○ご報告
先週から職場での更新ができなくなった私。
職場の休み時間に更新するという生活が身についてしまった分、時間がなくなって更新が粗雑になっておりました。
これに対する対応策として、本日より、『職場で記事を書き、家に原稿を持ち帰って更新する』というスタイルに変えてみます。
ぶっちゃけ、いくつか書き溜めてる記事も再活用できますし、時間も有効活用できるし。
ま、乞うご期待!
△逆襲!
本日は少し寝坊して4時半に起床。
ちょうど陣開始時間に当たったみたいで、急いで田倉崎にインです。
入ってみると、なんだか見知った顔ばかり。
「今なら入れる!」
ってことで、初の三好合戦私設に潜入です。
いや、別に気にする必要は無いのかもしれませんが、やっぱり3年敵対してた「引け目」ってのがある訳ですよ。
だからなんだか敷居が高く感じてねぇ…
ま、徐々に慣れていきたいと思います。
さて、ともかくそんな訳で入ってみますと、早速例の方から召集が。
薬師で混ぜて頂きまして、そこから大館⇒三淵⇒和田と参加させていただきました。
和田の時は防衛に捕まってしまいまして。
で、その後に取り付こうとしたんですが、見事に割れます。
結果、唯一の回復職である私が死亡。
「出直しかな〜」と思いきや、脅威の粘りで持ちこたえる徒党。
「ひょっとしたら間に合っちゃう?」と思って急ぐ。
…間に合っちゃいました!
厳密には1名は間に合わなくて離脱してしまったんですけど、欠員補充がスムーズに行きまして。
で、合流すると危なげなく撃破できたという…
中陣弱体なしでも、回復なしで10分持つんですねぇ…
その後は副将の槙島ゲリラがあったんですが、私が戦況を見切れずに失敗。
そこからズルズル敗戦となりました。
ご迷惑をおかけしました。
徐々に勘を取り戻したいと思いますのでご容赦くださいませ…
☆今日の武将
・三好長慶(みよしながよし:三好家総大将)
ようやく三好の人間になれた気がしましたので、記念に大名の紹介を。
「みよしちょうけい」と読む人もいますね。
どちらの読み方でも問題は無いかと。
ともかく、言わずと知れた梟雄にして、「畿内の覇者」というべき英雄ですよ。
彼を語る上では、やはりまず畿内の権力抗争を知る必要があるでしょう。
えー、無茶苦茶長くなるので、概要は過去記事を参照してもらいましょう。
過去記事はコチラ⇒ 「△五人の細川」
このように、畿内の歴史は細川氏の内部抗争に、その周辺勢力である三好や畠山・浦上・木沢・遊佐・一向宗などが複雑に集合離散を繰り返して、もう見事な泥仕合になっていました。
そんな中、長慶は三好家頭領:三好元長の嫡男として登場します。
父:元長はこの頃、細川晴元(足利家四天王)の腹心中の腹心で、晴元が細川氏の本家を実力で奪うに当たって尽力し、晴元を凌ぐほどの声望を得ていました。
しかし、そんな元長が次第に邪魔になった晴元は、木沢氏・一向宗らと今度は元長排斥を狙います。
その結果、元長方は天王寺合戦において敗戦。
長慶は阿波・讃岐の本領に戻りますが、元長はこの敗戦から立ち直れず、再び攻められて自刃します。
長慶はこの時10歳。
しかし、家中は当時の畿内勢力には在り得ないほどの結束力を持っており、さらに阿波細川氏とも強力な連携体制を強いていたために晴元・木沢らは攻めあぐね、さらには内部反乱分子や一向宗の抵抗もあって、最終的には講和に落ち着きます。
講和後は晴元の武将として徐々に頭角を現し、ライバルであった木沢氏などを滅ぼして、父と同様に晴元を凌ぐ勢力に成長します。
そして、時機を見て晴元に敵対。
晴元と将軍:義輝を近江に追放し、機内を完全に掌握するのです。
この時期までの長慶は、正に「英雄」もしくは「梟雄」そのものなんですが、この後、突然その精彩を失います。
原因と言われているのは大きく2つ。
1つは自らの腹心:松永久秀に毒殺されたというもの。
毒を盛り、徐々に正気を失わせたとする説ですが…
正直、これは信憑性が薄い気がします。
もう1つの説。
それは、相次ぐ身内の不幸に心身の健康を蝕まれたという説。
彼は、その苛烈な経歴のに似合わない「優しい文化人」という一面もあるんです。
例えば、細川氏との権力抗争に明け暮れながらも、将軍家には最後まで礼節を曲げていない上、かつての主家:阿波細川家も完全に滅ぼさずに勢力下に吸収しています。
連歌などにも深い造詣があり、武将のイメージもありながら、どこか線の細い貴公子然とした優しい雰囲気を漂わせてるんですよね。
そんな彼ですから、早くに父を亡くした分、弟達や嫡男に対しても戦国人らしからぬ優しさで接していたのかもしれないですね。
彼が変調するのは、弟:十河一存、同じく弟:三好義賢(実休)、嫡男:三好義興と相次いで失った時。
3人とも、急な病死や戦死でした。
このことに、教養人の彼は常人以上に無常感を感じたのでしょうか。
この後の彼は、明らかに全てを「投げて」しまいます。
松永久秀が勢力を強めても、まるで無策に放置してしまいますしね。
最後には正常な判断もできないようになっていたのか、もう1人の弟:安宅冬康まで誅殺してしまい、自らも後を追うように病死したと伝えられています。
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三好長慶ってそんな人物だったのかぁ、やっぱその過去とかを知るとイメージがかわるな、足利に長くてさらに歴史大嫌いな俺にとっちゃあ三好長慶は敵でしかなかったしなw この武将紹介はおもろいな!あぶぶさん頑張ってどんどんやってくれぃwwwもう鍋の季節じゃああああ、やっぱ牡蠣かタラだよね;;アレハウマイ 神戸の鍋もうまそうだなぁ・・・いきてぇ・・・
2006/11/7(火) 午後 7:44 [ けいうん ]
えっとね、他の武将紹介もそうだけど、決して鵜呑みにしないでね。 私なりに調べ、私なりに考え、私なりの解釈で書いてありますから、世間一般の通説とちょっと違うこともありますから。 例えば今回の長慶についても、「下克上でのし上った戦国大名らしい冷徹な男」であり、「弟達に裏切られるのを恐れて次々に暗殺した」という解釈もあります。 歴史ってのは、そうやって個人個人が解釈するものだから奥が深いんですよね。
2006/11/8(水) 午前 1:19
んまぁ、過去なんぞわからんもんだからなw俺は自分で見たものしか信じないし、そーゆう意味でゎあぶぶさんの考え方を読んでおもしろいなって思ってるだけかねぃw 人の考えっておもろいなぅ・・・
2006/11/8(水) 午後 10:44 [ けいうん ]
過去ってか、その人が何を考えていたかは、その本人にしか(場合によってはその本人にすら)分からないものだもんね。 私の解釈ってのは、大体の場合は敗者や不人気武将に同情的だから分かりやすいでしょ?(笑)
2006/11/9(木) 午前 6:00
諱は訓読みが決まりだから、正式には「ながよし」なのでしょう。 「ちょうけい」は諱を呼んでしまうのを憚ってついた愛称みたいなものかと。 好きな武将です、長慶。足利に行くか三好に行くかはかなり迷った過去があったり。というわけで、いいわね、三好w
2006/11/25(土) 午後 0:45 [ あそー ]
久しぶりだね、あそーさん! 読み方の件、仰るとおりなんだろうね。 ま、でも、そういう意味で「どっちでも問題ない」でしょ? お、あそーさんも三好来る? 来るにせよ来ないにせよ、また話したいなぁ。 今の私にとって、あそーさんはとってもいい話し相手になってくれそうな気がするからさ…
2006/11/26(日) 午後 10:36
問題ないと言い切るにも抵抗あるけど、つい最近までは私も「チョウケイ」と読んでいたしという複雑なキモチ。オフ信長では確か、半兵衛が重治になった頃にチョウケイもナガヨシと読まれるようになったのよね。私は国家と結婚しているから三好に行くこともないでしょう。評定委員の力にならないとという気持ちもあるし。話し相手にはなってあげたいけど、時間が本当に合わないのよねーw
2006/11/29(水) 午後 11:31 [ あそー ]
逆に私は数年前に「ちょうけい」と読む人がいるのを知ったよ。 ともかくこの時代って、あそーさんも仰ってるように名前を呼ぶのを避けてたから、雨森弥兵衛とか雑賀孫市とか、本名もよく分からなかったり具体的に誰なのか特定が難しい武将もいるよね。 そこがまた楽しい訳だけど。 時間合わないねぇ(笑) ま、またいつか見かけたらよろしくね〜。
2006/11/30(木) 午前 9:41 [ あぶぶ@三好 ]