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自分が所属する短歌会「滄」の最新号に連載しているエッセーの最新版です。 小説家河野多恵子さんの作品に「赤い脣」という短編がある。紅葉見物をする家族を、幼い孫を持つ祖母の目から描いている。作品の主眼は、幼稚園に上がったばかりの女の子の紅い脣に象徴される性という、人生普遍のテーマと読んだが、面白いのは、数学好きである主人公の視点が、ところどころでこの小説に、幾何学的なスパイスを与えている点である。 前半の舞台は紅葉狩りに向かう車の中、長方体の空間である。車を運転する息子の「妻子四人と両親二人の重みを担う」肩は、その底面に平行し、車は山の頂上に向けて三角錐の斜辺を走っている。 山に辿りつくと家族は弁当を広げる。周囲は紅葉の山々で、眼前に湖がある。何気ない風景であり、読み飛ばされてしかるべき箇所かもしれない。 眼の前には、先程のよりもずっと大きい湖があった。 カヌーのような細長いボートに乗った二人の男女が漕ぎ寄せてきて、岸に降り立った。 二人がかりでボートを引き寄せると、左右に分かれて両端を持ちあげ、歩きだした。 一つの長方形が円周へと向かう。それが岸に降りると夫婦の動きによって三角の動線へと変わるのだ。 河野氏の文章は時に叙事的と称されるようだが、このような幾何学的観察は「臍の緒は妙薬」という小説の中の、形代の描写にも見られる。「形代」とは葬儀に際して柩に入れる物で、折口信夫はこれを「依り代」と呼んだ。そして形代には、どうも神霊の依り憑きやすい形というのがちゃんとあるらしい。それが小説の中で「上の一辺の真中が小さな逆三角形に突き出ている」と説明されている。 このように幾何学に心が留まるのは、帰国早々の二週間、ある病院の地下三階に閉じこもり、終日、放射線のもたらす作用の幾何学的計算根拠を訳す仕事についたからであるようだ。人体組織の一定の容積において連動する光子の作用を、三次元の視点から行った説明―。 暗い部屋からめくるめく冬の陽の中に足を踏み入れてホテルの部屋に帰りつくと、窓外の風景は、山手線と並行関係にある今の自分の位置を示していた。電車が通る時、それに対してほぼ垂直に自分の視点が合う一瞬があり、そして鋭角から鈍角へと相関角度を変えた。電車にどうしても目が行くのは、アメリカでは、電車の存在意義が全く違うからである。 アメリカにおいては、面を滑るのではなく、空間を貫く飛行機が常に視線の端にあった。拙宅は空港に近く、入江の際で犬の散歩をする夕刻はちょうど、羽田からの日本航空便が着く時刻であった。自分と犬とが立つ面に向かって飛行機の便は、複雑な三次元の鈍角をもって降りて来る。明日また、一期一会の出会いをするであろう人々が、その便に乗っていることを自分は想像もした。 あるいは、車に乗って信号が変わるのを待つ間、ふと前の空を見ると、着陸体制に入った飛行機を、電線越しにちょうど横から見る位置にいる時々があった。 そういう時、自分の目には、電線と電線の間を滑っている飛行機が、五線譜の上を走る音符に見えたのだった。
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