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面倒なソフトなくウェブツールでブログができるようになった第二波に乗った自分がブログに飽きを覚え始めた時、やはり周囲もブログから漏斗状に離れ始めたように思います。その背景には「ブログを書き続けても世界も自分も変わらない」という認識があったかもしれません。またコミュニティ参加というブログの第一目的を踏襲しない以上、自分で宣伝しなくては人は来ないというブログの性質に限界を覚えたということもあるかもしれません。私自身を言えばブログへの熱が冷めた理由にはブログ的文体を書くことへの飽きがありました。例えば大江健三郎が「現代日本文学の、もっとも美しい散文家のひとり」と称した原民喜の「秋日記」、 「彼は女中が持って帰った妻の手紙を、その小さな紙片をもとどおりに折り畳んだ。悲壮がはじまっていた。そしてそれは、ひっそりとしているのであった。」 (新潮文庫、原民喜「夏の花・心願の国」p.22) それとも、平成の今生きている文人の中でもっとも美しい文を書かれると、私として信じている平出隆の「左手日記例言」の一部をここで写してみましょうか。この左手日記は氏がまだ無名であられた頃、一冊目の自費出版をした後に見知らぬ二人の女性に招待されたことから始まります。そのアパートの冷蔵庫の凍りついた製氷皿の氷がつらら状に氏の中指を貫く―。数日の後、切れたゴム紐のような中指の腱を何とか引っ張り出してつなげるという大仰な手術を氏は受ける羽目になります。その結果生まれた「左手日記」というこの経緯自体は日常の記録という非常にブログ的な性質を秘めてはいます。しかしその文体はどうでしょうか。 球戯への熱中という子供じみた行為から神経を病むなどした私は、勤めをやめることでまず言語中枢を蘇らせ、筆と棍棒とを操るだけのいわば狩猟生活へ、いわば後ろ向きに入っていって現在に至る次第だが、怪我の後遺症で傷みがちの右腕に、さらに球をあつかわせてやるためには箸や筆を、ときには反対の手へ持ち替えねばならぬ仕儀となった。(白水社、「左手日記例言」p.61) このような文体をもしもブログで見たのなら、見る者の脳はなぜこれがデジタルの領域に入り込んだのか、君のいるべきはアナログの紙ではないかと思うのではないでしょうか。 インターネット上の純文学は、悲しいかな、どうも居場所が違うのです。 ではアナログの世界での勝負だけに自分は絞るべきでしょうか。しかしその道のりの気の遠くなるような長さにまさに自分は気が遠くなってしまいそうです。 不思議なことに十分純文学的であり堂々と詩的な文章を載せている英語のブログというのは結構あります。それらを紙面ではなく画面で読む違和感は、英語でも明らかにあり、むしろ書かない方が身のためという意識はどうしても湧いてしまう。 でもそんなことを繰り返していてはデジタルの世界での純文学の排斥はこのままずっと続いてしまうと思うのです。 この文章を読んでいる方の中に数々の純文学賞に応募しながら、決して日の目を見ることのなかった自称文人の方々がおられることを望みます。 アナログの世界で確立し得ずにいる私たち・・・。 それでも外の世界に発信したい書簡を詩という文体に私たちは持っているでしょう。 それを迷わず外に出そう!純文学をブログしよう!今そう思うのです。
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