あぶぶろぐ

草を一気に焼き払えっ!

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戦国雑学第3弾。
なんかリクエストあれば書きますから言ってくださいね。


△Mr.Sunrise(06/3/8) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/27828205.html
☆今日のドロップ
・右近の陣羽織(三好家:松倉重信ドロップ)

「筒井家の右近左近」と、島左近と並び称された松倉右近重信のドロップです。

彼については過去に紹介しましたかね。
http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/10574271.html 参照)
「島原の乱」につながるというあたりに何かしらのロマンを感じるのは私だけでしょうか?
しっかし、右近なのに何故か左翼なんだよなぁ…


△チームFUKUMEN始動! (06/3/19) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/29050745.html
☆今日のドロップ
・青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう:青龍ドロップ)

水の力を使い放題なんで、今度水攻め用に持っていってみようかな〜♪

さて、青龍偃月刀と言えば、三国志の英雄「関羽」ですね。
一騎当千の豪傑にして義理人情に篤く、後にそこから商売の神様にまで祭り上げられた英雄ですね。
神戸にも「関帝廟」がありましてね。
なかなか綺麗なものですよ。
神戸にお立ち寄りの際にはぜひご覧くださいませ。


△いってきまーす (06/3/22) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/29402765.html
☆今日の技能
・兵貴神速(へいきしんそく(へいはしんそくをたっとぶ):上級軍学・弐)

打撃技能の準備を消す技能。
「剣閃」と併せて体力減効果をつけるのが有名。
でも、「渾身撃・参」とかは準備消せなかった…

えー、この言葉の語源、孫子の一節「兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを睹(み)ざるなり」から来てると思ってたんですが、どうやら違うらしい。
意味としては同じなんですが、「兵は神速を貴ぶ」という言い方をしたのは三国志の名軍師「郭嘉」だそうです。
袁尚や烏丸を討伐する際に、遠征中に後方を劉表・劉備に襲われるのではないかという議論になんた時、こう言って曹操の決断を急がせ、軽兵によって一気に進攻。
結果、烏丸の単于を討ち取り、袁尚らは遼東へ敗走したそうです。


△ミッションコンプリート(06/3/27) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/29925838.html
☆今日の場所
・天王山トンネル(てんのうざんトンネル:山城・摂津間戦場)

関西の人間なら渋滞の名所として有名な、名神高速道路で一番長いトンネルですね。
最近は車線が倍増したのであんまり混まないみたいですけど。
通る時に「そういえばタイムリーな場所通るなぁ」と思って撮影したですよ。
標識の絵の兜は桔梗紋ですから、おそらく光秀の兜のつもりなんでしょうなぁ。

天王山と言えば、戦国時代に、「本能寺の変」で天下を奪った明智光秀と、「中国大返し」で一気に戻ってきた羽柴秀吉が天下の覇権をかけて戦った「山崎合戦」の古戦場のある山ですよね。
今でも「天王山」は「勝敗の帰趨を決する局面」という意味で使われますよね。
ま、このあたりは過去に書いてますのでコチラをご覧くださいませ。
http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/5761765.html
他にも「洞ヶ峠」なんて言葉もこの合戦で生まれた言葉なんですが…
これはまたいずれ紹介しますかな。


△吉崎御坊(06/3/28) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/30027402.html
☆今日の観光地
・吉崎御坊跡(よしざきごぼうあと:福井県あわら市:写真参照)

簡単に言いますと、「加賀一向一揆」の発祥の地と言うべき場所ですね。

一向宗(浄土真宗)は親鸞が創始者ですが、広まったのは戦国時代初期の8代目蓮如(れんにょ:又は「本願寺兼寿」)の時代です。
(蛇足ですが、蓮如は顕如の曽々祖父になるようですよ)
彼は「御文章」と呼ばれる手紙で分かりやすく教義を説いた為、爆発的に門徒を増やしたそうです。
彼は北陸に布教に赴いており、その時の拠点がこの吉崎御坊だったそうです。
しかし、あまりにも急激に巨大な勢力となったため、政治的にも利用されることとなったのです。
応仁の乱により加賀守護の富樫氏も東西に分かれて争ったのですが、この時に一向宗は富樫政親を支持。
これにより政親は加賀守護になれたのですが、逆にその実力を恐れ、一向宗の弾圧をはじめます。
そしてこれに一向宗が応戦。
ついには1488年、政親を攻め殺してしまいます。
結果、この後1580年に織田軍が加賀を平定するまでの約一世紀、加賀は「百姓の持ちたる国」になったのです。

ちなみにこの御坊自体は、その後富樫氏の残党を吸収した越前守護の朝倉氏が加賀一向一揆による越前攻めを退けた際に破却されています。
信長で出てくる「坂井平野合戦」は、この時の戦場なんですね。


△一歩一歩…(06/3/30) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/30241709.html
☆今日の観光地
・小谷城址(おだにじょうし:滋賀県湖北町)

京都・名古屋方面から北陸自動車道に乗りますと、最初が長浜IC、その次が木之本ICになります。
ちょうどその長浜と木之本の中間くらいで、進行方向右手(東側)に「小谷城址」が見えます。
ゲーム上では今の長浜の位置に小谷がありますが、現実には少し北東の山岳部に近い場所なんですね。

言うまでもなく浅井氏の居城だった訳ですが、実は小谷城が城郭として機能したのは半世紀ほどだったみたいです。
長政の祖父の亮政が築城したのが1520年頃、長政が自刃して落城したのが1573年。
しかし、逆に新しい城であった分、戦国時代の築城技術の先端を行く大城砦だったそうですね。
この後、秀吉は小谷城を廃城にして長浜城を築き、「城」の存在意義自体が「戦略的な拠点としての城」というより「政治経済の中心地としての城」に移行していくのです。


△五人の細川(06/4/28) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/33071652.html
☆今日のドロップ
・細川両家記(三好家輜重隊武将:細川真之ドロップ)

信長オンラインに登場する武将には、「細川」氏が合計5人います。
足利家の細川晴元(四天王)・藤孝(四天王)・昭元(中中主将)・藤賢(敵右中後詰)と、三好家の真之(小荷駄)。
この5人をグループ分けすると、晴元と昭元は親子でもあり同じグループなんですが、他の3人は全く別のグループになります。

そもそも細川家というのは、足利家の一門で、室町幕府設立にあたり最も活躍した家系なんです。
そのため、細川家は恩賞として四国と畿内を中心とする広大な領地を与えられます。
結果、細川氏は多くの分国を分家に支配させます。

そして、時は流れて…
応仁の乱を引き起こした細川勝元。
彼はいわゆる本家筋。
家格は当時の武家の中で最も高い管領の家柄で、俗に「細川管領家」または「京兆家」と呼ばれます。
この細川管領家の家系が細川晴元・昭元父子になります。

この細川管領家の分家が細川藤賢。
代々「右馬頭」という官職を名乗った為、俗に「右馬頭」の中国での呼び名を冠して「典厩細川家」と呼ぶらしいです。


次に、和泉を領国とした細川家の家系が細川藤孝。
俗に「和泉細川家」または「上守護家」と呼ばれます。
明治まで大名家として残ったのは、この家系になります。

最後に、信長では唯一三好家配下として登場する細川真之。
彼は阿波を領国とした家系。
俗に「阿波細川家」と呼ばれます。

少々脱線しますが、この阿波細川家の家老だったのが三好家。
しかし、戦国時代には実権を完全に掌握しており、真之は完全に傀儡になっています。
その上、真之の父:持之は三好長慶の弟:義賢に殺害され、さらに持之の妻で真之の母である女性は、持之の死後、義賢の妻にさせられています。
つまり、道義的にも主従を逆転させたんですね。

さて、話を戻しましてこの「細川両家記」。
これは、細川管領家の家督争いを書いた書物なんです。
(まぁ、後半は三好家と織田家の抗争を書いてるんですけど…)
晴元の父:澄元はもともと阿波細川家出身で、京兆家に養子入りしてるんです。
澄元が家督を継ぐに当たって、同様に分家から養子入りした細川高国などの協力を得るんですが、今度は高国と澄元が対立。
実家の阿波細川家の協力を得た澄元と、畿内の豪族を纏めた高国の間で長年にわたる合戦がおこるのです。
そして、澄元派(すでにその時には澄元は死去。晴元が継いでいます)が勝利するんですが、今度はその武将:三好元長と対立。
一時は晴元側が元長を討ち取りますが、阿波に帰って力を蓄えた三好元長の子:長慶に大敗。
逆に畿内の実権を三好が握ることになるのです。


☆蛇足
・武将と家紋について

信長オンラインに登場する紋所。
これのそれぞれに対応する武将などを探してみました。
まぁ、対応するステータスで選ぶのが一般的ですが、一応参考までに…
(画像提供:ムニさん@Y口組)

桜紋(腕力)=不詳
最初から申し訳ない…
桜はパッと散ることから武士に好まれましたが、個人が散るのはともかく家が散ってしまってはいけないので、家紋としては古来は好まれなかったんだそうです。
ただ、吉田茂や後世の仙石家は桜紋とのことです。

鱗紋(耐久)=北条氏康
前北条氏(鎌倉執権の北条氏)の家系は基本的にこの「三つ鱗」。
そのため、後北条氏(戦国時代の北条氏)も「三つ鱗」を使ったそうです。
他にも江間輝盛など、平氏系の豪族には意外と多いみたいです。

笹紋(器用)=竹中半兵衛
ただし、竹中氏は「九枚笹」。
信長の中の笹紋「五枚笹」は笑福亭一門・明石家さんまの家紋だったりします。

銭紋(知力)=真田幸隆・昌幸
言わずと知れた「真田六文銭」ですね。
他には徳川家の青山忠成は「無文銭」だとか。

月紋(魅力)=山中鹿之助
鹿之助と言えば「三日月」がシンボルマークですからね。
他には千葉氏の家系が「月星」だそうですね。

葛紋(土)=不詳
結構調べたけど分からなかった…

波紋(水)=小栗忠政
この「対い波」は徳川家旗本として有名な小栗家の家紋だそうな。
ちなみに斎藤家の「二頭波頭」は道三がデザインしたそうですよ。

鶴紋(火)=森可成・蘭丸
森氏はこの「鶴丸」だったそうですね。
あと、蒲生氏や南部氏も「対い鶴」だったらしいです。

巴紋(風)=結城秀康・不破光治・氏家卜全
「三つ巴」は武家・社家に多く見られる家紋ですね。
「三つ巴」だけでも、他に赤松家・宇都宮家・小早川家、「九曜巴」は長尾家などなど…
とにかくすごいたくさんの武将が巴紋ですよ。

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