あぶぶろぐ

草を一気に焼き払えっ!

戦国予備知識

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信長オンラインに登場する場所や物の紹介。
分かる範囲でお答えしますので、質問もよろしくです〜。

http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/96/78/cacti_abu/folder/43095/img_43095_27061708_0?20060307211753
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先日、例の新規私設内でこんな会話がありました。
「侍といえば刀だよね」
「いや、侍は弓でしょ、本当は」
なるほど、そういうイメージってありますよね。
しかしこのゲームの舞台である(と思われる)戦国時代後期に限って言えば、本当はどうだったんでしょうね?


まず、平安末期から鎌倉時代の侍(武士)と言えば、基本的に弓がメインの武器でした。
だから、武士のことを「弓取り」、武家のことを「弓矢の家」という言い方もあるくらいで。
基本的に矢戦があり、その後で名乗りを挙げて、正々堂々一騎打ち。
夜明けと同時に合戦が始まり、日が暮れたら停戦。
これが当時の武士の戦のスタイルです。
で、この時に討ち取った敵のトドメを刺したり、首を切ったりするのが家来の仕事で、これに刀が使われました。
従って、当時の刀は今で言う護身ナイフと万能ナイフを兼ねたようなもので、いつも身につけていたことから、身分の高い武士用にいろいろと細工が施された華美なものも現れたようです。
また、当時は防具として「大鎧」が用いられ、矢に対しての防御力はあるものの、運動性はそれほど重視されていなかったことがよく分かります。

さて、逆に近世ですが、江戸時代末期の武士には「刀は武士の心」という信仰が根付いていたそうです。
この時代には武士は完全に形骸化した支配階級であるにすぎず、いわゆる戦士としての武士ではなくなっていた訳です。
その結果、彼らは理論と概念により自らの価値を見出し、主君の為に生きるという、いわゆる朱子学的な「武士道精神」というものが現れたのです。
そして、そのシンボル的なものとして、刀があったようです。
唯一普段から持ち歩いている物ですから、これに何か特殊な感情を抱いたんでしょうね。
また、この当時は基本的に平和な時代ですから、防具を着て歩いている訳じゃないですから、刀は武器として十分な殺傷力も持っていたようです。

では、戦国時代はどうだったのか。
一応、鎌倉時代以降の弓矢による合戦がまだ残っていたようです。
しかし応仁の乱以降、足軽という集団戦のための兵士が登場し、これにより一騎打ちは完全に姿を消し、「夜討ち」「朝駆け」と呼ばれる夜間の戦闘も行われるようになりました。
また、戦国中期には従来の「大鎧」に代わる防具として、運動能力をある程度保った「胴丸」「腹巻」という防具が登場し、刀では致命傷を与えるのが非常に困難になりました。
結果、実は戦国時代中期から後期にかけて、接近戦で最も殺傷力を持った武器は、実は棍棒などの重くて大きい鈍器だったと言われています。
そういうものなら胴丸の上からでも大きな衝撃を与えましたから、即死とはいかなくても戦闘力を奪うには十分だったそうですから。
薙刀や戦斧なんかを使った武将もいたみたいですが、これも同様に重さと衝撃でなぎ倒すものだったみたいです。
ただし、刀は全く使われなかったかというとそうでもなく、例えば「剣術」というものができたのもこの時代です。
今まではただ力任せになぐりつけていた刀の使い方は、この後だんだんと精神的なものに昇華されていくことになります。
槍という武器もこの当時大いに流行しましたが、これは敵の間合いの外から攻撃できる利点がありますが、その分扱いが難しく、「槍の又兵衛」「槍の才蔵」「槍の又左」などの一部の運動神経と身体能力に秀でた豪傑にしか使いこなせなかったみたいですね。
信長は長槍部隊を作って、古代ローマのファランクス隊みたいなものを作ろうとしてたみたいですが、彼はこれよりもっと有効な武器を見つけ、そちらでより完璧な集団戦闘を実現しました。
そう。鉄砲です。
鉄砲は戦国中期の終わりに伝来し、それから10年で戦場のメイン武器の地位に登りつめたのです。
最初にこの新兵器に注目したのは根来雑賀の地侍だったそうですが、石山合戦において彼らは鉄砲による要塞防衛を行い、この有効性に気が付いた信長がこれを発展させ、長篠合戦において武田騎馬隊を撃ち破ったとするのは有名ですよね。
(ただし現在では、有名な三段構えで撃ち破ったというより、緒戦において拠点に引き付けて鉄砲の一斉発射を行い敵を怯ませ、動きを止めた上で圧倒的兵力で直接攻撃し、壊走する敵を追討したとする説が有力ですが、いずれにしてもメイン兵器として使用したことは間違いない模様です。)


まぁ、いろいろ書きましたがそんな訳で、当時の侍は案外いろんな武器を使ってたみたいですよ。
変に拘らず、いろいろ持ってみてもいいかもですね。

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戦国雑学第3弾。
なんかリクエストあれば書きますから言ってくださいね。


△Mr.Sunrise(06/3/8) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/27828205.html
☆今日のドロップ
・右近の陣羽織(三好家:松倉重信ドロップ)

「筒井家の右近左近」と、島左近と並び称された松倉右近重信のドロップです。

彼については過去に紹介しましたかね。
http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/10574271.html 参照)
「島原の乱」につながるというあたりに何かしらのロマンを感じるのは私だけでしょうか?
しっかし、右近なのに何故か左翼なんだよなぁ…


△チームFUKUMEN始動! (06/3/19) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/29050745.html
☆今日のドロップ
・青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう:青龍ドロップ)

水の力を使い放題なんで、今度水攻め用に持っていってみようかな〜♪

さて、青龍偃月刀と言えば、三国志の英雄「関羽」ですね。
一騎当千の豪傑にして義理人情に篤く、後にそこから商売の神様にまで祭り上げられた英雄ですね。
神戸にも「関帝廟」がありましてね。
なかなか綺麗なものですよ。
神戸にお立ち寄りの際にはぜひご覧くださいませ。


△いってきまーす (06/3/22) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/29402765.html
☆今日の技能
・兵貴神速(へいきしんそく(へいはしんそくをたっとぶ):上級軍学・弐)

打撃技能の準備を消す技能。
「剣閃」と併せて体力減効果をつけるのが有名。
でも、「渾身撃・参」とかは準備消せなかった…

えー、この言葉の語源、孫子の一節「兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを睹(み)ざるなり」から来てると思ってたんですが、どうやら違うらしい。
意味としては同じなんですが、「兵は神速を貴ぶ」という言い方をしたのは三国志の名軍師「郭嘉」だそうです。
袁尚や烏丸を討伐する際に、遠征中に後方を劉表・劉備に襲われるのではないかという議論になんた時、こう言って曹操の決断を急がせ、軽兵によって一気に進攻。
結果、烏丸の単于を討ち取り、袁尚らは遼東へ敗走したそうです。


△ミッションコンプリート(06/3/27) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/29925838.html
☆今日の場所
・天王山トンネル(てんのうざんトンネル:山城・摂津間戦場)

関西の人間なら渋滞の名所として有名な、名神高速道路で一番長いトンネルですね。
最近は車線が倍増したのであんまり混まないみたいですけど。
通る時に「そういえばタイムリーな場所通るなぁ」と思って撮影したですよ。
標識の絵の兜は桔梗紋ですから、おそらく光秀の兜のつもりなんでしょうなぁ。

天王山と言えば、戦国時代に、「本能寺の変」で天下を奪った明智光秀と、「中国大返し」で一気に戻ってきた羽柴秀吉が天下の覇権をかけて戦った「山崎合戦」の古戦場のある山ですよね。
今でも「天王山」は「勝敗の帰趨を決する局面」という意味で使われますよね。
ま、このあたりは過去に書いてますのでコチラをご覧くださいませ。
http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/5761765.html
他にも「洞ヶ峠」なんて言葉もこの合戦で生まれた言葉なんですが…
これはまたいずれ紹介しますかな。


△吉崎御坊(06/3/28) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/30027402.html
☆今日の観光地
・吉崎御坊跡(よしざきごぼうあと:福井県あわら市:写真参照)

簡単に言いますと、「加賀一向一揆」の発祥の地と言うべき場所ですね。

一向宗(浄土真宗)は親鸞が創始者ですが、広まったのは戦国時代初期の8代目蓮如(れんにょ:又は「本願寺兼寿」)の時代です。
(蛇足ですが、蓮如は顕如の曽々祖父になるようですよ)
彼は「御文章」と呼ばれる手紙で分かりやすく教義を説いた為、爆発的に門徒を増やしたそうです。
彼は北陸に布教に赴いており、その時の拠点がこの吉崎御坊だったそうです。
しかし、あまりにも急激に巨大な勢力となったため、政治的にも利用されることとなったのです。
応仁の乱により加賀守護の富樫氏も東西に分かれて争ったのですが、この時に一向宗は富樫政親を支持。
これにより政親は加賀守護になれたのですが、逆にその実力を恐れ、一向宗の弾圧をはじめます。
そしてこれに一向宗が応戦。
ついには1488年、政親を攻め殺してしまいます。
結果、この後1580年に織田軍が加賀を平定するまでの約一世紀、加賀は「百姓の持ちたる国」になったのです。

ちなみにこの御坊自体は、その後富樫氏の残党を吸収した越前守護の朝倉氏が加賀一向一揆による越前攻めを退けた際に破却されています。
信長で出てくる「坂井平野合戦」は、この時の戦場なんですね。


△一歩一歩…(06/3/30) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/30241709.html
☆今日の観光地
・小谷城址(おだにじょうし:滋賀県湖北町)

京都・名古屋方面から北陸自動車道に乗りますと、最初が長浜IC、その次が木之本ICになります。
ちょうどその長浜と木之本の中間くらいで、進行方向右手(東側)に「小谷城址」が見えます。
ゲーム上では今の長浜の位置に小谷がありますが、現実には少し北東の山岳部に近い場所なんですね。

言うまでもなく浅井氏の居城だった訳ですが、実は小谷城が城郭として機能したのは半世紀ほどだったみたいです。
長政の祖父の亮政が築城したのが1520年頃、長政が自刃して落城したのが1573年。
しかし、逆に新しい城であった分、戦国時代の築城技術の先端を行く大城砦だったそうですね。
この後、秀吉は小谷城を廃城にして長浜城を築き、「城」の存在意義自体が「戦略的な拠点としての城」というより「政治経済の中心地としての城」に移行していくのです。


△五人の細川(06/4/28) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/33071652.html
☆今日のドロップ
・細川両家記(三好家輜重隊武将:細川真之ドロップ)

信長オンラインに登場する武将には、「細川」氏が合計5人います。
足利家の細川晴元(四天王)・藤孝(四天王)・昭元(中中主将)・藤賢(敵右中後詰)と、三好家の真之(小荷駄)。
この5人をグループ分けすると、晴元と昭元は親子でもあり同じグループなんですが、他の3人は全く別のグループになります。

そもそも細川家というのは、足利家の一門で、室町幕府設立にあたり最も活躍した家系なんです。
そのため、細川家は恩賞として四国と畿内を中心とする広大な領地を与えられます。
結果、細川氏は多くの分国を分家に支配させます。

そして、時は流れて…
応仁の乱を引き起こした細川勝元。
彼はいわゆる本家筋。
家格は当時の武家の中で最も高い管領の家柄で、俗に「細川管領家」または「京兆家」と呼ばれます。
この細川管領家の家系が細川晴元・昭元父子になります。

この細川管領家の分家が細川藤賢。
代々「右馬頭」という官職を名乗った為、俗に「右馬頭」の中国での呼び名を冠して「典厩細川家」と呼ぶらしいです。


次に、和泉を領国とした細川家の家系が細川藤孝。
俗に「和泉細川家」または「上守護家」と呼ばれます。
明治まで大名家として残ったのは、この家系になります。

最後に、信長では唯一三好家配下として登場する細川真之。
彼は阿波を領国とした家系。
俗に「阿波細川家」と呼ばれます。

少々脱線しますが、この阿波細川家の家老だったのが三好家。
しかし、戦国時代には実権を完全に掌握しており、真之は完全に傀儡になっています。
その上、真之の父:持之は三好長慶の弟:義賢に殺害され、さらに持之の妻で真之の母である女性は、持之の死後、義賢の妻にさせられています。
つまり、道義的にも主従を逆転させたんですね。

さて、話を戻しましてこの「細川両家記」。
これは、細川管領家の家督争いを書いた書物なんです。
(まぁ、後半は三好家と織田家の抗争を書いてるんですけど…)
晴元の父:澄元はもともと阿波細川家出身で、京兆家に養子入りしてるんです。
澄元が家督を継ぐに当たって、同様に分家から養子入りした細川高国などの協力を得るんですが、今度は高国と澄元が対立。
実家の阿波細川家の協力を得た澄元と、畿内の豪族を纏めた高国の間で長年にわたる合戦がおこるのです。
そして、澄元派(すでにその時には澄元は死去。晴元が継いでいます)が勝利するんですが、今度はその武将:三好元長と対立。
一時は晴元側が元長を討ち取りますが、阿波に帰って力を蓄えた三好元長の子:長慶に大敗。
逆に畿内の実権を三好が握ることになるのです。


☆蛇足
・武将と家紋について

信長オンラインに登場する紋所。
これのそれぞれに対応する武将などを探してみました。
まぁ、対応するステータスで選ぶのが一般的ですが、一応参考までに…
(画像提供:ムニさん@Y口組)

桜紋(腕力)=不詳
最初から申し訳ない…
桜はパッと散ることから武士に好まれましたが、個人が散るのはともかく家が散ってしまってはいけないので、家紋としては古来は好まれなかったんだそうです。
ただ、吉田茂や後世の仙石家は桜紋とのことです。

鱗紋(耐久)=北条氏康
前北条氏(鎌倉執権の北条氏)の家系は基本的にこの「三つ鱗」。
そのため、後北条氏(戦国時代の北条氏)も「三つ鱗」を使ったそうです。
他にも江間輝盛など、平氏系の豪族には意外と多いみたいです。

笹紋(器用)=竹中半兵衛
ただし、竹中氏は「九枚笹」。
信長の中の笹紋「五枚笹」は笑福亭一門・明石家さんまの家紋だったりします。

銭紋(知力)=真田幸隆・昌幸
言わずと知れた「真田六文銭」ですね。
他には徳川家の青山忠成は「無文銭」だとか。

月紋(魅力)=山中鹿之助
鹿之助と言えば「三日月」がシンボルマークですからね。
他には千葉氏の家系が「月星」だそうですね。

葛紋(土)=不詳
結構調べたけど分からなかった…

波紋(水)=小栗忠政
この「対い波」は徳川家旗本として有名な小栗家の家紋だそうな。
ちなみに斎藤家の「二頭波頭」は道三がデザインしたそうですよ。

鶴紋(火)=森可成・蘭丸
森氏はこの「鶴丸」だったそうですね。
あと、蒲生氏や南部氏も「対い鶴」だったらしいです。

巴紋(風)=結城秀康・不破光治・氏家卜全
「三つ巴」は武家・社家に多く見られる家紋ですね。
「三つ巴」だけでも、他に赤松家・宇都宮家・小早川家、「九曜巴」は長尾家などなど…
とにかくすごいたくさんの武将が巴紋ですよ。

シリーズ第2弾いきまーす。
例によって独断と偏見で書いてますので、信用しすぎないようにしてくださいね〜。

△右腕(05/12/28) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/20777195.html
☆今日の敵キャラ
・茨木童子(いばらきどうじ:摂津廃城NPC)

「酒呑童子:しゅてんどうじ」に並ぶ日本の伝説上最も有名な鬼の1人。
一説には女性の鬼だったのではないかとも言われています。
また、俗に「羅生門の鬼」と呼ばれることもあるようです。
もともと酒呑童子の副将格だったらしいんですが、「源頼光:みなもとのらいこう」と「頼光四天王」(渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武)により酒呑童子が退治された時、他の配下の鬼は一緒に退治されたものの茨木童子だけは逃げ延びたそうです。
そして茨木童子は京に潜伏。仇討ちの機会を探ります。
そこで、四天王の1人「渡辺綱:わたなべのつな」が茨木童子が潜伏しているという羅生門(一条戻橋という説も)へ討伐に向かい、見事に右腕を切り落とします。
腕を切られながらも逃げ延びた茨木童子はその腕を取り戻そうとしますが、陰陽師(安倍晴明という説も)にそのことを事前に教えてもらっていた綱はその隙を見せませんでした。
しかし、最後には綱の伯母に化けて現れた茨木童子を情に絆されて屋内に入れてしまい、右腕を取り戻されてしまったそうです。

余談ですが、四天王の1人「坂田金時:さかたのきんとき」とは、ズバリ金太郎のこと。
さらに、茨木童子伝説の主役「渡辺綱」は浅井家の渡辺勘兵衛こと「渡辺了」の先祖とされています。


△山城放浪(06/1/6) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/21648284.html
☆今日の敵キャラ
・雍州の盗賊(ようしゅうのとうぞく:山城NPC)

美濃における「辻斬り」にあたる敵キャラ。
「雍州」とか「山州」「城州」とは「山城国(現在の京都府の一部)」のことです。
「山州」「城州」は単純に「山城」から一字取ったもの。
では「雍州」はと言うと、三国志などでおなじみの「長安(現在の西安)」のある中国の昔の「州」の名前から来ているのです。
「長安」は隋・唐の時代に中国の首都であったため、遣隋使・遣唐使により中国文化を輸入していた日本は、日本の首都である「京」を要する「山城国」を中国の州に準えて「雍州」と言うようになったんだとか。

で、このゲームでは概ね1550年頃をモデルとしているようですが、この当時の「京」は一部復興の兆しがあったものの、まだ「応仁の乱」やそれに続く細川氏・畠山氏の権力抗争、さらに三好家の台頭などによる絶え間ない戦乱により破壊され、一部を除き焼け野原だったそうです。
さらに、幕府の名前だけは存続していたものの事実上はほぼ無政府状態であり、警察機構も無くなっていたそうです。
そのため、「京」の中にも盗賊が跋扈しており、非常に危険な状態だったということです。
今の京都からは想像もできませんよね…


○△東尋坊のヨッパライ(06/1/21) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/23209183.html 
☆今日の観光地
・東尋坊(とうじんぼう:越前ダンジョン)

福井県に実在する観光地。
「自殺の名所」として有名。
私も行った事がありますが、かなーり怖いですよ。
すんごい断崖絶壁ですから。

この東尋坊、もともとお坊さんの名前から来てるという伝説があります。
ただしこの「東尋坊」、暴れ者で嫌われ者の悪僧だったそうな。
で、度重なる悪行に困った人々がみんなで騙して酔わせてこの断崖絶壁から突き落としたのが由来なんだとか。
うーん、死んでも名前が残るような悪僧、どんな人だったんでしょうねぇ。


△大薙刀(06/1/22) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/23300920.html
☆今日の武器
・大薙刀(おおなぎなた:鍛冶屋生産品)

ちなみに、「大薙刀」と言えば三国志の英雄「関羽」の「青龍偃月刀」のイメージから豪傑の武器として一般的な印象があるかもしれませんが、実はかなりマイナーまたは時代遅れな武器だったんだとか。
そもそも本来馬上の武器で、「敵の馬の足を薙ぐ刀」から「薙刀」と呼ばれるようになったと言われており、徒で使うのは重すぎてよほどの大兵でないと使いこなせなかったので、馬上の合戦が主流だった室町前期まではよく使われたものの、戦国時代にはほとんど使われなかったそうです。
まぁ、例外としては朝倉家きっての猛者「真柄直隆」「真柄直澄」の兄弟が大薙刀(大太刀)の使い手として有名ですが、その他にこの時代では高名な武者で大薙刀を使ったという例は、私は無学にして知りません。


△プロジェクト1・22(06/1/23) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/23358119.html
☆今日の場所
・千引の石洞穴(ちびきのいしどうけつ:紀伊ダンジョン)

昔の言葉で「千人で引かないと動かせないほど重い」という意味で「千引」という言葉が使われたそうです。
実際、三重県には「千引岩」という岩が祭られてる「千引神社」というところがあるそうなんですが、どうやらゲーム中の「千引の石洞穴」は架空の場所だそうですね。


○オフサイド(06/2/23) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/26407217.html
☆今日の町
・稲葉山(いなばやま:美濃城下町)

史実では「稲葉山」という町は聞きませんね。
「稲葉山城(金華山城)」の城下町は「井ノ口」という町ですから…
まぁ、そんなこと言い出すと「金沢」も当時は「尾山」ですし、「前橋」も「厩橋」だったハズなんですけどね…
で、その後、「稲葉山城」を「岐阜城」と改めた時に「井ノ口」も「岐阜」の町になったのはご存知の通りですね。


△黙々(06/3/7) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/27688197.html
☆今日の買い物
・半蔵の槍(はんぞうのやり:徳川家 渡辺守綱ドロップ)

「槍の半蔵」こと渡辺守綱のドロップです。

守綱は徳川家を代表する武将「徳川十六神将」の一人に数えられてます。
三方が原・長篠・小牧長久手・関が原・大坂など、徳川家の主要な合戦に軒並み従軍したという文字通りの猛者なのです。
また、関が原の後からは尾張徳川家の祖となった徳川義直の附家老となっています。
若くて秀才肌の貴公子義直に、歴戦の勇士にして頑固な老将の守綱。
これが反発しながらもいいバランスになったみたいですね。
しかし、徳川家にはこのタイプの武将が多いですよね。
いわゆる頑固で我慢強い「三河武士」気質の武将が。
このあたりの優秀だけど頑固者な武将を多く抱えて使いこなしていたのが、結局家康の天下取りにつながったんでしょうねぇ。


☆蛇足
・戦国時代の「1文」って今のいくらぐらい?

某所で漠然と回答したので改めて。
えー、諸説あるんです。
つまり、何にあわせて計算するかで全然価値が違ってきますから…

例えば、江戸時代に「ニ八蕎麦」ってのがありましたね。
いわゆる現在の「かけそば」を2×8=16文で売ってたんですよ。
「かけそば」は今大体300〜400円くらいかな?
そうすると大体1文あたり20円くらいでしょうか。

次は、お米で計算してみます。
今の米の価格を仮に5kg2500円としましょうか。
そうすると当時の米の単位「1石」は現在の「1石」の0.8倍程度だったらしいので約145kg。
つまり1石あたり72500円。
1石=約1両=4貫=4000文ですから、逆算すると1文あたり約20円。
おお? 偶然にも近似値だなぁ。

一応いろんなHPを見たんですが、大体1文=20〜30円としてますし、20円くらいで考えるのがちょうどいいのかなぁ。
そう思ってゲームの中の値段を見るとなかなか面白い。
おむすびが80円で水が100円くらいか。
矢は1本160円、手裏剣1発2000円、陰陽符1枚4万円。
短刀1振り13万に、金箔鎧は340万!?
うーん、結構みんなお金持ちなんだね!

※ ただし、当時の物価とゲーム内の物価は全く関係ありません。あしからずご了承ください。

武将紹介とちょっと違うけど、「今日の○○」の中から戦国を楽しむ上でいいかも?という予備知識を集めてみました。
ただし、大いに私の主観が入ってるので、鵜呑みにするのは危険ですよ?


○△五月雨は露か涙かほととぎす(05/4/24) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/1911845.html
☆今日のドロップ
・将軍弑逆の太刀(しょうぐんしいぎゃくのたち:刀)
私が拾ったんじゃないんですけど、三好政康を撃破した方から譲っていただきました!
何を隠そう、この太刀こそが我らが将軍足利義輝様の最期に纏わる品なのですよ。
以下、釈迦に説法かとは思いますが少しその話をご紹介…

義輝様は将軍家の復権を願い、上杉謙信や織田信長をはじめ、多くの大名と親交を深めようとしました。
それは、長慶死後の畿内の実権を握った松永久秀と三好三人衆(三好政康・三好長逸・岩成友通)にとってとても邪魔な行動でした。
結果、久秀と三人衆は将軍殺害を決行します。

久秀と三人衆が御所を取り囲んだ時、義輝様は僅かな人数のお供と共に文字通り「獅子奮迅」の大暴れをしたと伝えられます。
義輝様は「剣豪将軍」と呼ばれた剣の使い手。塚原卜伝から免許皆伝をもらった人です。
将軍家に代々伝わる宝刀の数々を鞘から抜いて畳に刺しておき、寄る敵を片っ端から斬り捨て、刀が刃こぼれすると次の刀を畳から抜いて斬りまくったそうです。
久秀・三人衆方はあまりの強さに手がつけられず、最終的には部屋の板戸を盾にして四方八方から取り囲み、寄ってたかって押し倒して動けなくしてから滅多刺しにしただとか、全ての仕切りを取り払って鉄砲や弓矢の集中砲火でとどめを刺したとか伝えられます。
いずれにしても「幕府の将軍」のイメージとはかけ離れた壮絶な最期だったと伝説化されています。

ちなみにタイトルは義輝様の辞世の句。正確には以下のとおりです。
「五月雨は露か涙かほととぎす わが名をあげよ雲の上まで」


△3連戦おつかれさま!(05/8/17) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/8970304.html
☆今日の敵兵
・金房一派(かなぼういっぱ:三好家本陣哨戒兵)
読み方も知らなければどういう人達かも知らなかったので調べてみました。
どうやら戦国期に活躍した大和鍛冶の一派のようです。

刀鍛冶には山城・大和・備前・相模・美濃の5つの系統があり、そこから戦国期へ分派しながら脈々と鍛冶の技が伝えられたそうです。
そのうち1つ、大和の国の東大寺の西門のあたりに「手掻一派」と呼ばれる鍛冶集団がいたそうです。
これが時代が下り、分派したのがこの「金房一派」らしいです。
戦国期には大和風の作刀は衰退しており、金房一派も以前の大和物を正確に伝承していると言うより、美濃や備前の影響を強く受けているとか。
で、この名前は「金房」を苗字のように使ったことからついたそうです。
彼らは南都に住んだため興福寺など(つまり筒井家や宝蔵院)と結びつきが強く、あの「宝蔵院流十文字槍」も多く作っているようですよ。
ちなみに有名なのは「金房政次」など。

ふむ、なるほど、調べてみると知らないことがたくさんあるもんだ。
でも、まてよ…
なんで奴らは鉄砲撃ってくるんだ?

ちなみに足利NPCの「平安城一派」は、同様に戦国期に活躍した山城鍛冶の一派のようですよ。
有名な「伊勢国村正」の師である「平安城長吉」から続く一派だそうです。


△大津へ向けて…(05/9/21) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/11376349.html
☆今日のドロップ
・影法師(かげぼうし:刀)
稲葉で100貫で売ってたのでつい衝動買い。
これでも一応、義輝様に影響を受けた「刀コレクター」なもので…
無駄遣いの上限額を最近150貫まで上げましたので、稲葉で安いドロップを探すのが最近楽しくて…
ちなみに最近は、リアル先祖に関する書物を頂いたのを機会に、書物系も集めてたりします。

さて、これは、武田家の猛将:土屋昌次のドロップらしいですねぇ。
でも、なんで「影法師」って名前なんだろう…?
で、調べてみると、こんなエピソードがあったそうな。

第4次川中島の合戦でのこと。
この時はあの有名な「啄木鳥の戦法」を山本勘助が提案し、実行するものの謙信に裏をかかれ、信玄本陣が一時混乱するほどの苦戦に陥りました。
この時、昌次は信玄の側を「影法師」のように付き従い、味方の増援まで守り通したということです。


○△扉の木(05/10/29) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/14847243.html
☆今日のアイテム
・とべらの枝
・とべらの葉
安計呂山の庵の高LV帯試練で集めるこのアイテム。
「何だろうね?」と徒党内で話題になったので調べてみました。
絶対見たことあるハズですよ?
今これを書き込んでる、私の実家の前の植え込みもこの木ですから!
なぜ試練で「とべら」を集めるのか。
どうやら、この木の枝を節分の日に扉に挟んでおくことにより「邪気払い」になるという信仰があるそうです。
だから「扉の木」と呼ばれていたのが、いつのまにか「とべらの木」と変化していったんだとか。


○△専用車(05/11/3) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/15312984.html
☆今日の観光地
・笠置山(かさぎやま:京都府)
奈良と伊賀上野のちょうど中間に位置する山みたいですね。
で、あのあたりは県境が入り乱れてるので京都府になるそうな。
古くから信仰を集めていた山で、奇岩・巨石が多く存在し、修験道の霊場にもなっているとか。
崖に直接仏様の姿を刻んだ「磨崖仏」を本尊とする「笠置寺」という寺があるそうな。
あとは紅葉の名所でもあるようで、見ごろは11月中頃〜末頃だそうです。
うーん、カメラ新調したことだし、紅葉の写真撮りに行ってみようかな?と思って調べたら、片道2時間以上かかることが判明…
弱ったね、これは…
まぁ、気が向いたら突然行くかもね〜。


△湯川衆(05/11/7) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/15675183.html
☆今日の敵兵
・湯川衆(ゆかわしゅう:雑賀衆敵後陣後詰守備兵)
今日狩ってたN。
知らなかったので調べてみました。

湯川衆とは、紀伊の地侍「湯川氏」の手勢のことみたいです。
私もよく知らないんだけど、雑賀衆・根来衆以外にも「紀伊の地侍勢力」というべき第3の勢力があり、湯川衆や本宮衆というのはそういう人たちなんだそうです。
この湯川氏と言うのはその中でも特に大きな存在だったみたいで、立派な戦国大名とも言えるほどだったとか。
家柄も古く、甲斐武田氏の遠縁になるようで。
つまり足利系の源氏ですから、南北朝時代にも南朝に着かず親足利家を貫いたそうです。
この時代の当主:湯川直光は武将として活躍し、紀伊守護の畠山氏と共に三好長慶と戦い、かなり追い詰めるところまで戦ったみたいです。
でも、最期は負けてしまい、直光はこの時に討死してます。

その後、義昭様が信長に敵対し京を追放され紀伊に逃れた時、直光の子:湯川直春に協力要請をしたりしてます。
そのくらいの地元の有力勢力であり続けたみたいですね。
直春自身もなかなかの人物だったみたいで、雑賀衆・根来衆が滅びた後も勢力を残します。
しかし、後に羽柴秀長により毒殺され、事実上滅亡。
これにより紀伊は時の権力者の直轄地となり、徳川御三家に続いていきます。


△ぼんやり…(05/11/08) http://blogs.yahoo.co.jp/cacti_abu/15779116.html
☆今日の兵
・敢国巫女(あえくにみこ:伊賀忍軍後陣哨戒兵)
・敢国神主(あえくにかんぬし:伊賀忍軍中陣守備兵)
今日ずっと一緒にぼけ〜っとしてたN。
読み方も分からなかったので調べてみた。

どうやら「敢国神社」という神社が伊賀上野にあるらしく、そこの神職のことみたい。
敢国神社は伊賀の一宮(その国一番の社格の神社)として古来から信仰を集めていたらしい。
当然、伊賀の諸豪族ともつながりは深く、そのために天正伊賀の乱で焼き討ちされますが、伊賀藩主として藤堂高虎が入国した後に復興したそうです。
今では服部家に伝わる「黒党(くろんど)祭」というお祭りも復興しているとか。
なんだか黒装束の人が踊ったりするお祭みたいなんですが…
謎だ…


☆蛇足
・同朋衆(どうぼうしゅう:足利家敵後陣後詰守備兵)
前に某足利才媛に由来を質問されたN。
「簡単に言っちゃうと足利将軍の付き人で、家格を表す言葉だ」
「本来は僧じゃない」
と説明したんですが…

私、嘘を申しておりました。

ひー、怒らないでー!
いや、本当に将軍に側仕えする仕事で、本来の意味の「僧侶」とはちょっと違うんです。
ただ、ちゃんと調べると、家格とは関係なくて、「僧体(髪を剃っているだけで、基本的には宗教的な意味の「僧」ではない)」の人が付く役目だったんです。

正しくは「将軍や大名に側仕えし、茶の湯・能・美術品の目利きなど芸術関係の顧問や殿中行事の仕事をしていた僧体の人たち」
まぁ、一言で言えば「茶坊主」ですな。
ただし、「たかが茶坊主」と思うことなかれ。
例えば、能(猿楽)を大成した「世阿弥」も同朋衆なんです。
他にも書画骨董の能阿弥、田楽の音阿弥、茶の湯の千阿弥など、一芸一能に秀でた同朋衆が歴史の教科書にはたっぷり出てきます。
つまり、当時の芸術のエキスパートがこの同朋衆だったと言えると思います。
まぁ、戦国時代にはかなり廃れてたみたいで、安土桃山文化が花開くまではあまり有名人もいなかったみたいですが…

で、一緒に説明した奉公衆についてはまたいずれ…

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