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第8弾!
誰もこんなにシリーズが続くとは思ってなかったよね…
現在、坂井平野合戦中につき、蛇足には「あの方」をご紹介させていただきました。
紹介して欲しい武将のリクエスト、常に受け付けしてますよ〜。
△仕様です(06/7/13) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/37549614.html
・岡吉正(おかよしまさ:雑賀衆右翼先鋒将)
岡吉正と言えば有名なのは信長狙撃のエピソード。
彼は雑賀衆の中でも有力な豪族であり、孫市と並び賞されるほどの鉄砲の名手でもありました。
石山合戦にも従軍し、自らも鉄砲を取って戦いました。
特に中でも激戦として名高い第二次石山合戦(天王寺合戦)では、陣頭指揮を執っていた信長を直接狙撃。
大腿を打ち抜く傷を負わせ、一時的に信長を天王寺砦に押し込めることに成功しました。
その後は秀吉の雑賀攻めの折に降伏。
秀吉に仕えたみたいです。
ちなみにこの岡、私にとって初めて自力で武将ドロップを拾った相手でもあります。
その時の記事はコチラ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/233290.html
△快進撃!(06/7/14) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/37594108.html
・小堀政次(こぼりまさつぐ:浅井家中翼中陣副将)
彼は浅井家の家臣というより、羽柴秀長配下として有名ですね。
どちらかと言えば内政屋で、新占領地の統括や後方支援を得意とした行政官だったそうです。
ただ、一般的には息子:小堀政一の方が歴史的に有名ですね。
政一の官職は遠江守。
そう、「小堀遠州(こぼりえんしゅう)」のことです。
遠州については過去に記事を書いてますのでご参照くださいな。
⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/35812068.html
攻略は特に特記事項なしです。
中副ですので、フツーに沈黙も入ります。
ただ、早く沈黙しすぎると点破が後衛に刺さることがあるので注意…
ま、刺さっても単発なら知れてますけどね。
倒し方としては、弱体下では守護持ちが2の侍:浅井剛槍隊しかいないので、普通にここを沈めるのが定石だろうと思います。
△とりあたま(06/7/17) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/37722521.html
・三田村国貞(みたむらくにさだ:浅井家敵陣中中後詰将)
三田村家というのは近江の土豪の中では名門だそうで、京極・浅見・浅井と、累代の近江の触れ頭に仕えたそうです。
国貞については多くは伝わってないみたいですが、横山城や小谷城の篭城戦に従軍し、最後まで浅井に殉じたそうです。
攻略については、彼は杖神主というマニアックな存在。
明神閃や狂風を使います。
武将戦において武将と同じくらい脅威となる徒党の2番目の位置が、幸い浅井剛槍隊(侍)ですので、普通にバランスが取れた徒党であれば、今やそれほど恐れる相手ではないでしょう。
・脇坂秀勝(わきさかひでかつ:浅井家左翼中陣副将)
脇坂家も近江の土豪ですが、もともと浅井の家臣だったようですので歴史はさほどには古くなく、所領も少なかったみたいですね。
秀勝は久政・長政に仕え、どちらかといえば文官的な存在だったみたいです。
秀勝自信は浅井家滅亡に殉じますが、彼の子の安治(徒党の2番目:侍)は後にまださほど有名でなかった秀吉に自ら志願して仕え、「賤ヶ岳の七本槍」の一人になり、朝鮮出兵でも活躍してます。
攻略としては、秀勝は陰陽なので術方剣と迅雷が怖いくらいかなぁ。
安治も普通の2番目の侍と変わりませんし。
徒党編成として特筆するのは、何故か弱体下でも守護2枚なこと。
このために最初の1体を沈めるのに多少手間取るかもしれませんが、逆に言えば攻撃力は並みの武将を下回ってますからガンガン押していっていいと思います。
△大ブレーキ(06/7/21) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/37880396.html
・原田秀兼(はらだひでかね:三好家中翼後陣副将)
列伝は過去に紹介してますので割愛( http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/27436769.html 参照)
非常に勉強になったのですが、中陣までの神職武将は沈黙しつつ盾職が釣るのが基本ですが、後陣副以降は神職武将には沈黙はしない方がいいみたいですね。
と言うのも、点破・明神閃が痛すぎるから!
生命3600防御500の薬師でも一撃で撃沈するそうな…
特に点破は守護できないのが脅威。
私は狂風が怖いので沈黙配ってたんですが、お蔭で旗に点破直撃。
一発で旗折れとなりました。
したがって、狂風はできれば減殺or孔雀で軽減するのが望ましいみたいです。
でなければ早めの回復で対処。
詠唱は裏看破等で早めに消しつつ、1には痺れを挟むのがベターかな。
△□◇今日の3連発(06/7/25) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/38049614.html
・三好康長(みよしやすなが:三好家右翼後陣副将)
「三好康長」と言われてもイマイチピンと来ないんですが、「三好笑岩:みよししょうがん」と言うと分かる人も多いのでは?
長慶・三人衆をよく補佐した三好一門衆の重鎮だったそうですが、三好勢力の衰退により名物茶器「三日月」を手土産に信長に臣従。
どうやら信長に気に入られたようで、以後は信長の武将として四国の三好家本来の領地を守ります。
しかし、本能寺の変前後にちょうど勢力を拡大してきた長宗我部元親に次第に追い詰められていきます。
笑岩は信長指揮下で中国方面を担当した秀吉を頼ってなんとか対抗しますが、本能寺の変により四国を捨てざるを得なくなったみたいです。。
その後はあまりよく分かっていないようですが、秀吉の甥の秀次を養子に迎えていた為、それなりに厚遇はされてたみたいですね。
文化人としても有名で、特に茶の湯では、天王寺屋:津田宗及の茶会に何度も招かれているそうです。
さて攻略ですが、彼は僧武将で、弱体しても@6にしかならないのでかなり強力と言えるでしょう。
天部光輪や僧兵連撃・改は強力ですからねぇ…
でも、天部光輪・弐や紫電一閃は無いのでまだマシかな?
あと、弱体下では薬師がいません。
そのため、1(三好康長:僧)と2(三好党精鋭:侍だったハズ)を倒せば蘇生が無くなります。
△おつかれさまでした!(06/7/26) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/38092958.html
・松永久通(まつながひさみち:三好家中翼先鋒将)
過去にも紹介してますが、列伝を紹介してなかったので再掲載。
彼は「乱世の梟雄」「戦国一の大悪人」と言われる松永久秀(三好家軍師)の嫡男で、家督をかなり早い段階で継いでいます。
久秀は長慶や信長などと行動を共にすることが多かったため、本領である多聞山城をこの久通が守るという形で分業していたみたいです。
ただ、実際の政治的判断は久秀に全て従っており、そういう意味でも徳川家における秀忠のような存在だったみたいですね。
2回信長へ叛旗を翻した久秀ですが、2回とも久通も従っており、有名な「久秀爆死」の時に共に自害したそうです。
攻略については過去記事参照⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/5699159.html
ま、今となっては苦戦する相手ではないハズ。
とは言っても、油断して看破忘れたりすると人死が出るのでご注意を…
☆蛇足
・朝倉義景(あさくらよしかげ:朝倉家総大将)
言わずと知れた越前の大名。
「名門」と言われてますけど、家格で言えば守護代でしかなく、斯波家の家老クラスだったんですよね。
そういう意味では、「名門」ではあるものの、「超名門」ではないかも。
でも義景は「名門」の一人息子としてとっても甘やかされて育ったみたいですねぇ。
当時の朝倉家は北方の一向宗に度々攻められていたんですが、当代を代表する名将:朝倉宗滴教景(そうてきのりかげ)の獅子奮迅の活躍によりその都度撃退。
また南方は北近江の土豪だった浅井家(ただし、当時は大名と言えるような勢力では無かった)と結んでおり、朝倉家の勢力は安泰でした。
そんな中、そのまま何の苦労も無くエスカレーター式に大名になったので、戦塵とは無縁の文化人大名になったのも無理の無いことでしょう。
文化を愛でて、城下町の一乗谷に京から文化人を招き、風雅の町を作ったあたりにも現れてますよね。
まぁ、これは単純に京と地理的に近かったことや、「鯖街道」を通じて常に京との交流があったことも大きく影響していますけどね。
こういう文化人大名ってのは、平和な時代に生まれていれば大きな功績を残す人が多いんですよ。
でも、彼は運悪く波乱の時代に生まれてしまった。
朝倉家を風雲の時代に盛り立てるとすれば、おそらく足利義昭公が亡命してきた際の上洛要請に乗るしかなかったでしょう。
しかし、彼は様々な理由をつけて断ります。
最後にはいよいよ出陣の直前までなりながら、子供の病気を理由にやっぱり中止にしてしまう。
これで愛想を尽かした義昭公は織田家へ亡命するんです。
そしてその後は言わなくてもご存知ですよね。
金ヶ崎では勝ったものの、肝心の信長を取り逃がしたが為に姉川で敗戦。
続く小谷落城で部下にも見限られた義景は、一門の重臣:朝倉景鏡(かげあき)の勧めにより一乗谷を脱出したものの、結局はその景鏡に裏切られ、失意のまま自害しました。
その時、彼が手塩にかけて作り上げた一乗谷の町も、すでに灰燼に帰していたそうです。
辞世はこう伝わっています。
「七転八倒 四十年中 無他無自 四大本空」
(苦しみもがいた四十年の生涯であったが、結局他も無く自も無く本来空しいものであった)
なんかこの句を見ると、義景って人が可哀想に思ってしまいますよね…
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