に命令される音楽なんてないほうがいいに決まっている
ひとは生まれた瞬間、死にたくないとは思わなかった
ひとは生まれた瞬間、生きることがうれしいとは思わなかった
ひとは生まれた瞬間、裸であることを恥ずかしいとは思わなかった
抱きしめておっぱいをくれるお母さんを好きだと思いはじめたのはいつか
あしたがあるんだと思いはじめたのはいつか
好きなひとに死んでほしくないと思いはじめたのはいつか
文明に管理されたいなんてだれも思っていない
経済学に身を任せたいなんてだれも思っていない
時代が量子力学に塗れているなんてだれも思っていない
津波にだいじなひとや家を流されて
それでも、海を憎んでいるひとに会ったことがない
海とひととその物語は、千年に一度の震災ですら例外ではなく
海とひととその物語は、いとおしく、せつない
ひとは俳優でしかないのだろうか
地球は劇場でしかないのだろうか
劇場のなかの俳優には
シーベルトなんて、ベクレルなんてさわれない
台本として渡されたセシウムにも
ストロンチウムにも毒を感じない
だが、コンピュータですらできる政治
だが、コンピュータでしかあやつれない原子力
政治にも原子力にも
いとしさと、せつなさが
これっぽちでもあっただろうか
と。
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詩をひとつ書こう
秋亜綺羅
「あしたがある♪ あしたがある♪ あしたがあるさ♪」
なんてみんなで歌うと、勇気が出てくる時代は悲しい
「俺たちにあすはない」
とばかり、いきがっていられた
そんなあしたは、もう、どこにもないのだ
詩をひとつ書こう
世界じゅうのたくさんの人生のために
というのは嘘だ
写真が一枚あれば詩は書けるさ
というのは嘘だ
写真の一枚に詩があるのにすぎない
詩があるのにすぎないのだ
人生ということばはたぶん嘘だ
切り取られた一瞬が
詩であるだけなのだ
活け花で枯れた葉を
はさみで切り捨てるように
巻かれたフィルムのなかの
枯れ葉のような一枚を
それが人生でいちばんの
一枚きりの写真なのだから
写真はきのうを撮ることはできない
残念だが、あしたしか撮れないのだ
夜眠るまえには必ず
写真を一枚撮るんだよ
あしたを作っておくのさ
安心して目覚めることができるでしょ
あしたになったら
あさってを作るんだ
いつか死ぬ日が来るよね
そしたら、あしたにおさらばさ
きのうにおさらばより
かっこいいじゃないか
詩をひとつ書こう
モノクロのネガを、あしたを
裏返すために
●●● 「季刊ココア共和国第9号」 のおしらせ ●●●
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新年おめでとうございます。 ははは。
ココア共和国のお正月は、おそいのだ。
ことし初めて、やっと自分のブログにやって来た、 秋亜綺羅です。
ずっと酔っぱらってたんじゃないです。 よ。
さて。 「季刊ココア共和国」 vol.7 に詩を書いてくれた、高校2年生の恋藤葵が、宮城県詩人会主催の、第2回YS賞を受けました。
では、受賞後第1作! というわけじゃないけれど、「季刊ココア共和国」 の次号のためにもらっていた数篇の作品のうちから、ひとつだけ、本人に内緒で公開しちゃいましょう。 (またかよ)。
「夢枕に立った蘭子」 恋藤 葵
手足を切られ
冷たく暗い海に
放り投げられた
私の気持ちが
分かりますか?
塩辛い海水が
口に入り込み喉を
指す痛みが。
もがく事もできず
あるかどうか
分からない海底に
落ちていって。
途中魚に啄まれ
いつかの桜のように
肉片が舞い散った。
私はあなたを
絶対に許さない。
夢枕に立って
そう言った蘭子に
私はバーカと
言った。
その後
冷たくなった私を
見つけて
悲鳴を
あげたのは…
誰だ?
お前。
うん。 恋藤葵のことばの世界は、石井萌葉や藤川みちるのそれとも、また違う楽しみ方ができます。 ことばを使って、新しい体験を試みる。 未体験の世界を、まるで思い出しているかのように、物語っていきます。
それでは、「季刊ココア共和国」 Vol.8 の、わたしの小詩集からひとつ。
「詩人の詩はつまらない」 秋亜綺羅
「詩人の詩はつまらない」
と、「ココア共和国」 の若い読者の多くは思っています。
「ココア共和国」 の若い読者の多くは、
ブログやケータイで詩を書いています。
そのいく人かが、わたしの事務所に集まることもあります。
朗読会をしようよというと、ⅰPod から音楽を流し、
ケータイにしまってある詩を読み始めます。
ブログというのは、もともと日記ですので、
彼らは日記を書くのに 「詩のかたち」 を利用しているのにすぎません。
宵越しの詩はつくらない。
詩人の詩のように、ことばをことばで考えるのは敬遠しがちです。
だけど、彼らにとってことばは道具にすぎないのだけれど、
落として割れると、凶器になることを感じはじめます。
石ころで頭を殴られたとしても、
石ころが脳みそにまで入ってくることはない。 だけど、
ことばは直接、脳に入りこんできて長くとどまるのです。
そしていつか、じつはことばは道具ではなく、事件そのものなのだ。
ということに気づいてしまうのです。
そこで若い詩人がひとり、誕生することになるわけです。
後輩たちに、「詩人の詩はつまらない」 と思われないように
がんばるしかなくなる、というわけです。
●●● 「季刊ココア共和国第8号」 のおしらせ ●●●
●●● 秋亜綺羅自身による詩の朗読 ●●●
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こんにちは。 秋亜綺羅です。
きのうのクリスマスの夜、石井萌葉から、ひさしぶりのメールが来ました。
石井萌葉は、ことしの元旦に発売された 「季刊ココア共和国」 vol.5に小詩集を組んでくれた、若い詩人です。 千葉県市原市に住む高校2年生。 もう17歳になったかな? しばらく音信不通っぽかったので、すこしく安心して、とってもうれしかった。 ブログを引っ越して、あいかわらず詩を書いているみたいです。 石井萌葉独特のリズムとロジックは、ますます健在でした。
わたしは、クリスマスプレゼントをもらった子どものような気分で、うきうきだったな。
さっそく詩をひとつだけ、 「無断転載」 をしちゃいましょう。
萌葉さん、ごめんね。 (この、ごめんねだけが得意の、秋亜綺羅くんです)。
「不快なライバル」 石井萌葉
ちょっとした冗談とか
熱すぎたおでんの話とか キーの合わない歌とか まずい外国のお菓子とか ずっとそこに挟まっといて そんなことから私の夢は 現実になろうとする そんなことが原動力で 私の世界は回り出す 弾け出すのが怖いかい 溢れ出すのが嫌なのかい 不快感と不快感と不快感で 私の世界は回り出す 小指挟んだ痛みとか 夢が現実になったとか 消しゴム忘れたとか 宇宙人見たあの子とか ずっとそこに挟まっといて そんなことから私の夢は ここを出ようとする そんなことが原動力で 私の視界は広くなる 預けておけば安心かい 真似が出来たら成功かい 不快感と不快感と不快感で 私の視界は広くなる 今日の天気悪いから 明日が来るんだ 今日は運が悪いから 明日になるんだ うん。 天才的に、ことばが開かれています。 軽くて、ちょっと毒がある。 飛んでいきそうで、酔いがまわりそうで。…。 踊りたくなるような、考えるのやめよう。 みたいな、そんな快感(不快感?)がありますね。
ほかの詩も、みんなよかったよ。 来年も 「季刊ココア共和国」 に登場してもらおう。 ね。
「季刊ココア共和国」 を出して2年になるけれど、3人のハイティーン詩人に出会いました。
ひとりは石井萌葉。 それから、仙台で女優をやっている19歳の藤川みちる。 もうひとりは、石巻の17歳、恋藤葵。 みんな女のコです。 すくなくともわたしより、才能あふれる詩人たちです。
恋藤葵は、被災の中心地・石巻の高校生で、わたしの住む仙台とは、電車のレールがまだつながらないまま。 それでも3度ほど会っているかな? 内緒だけど、ココアの次号に書いてもらう予定です。(なにが内緒なのだろう)。
藤川みちるは作・演出もこなす女優です。 つい先日、デートしたばっかで、ね。 29日も劇団 I.Q150の忘年会でデートする予定です。 あ。 藤川みちるはこのまえ、20歳になりました。 いっしょにビールとワインを飲みましたもん。
みんな、わたしよりちょっとだけ若い。 3人の歳をたすと54歳でしょ。 わたしは、60歳ですもんね。 わかったか。 どんなもんだ。
では、「季刊ココア共和国」 vol.8 に書いたわたしの詩から1篇。
「わたしの夢」 秋亜綺羅
わたしは、薄っぺらな手作りの詩集を、
街に立って、1冊100円で売って生活するのが夢ですね。
寒くなっても、眠くなってもいいように、段ボールをいつも持って。
きょうは3冊売れたから、のり弁当が買えるね。
学生の頃、1日だけ街に立ったことがありました。
簡単なことなのに、いまなぜしないのだろう。 と自分に問いかけています。
それはたぶん、わたしが野球のピッチャーだったとして、
打者にビーンボールを2球続けて投げる勇気がないのです。
1回の勇気より、2度続ける勇気のほうが、何十倍も必要だからです。
なにを、こわがっているのだろう。
自分の人生という名の打者に、
ビーンボールを投げ続けること。
●●● 「季刊ココア共和国第8号」 のおしらせ ●●●
●●● 秋亜綺羅自身による詩の朗読 ●●●
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