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今日は7時まで熟睡…
いや、厳密には一旦いつもの時間に起きたんだけど、今日は休むことにしたんです。
おかげで体力回復。
今日からまたがんばれますよ!
あ、ちなみに今日は恐らく夜に入れると思いますよ。
予定は未定ですけどね…
☆今日の武将
・中川清秀(なかがわきよひで:足利家左翼先鋒将)
天王山合戦何回もやってるのに、天王山を代表する猛将、中川瀬兵衛君を紹介し忘れてましたね…
彼はもともと淵兵衛という兄弟と一緒に戦場を駆け回った猛者だったとか。
淵兵衛が戦死した後も武功を重ね、荒木村重の組下として活躍。
その後、彼の部下が本願寺に兵糧を横流ししたことが発覚し、それが原因で上司の村重は謀反。
しかし彼自身は一旦は村重につくものの織田家に残ります。
そして有名な「山崎(天王山)合戦」へ…
「天王山」と言えば今では「勝敗を決する重要な局面」という意味で使われる慣用句になってますが、この語源が中川瀬兵衛なんですよ。
「山崎合戦」は、言わずと知れた羽柴秀吉と明智(惟任)光秀の合戦です。
中国道を一気に引き返した羽柴軍は、京・近江の明智軍に対抗するため近畿一円の武将を味方につけようと必死で働きかけます。
交通の要所である茨城城主だった瀬兵衛には、秀吉は直々に足を運んで懇願したと伝えられます。
要請を受けた瀬兵衛は、ライバルである高山右近(三好右先:高山友照の子)と共に羽柴軍の先鋒となります。
しかし、ライバルに負けたくない瀬兵衛は、独断で勝手に天王山を抑えてしまいます。
結果的にこれが主戦場の山崎を見下ろす位置だったため、明智軍の先手を取ったこととなるんですよ。
以下、ゲーム中の所属と併記しながら両軍の布陣と経過を書きますと、
天王山を抑えに来た明智の右翼先鋒松田隊(未登場)を羽柴軍左翼として黒田官兵衛(未登場)や羽柴小一郎(織田家)らと共に防戦。
会戦を察して羽柴軍中翼高山右近(三好家?)や堀秀政(織田家)と明智軍中翼御牧景重(足利家)も衝突。
隘路と湿地に阻まれて局地的には劣勢になりますが、瀬兵衛・右近らが必死で支えます。
その間に羽柴軍右翼の池田恒興(織田家)や加藤光泰(斎藤家)らが渡河迂回し挟撃。
明智軍左翼斉藤利三(斎藤家)や妻木広忠(斎藤家)らが応戦するものの、結局は総兵数で劣る明智側が敗北したのでした。
この戦いの後、勝敗が決した後に瀬兵衛が軍を休めているところに秀吉が通りかかりますが、開戦前は
卑屈なまでの低姿勢だった秀吉が、輿から降りようともせずに「瀬兵衛、骨折り(おつかれさま)」とだけ言って通り抜けたため、瀬兵衛は「誰のおかげで勝ったんだ!」と悔しがったとか…
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