|
これから世界不況に突入するときくにつけ、この2年間、不買運動を続けていて良かったな〜と思う。
(国家レベルでは貧困とそれによる制度不備は、侵略や、無用な内乱と悪意の繁殖―ひいては人間の尊厳の喪失―を招きやすいので、そこそこ豊かであることが必要だけど。) とは言え、資本性市場主義経済は素晴らしいという「イデオロギー」が作りだした怒涛のごとき物への執着の中にあって、モノと自分のアイデンティティとの関係をきっぱりと断つのはなかなかに難しい。 でも少なくともこの2年間、この怒涛の中での物欲の萌芽を自由に目覚めさせることを意識的にしなかった。 その結果、モノとアイデンティティとの密着な関係の中で生きている人の評価を気にしなくて良くなった。 逆に「不買」が実に奇妙な運動であるという、大勢の認識を知るにつれ、資本主義をあれこれ評価することもなくなった。 それが良かったと思う。 特に自分は86年〜91年のバブル期に自宅から通うOLとして経済力を持ちつつ資本主義経済を謳歌していたので、こういうラディカルなことをして良かった。これで自分の経済的幼児体験は払拭できた。今の若い人は自然にできているのかもしれないけどね〜。
|
不買2007-2008
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
基礎化粧品や仕事の道具(パソコン、電子辞書等)は買っているが、それ以外のもので今年買ったのは、ランニング中につけるサンバイザーと、ブラウス1枚だけ。 母は、数年前の服を毎日とっかえひっかえして出かける娘にため息をついていた。 今回の帰国ではいつものように「日本に行ったらこれを買おう」という計画もなかったため、生活はややシンプル。すでにごちゃごちゃとした生活なので、せめて買い物だけでも減らせればいいのである。 そう覚悟して日常を送っていると、モノというのはホントにいらないな、と思う。 どうせ亡くなる時に大量に捨てなくてはならないのだから、最初から持たなければ良いのである。 時間と資産を健康に投資していれば、それなりの自尊心もできるしね〜。 ブランドはいらない。 そんな私を母は変わり者と言う。
確かに成城の「アルプス」にTシャツとジーンズで行った時は、周りの人の高級靴に目が行った。 |
|
さて、この不買運動だけれど、極めて個人的な運動であるので、今のところ伝道は一切行っていない。 言うときはただ話題のため?だがこの目的意識の共有は結構難しく反応はほとんどが「へぇ、あんたモノ好きね」というところか。 今日、どちらかというと買い物好き(というか、先進国にいれば、普通に生活していても買い物好きになってしまう?)の友達2人とブランドの話に一瞬なった時、話がブランドに移行する前は、へっへ〜、2人とも不買についてどんな反応をするかな、と楽しみにしていたのだけど、結局言い出せなかった。 とゆーのは、自分も対岸(セミブランド志向?)にいた時代があるわけで。 一生買い物好きで終わる人よりも、ところどころ断片的に買い物好きになる時期がある、という方がきっと人間、大勢なのだろうけれど、そのフェーズにいる間、物質が自分に及ぼす力というのは結構大きいものがある。 端的に言えば「まぁ、この人こんなものしか持てないの?」みたいな、それで人をはかっちゃうみたいな、とういうことは避けがたくあるわけで。 不買などと言えばまぁ、生活に困ってるんじゃないの、そう思われそうで言い出せなかったのでした。
|
|
まだcompactには登録していないが、結局1月はほとんど何も買わなかった。食料品、外食はいつもの通りにしている。 不思議に物欲というものがなくなって、義妹のくれたギフトカードで何とか買い物しようとするが、何も欲しいものがない。 昨日「プラダを着た悪魔」という映画を観たけれど、普通ならハイファッションの影響を受けそうなところが、な〜んもない。 今の家具と服で一生生きるように言われても大丈夫な気がする。 地球上の90%以上の人がそうして生きているのだろうから。 さてこういうキモチ・・・いつまで続くのでショーカ!
|
全1ページ
[1]


