バセンジ里多ちゃんの糖尿闘病記

11歳、カリフォルニアから引っ越したばかりの女の子の糖尿病日記

わたしのブログ姿勢

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面倒なソフトなくウェブツールでブログができるようになった第二波に乗った自分がブログに飽きを覚え始めた時、やはり周囲もブログから漏斗状に離れ始めたように思います。その背景には「ブログを書き続けても世界も自分も変わらない」という認識があったかもしれません。またコミュニティ参加というブログの第一目的を踏襲しない以上、自分で宣伝しなくては人は来ないというブログの性質に限界を覚えたということもあるかもしれません。私自身を言えばブログへの熱が冷めた理由にはブログ的文体を書くことへの飽きがありました。例えば大江健三郎が「現代日本文学の、もっとも美しい散文家のひとり」と称した原民喜の「秋日記」、

「彼は女中が持って帰った妻の手紙を、その小さな紙片をもとどおりに折り畳んだ。悲壮がはじまっていた。そしてそれは、ひっそりとしているのであった。」
(新潮文庫、原民喜「夏の花・心願の国」p.22)

それとも、平成の今生きている文人の中でもっとも美しい文を書かれると、私として信じている平出隆の「左手日記例言」の一部をここで写してみましょうか。この左手日記は氏がまだ無名であられた頃、一冊目の自費出版をした後に見知らぬ二人の女性に招待されたことから始まります。そのアパートの冷蔵庫の凍りついた製氷皿の氷がつらら状に氏の中指を貫く―。数日の後、切れたゴム紐のような中指の腱を何とか引っ張り出してつなげるという大仰な手術を氏は受ける羽目になります。その結果生まれた「左手日記」というこの経緯自体は日常の記録という非常にブログ的な性質を秘めてはいます。しかしその文体はどうでしょうか。

球戯への熱中という子供じみた行為から神経を病むなどした私は、勤めをやめることでまず言語中枢を蘇らせ、筆と棍棒とを操るだけのいわば狩猟生活へ、いわば後ろ向きに入っていって現在に至る次第だが、怪我の後遺症で傷みがちの右腕に、さらに球をあつかわせてやるためには箸や筆を、ときには反対の手へ持ち替えねばならぬ仕儀となった。(白水社、「左手日記例言」p.61)

このような文体をもしもブログで見たのなら、見る者の脳はなぜこれがデジタルの領域に入り込んだのか、君のいるべきはアナログの紙ではないかと思うのではないでしょうか。

インターネット上の純文学は、悲しいかな、どうも居場所が違うのです。

ではアナログの世界での勝負だけに自分は絞るべきでしょうか。しかしその道のりの気の遠くなるような長さにまさに自分は気が遠くなってしまいそうです。

不思議なことに十分純文学的であり堂々と詩的な文章を載せている英語のブログというのは結構あります。それらを紙面ではなく画面で読む違和感は、英語でも明らかにあり、むしろ書かない方が身のためという意識はどうしても湧いてしまう。

でもそんなことを繰り返していてはデジタルの世界での純文学の排斥はこのままずっと続いてしまうと思うのです。

この文章を読んでいる方の中に数々の純文学賞に応募しながら、決して日の目を見ることのなかった自称文人の方々がおられることを望みます。

アナログの世界で確立し得ずにいる私たち・・・。
それでも外の世界に発信したい書簡を詩という文体に私たちは持っているでしょう。

それを迷わず外に出そう!純文学をブログしよう!今そう思うのです。
自分でブログを始める前から人のブログを読むのが好きでした。他人の生活をのぞくことほど面白いことはありません。一方で、こういう現代の流行が、いつかは自分のキャリアを100%そこで確立したい出版業界を、あやうくしているのだろう、と複雑に思うこともあります。
現代の経済社会では、市場が欲しがっている消費者の時間の多くがコンピューターに使われています。自分はクリスチャンですから、聖書の「終末予言」などとあわせて、仮想の人間関係に割くことで本当はもっと大事にしなくてはならない、周りの人間との関係が希薄化されているのかな、と―これも、いわゆる暗い霊の思う壺なのかな―と考えることもあります。事実、今、ブログに割いている時間を例えば義両親や母、子供の生活、(あ、夫も、か)を良くすることに使えば、きっと彼らの生活は今よりどこか良くなっていることでしょう。

また、知り合いや親戚の方々が私のブログを知るようになって(自分で知らせたところもあるのだけど)、私生活をこんなにさらして、何がいいのか、と思うこともありました。やめようかと思うことも何度もありました。このへんはブログに普通の日記を書いておられる方は誰でも直面する過程ではないでしょうか。この点については、とにかく、今まで自分だけで書いてきた日記の延長なのだから、いいんじゃないか、と言い聞かせています。実際、前より日記をきちんと書いています。

ブログで親しく行き来しているかたがたの世界を見ても、自分のブログを見ても、そこにあるのは、実際の本人より、ちょっと優しくて、ちょっと有能で、ちょっと頼りがいのある自分です。それは現実世界で行われていることとなんら、変わらないかもしれません。本当の自分は弱くて、いじわるで、冷たいのかもしれないけれど、そんな本当の自分よりいいものを、周囲の、やっぱり、本当の自分よりちょっといいことをしようとしておられる方々の日常(私の場合、たま〜には信仰からも)から得て進んでいっているのかもしれません。

これからもよろしく!

ここ数年、介護住宅に住んでおられるお年寄りに接する機会が多くなった。
もともと若い頃から自分の行く末を毎日思っていたほど暗い性格なのだが、それで余計老後を思うようになった。私の理想は99才でありながら、「森」を書き、未完の状態にして亡くなられた、作家の野上弥生子さんだ。本当なら200才ぐらいまで生きたいものだが、短命の家系なのでそれはあきらめている。

いくつかの介護住宅を廻ってポーカーや、ビデオ鑑賞に興じるお年寄りを見ながら、たとえホームに住むようになったとしても、ホームの様子を赤裸々に書けるような老後を過ごしたいものだと考えた。(タイプを打てなくなった時のために、今から音声認識ソフトに慣れておこうとさえ考えている。)

ところが私は作家ではない。このブログをご覧いただいてわかる通り、朝から晩までいろいろなことをぐるぐるぐるぐる考えている。以前からあーでもないこーでもない書いてもいた。でも作家ではないので本当は書かなくても世界は何にも変わらない。

老人ホームに行っても書き続けたいけれど、作家でないのに、どうやって書こうと思ったら、ブログならみんなやっているじゃないか、と気づいた。
だから私の理想は末永く「おたがいに」読める相手を見つけることだ。
単なる日記だけれど、これを読んでおられる方が「じゃあ、老人ホームまでつきあおう」と思ってくれればとても嬉しい。

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