私見暴論−Japon Renaissance

和魂覚醒の時は至れり。(FC2支所 「荒魂」)

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〘 やっと合憲判断になったこと自体が 〙

 現在の日本の異常性を如実に示している出来事ではあります。
 問題はその異常性をそう感じなくなっていることでしょう。
 この点に置いて、一つ指摘するならば、戦後の日本の所謂「戦後民主主義」は本来の「デモクラシー」とは大きく異なっていることです。

 「デモクラシー」という言葉自体は「何でも暮らしいいが良い」というダジャレがあった様に、戦後になってクローズアップされたと言って良いのですが、輸入というよりは米国に押し付けられた西欧型の社会体制思想です。

 で、その是非については、以前にも指摘してきた訳で、本来の「デモクラシー」をよく理解していないままに、日本人は日本語訳での「民主主義」という響きに慣れてしまった為、現在のいびつな奇形的自由社会が当たり前だと思い込まされてしまったと言って良いと思います。

 先のダジャレにも表れている様に「中身はともかく、とりあえず」という、この「のほほんさ」が実は全ての誤りの始まりでした。

 一つだけ指摘しますと、社会体制思想はその必要があったが故に生まれたものでありつつも、当然、それにはその時の、その地域の「社会」の影響がある訳で、「デモクラシー」で見るならば、その背後にあるのは「キリスト教的価値観」です。

 キリスト教はそもそも「個人とGODとの契約」によって始まる宗教であり、「洗礼」によって契約していない者はGODの救済の対象にはならないのです。

 と同時に「天は自らを助くる者を助く」と流布されている様に、個人は自助するのであり、GODは「守る」だけなのです。

 つまり、そこには徹底的な個人主義があるのであり、従って「デモクラシー」においても「自らを助ける者が助かる」という観点は同じです。

 GODは死後の救済を契約者に約束しているだけであり、現世のことはあくまで人間が自ら解決せねばならないということです。

 さて、その「デモクラシー」的価値観が戦後の日本にあったでしょうか。

 日本人は戦後、自主独立の道を歩んだでしょうか。

 その意味で「のほほん人」は戦前から存在していたのであり、その「何かに頼る」「何かにすがる」という態度・姿勢は、「神頼み」という言葉がある様に、日本人の「自然崇拝的世界観」「歴史的気質」の一部分でもあります。

 都合のよい様に「神頼み」をし、うまくいかなければののしり、けなす。

 別に「神頼み」でなく、相手が誰でも何でもそれは同じです。

 それは何のかんのと言っても「神様」「仏様」「お上」に頼る姿勢となったのであり、戦後はそれが米国になってしまったのではなかったかと思います。

 であるが故に、のほほんとした日本人は「国家の自主独立」においてその具体的な在り方を真剣には考えてきませんでした。

 今が都合よければそれでよい、「何でも暮らしいいが良い」でしかなかった訳です。

 これを以て、他の国民に対しての「自己中心の輩」「無責任な輩」「利権追及の輩」と言います。

 そこにカルト妄想の共産主義サヨクが付け込む隙が生じてしまった。

 米国の洗脳とカルトサヨクの妄動は、戦後の日本をいびつな社会に変えてしまいました。

 特に「日教組」は、元々が文部省によって作られたものですが、当時の民生局に巣食っていた米国からの追放者であるニューディール主義者、実際にはフランクフルト学派共産主義者によって、その価値観は「反日」であり、「日本の歴史的・精神的価値観の否定」が正しいことにされていた訳です。

 当然、時をおかずして、「日教組」は旧ソ連の当時の「インターナショナル」とつながりが生じ、後世には支那共産党やら北朝鮮とも強いつながりが出来ました。 

 この時点で、本人らがどう言い訳しようとも、「日教組」は「狂人集団」となってしまった訳です。

 ところが、日に陰に米国に支配されていた自民党政府は、仮にそれと知っていても明確な撲滅行動を起こすことはありませんでした。

 米国の膝下にある限り、たかが教員の労組ずれが国家の根幹を揺るがすことになるなどとは考えていなかったからです。

 経済の繁栄に走ることで国民を引きつけておくという方向を選択したのです。

 その間に狂人どもは着々と反日妄動を既成事実化し、そして、日本が米国のコントロールから外れる様になってきて米国との関係が対等に近くなってくると、あの「学生運動」という阿呆な煽動に乗せられた単純バカどもが騒ぎ出すことになった訳です。

 それでも日本の大半の「のほほん人」達の意識は「何でも暮らしいいが良い」から一歩も出ようとしませんでした。

 反日妄動の主導権が旧ソ連から支那・朝鮮に移り、また在日白丁と言う故国から逃げ出した日蔭者どもの妄動の為に、日を追って日本の社会は異常になりつつも、経済が繁栄している間はそれでも大きな問題は表ざたにはなりませんでした。

 しかし、政界・財界・司法・行政・報道・教育という国家の組織には彼奴等が次々と忍びこみ続け、その結果として「国家の大計」を誰も考えなくなった時、日本は失われた十年か二十年か知りませんが、長期的不況に陥った訳です。

 自民党が「国民政党」から「利権政党」に変質したのには様々な要因がありますが、やはり「国家百年の大計」を考えられるだけの人物が育たなくなってしまったからだと思われます。

 それは社会的にも同じであり、「国歌国旗の掲揚時に起立しない」ことを当然と考える様な狂人が訴訟を起こすという、それ以前に「訴訟を起こせる」ことの方が異常なのですが、そういう事態になっても誰も異常だと思わなくなってしまったのです。

 ここに「戦後民主主義」という妄想社会と本来の「デモクラシー社会」の違いが表れています。

 デモクラシーの起源たるプラトンの「都市国家」の時代でも、「生活共同体たる国家」の存続と繁栄を維持する為にそれはあったのであり、「国家を否定し、存続を危うくするデモクラシー」というのはそもそもがあり得ないことなのです。

 この大きな取り返しのつかない「誤謬」の原因の一つは、やはり本来のデモクラシーとはどんなものかも調べず、「何でも暮らしいいが良い」と能天気なままでいた「のほほん人」達の「米国への甘え」でしょう。

 むしろ、米国と言うよりは「自分以外の強い誰か」と言っても良いかもしれません。

 「国の責任」などと、あたかも国民とは別のものがそこにあるかのような表現が平然と為されていることもその一例です。

 そこには「国民」と「国家」が不即不離であることを誤魔化し、恰も敵であるかのようなサヨク妄想が窺われますが、その妄想を不思議に感じない原因は、「のほほん人」達が「国家に生活を守られている癖に、行動はせずに批判だけはする」といういびつさを感じていないせいでもあるのです。

 自らが国家の一員であるという責任を意識していない「のほほん」です。

 しかし、「元寇の神風」が実際には季節外れの台風であった様に、現世には「魔法」も「奇跡」もなく、デモクラシー社会では「天は自ら助ける者を助ける」でしかないのです。

 それを勘違いしたが故に、「国歌国旗掲揚時の起立」というどこの国でも当たり前のことが最高裁で争われなければならなくなる、というよりも、裁判で争うことが出来るという異常社会になってしまったのです。

 まぁ、いずれにせよ、これで「日教組」の狂人どもは反日妄動の手段の一つを失いました。

 しかし、「日本人」が「のほほん人」である限り、現在の売国政権下では暗黒の奈落が待ち構えている訳です。

 「のほほん人」達が「日教組」を他人事と思っている間に今がどうなってしまったかということと同様に、日本がズタズタにされ、わが身に災難が降りかかってきてから後で泣くのは勝手ですが、子供たちがどうなるのか、放射線妄動に踊らされているのと同じ程度には真剣に考えてみても良さそうなものです。



閉じる コメント(13)

古代のギリシアの都市国家を前提としていたデモスクラティアと、身分から契約へと変化した近代国家における「民主主義」は、もはや別物でしょう。

本来の民主主義というか、それは共通善の実現を目指す民主共和制とでもよぶべきものではないですか?戦後民主主義だろうが北朝鮮型の全体主義的民主主義だろうが、おなじ民主主義だと思いますよ。
私は民主主義それ自体を定義するのは不可能だと考えてます。

戦後民主主義だとか本来の民主主義などと、ある価値観による峻別などあまり意味がないかと。

2011/5/31(火) 午後 7:41 [ フレディ ]

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まず、北朝鮮の体制を民主主義と呼んでいる時点において、通常の言葉の定義からは外れていると思います。
特別な定義をするならばその根拠を明確にしてからにしていただきたい。
北朝鮮を指して、通常は「独裁」と表現するのです。これはナチスと同じ独裁型の体制であり、少なくとも政治的に自由な選択が可能でない限り、デモクラシーではない。
ちなみに「戦後民主主義」とカッコでくくった意味は、他に類型を見ないものであるからであり、所謂民主主義と混同しないためです。
更に付け加えるならば「共通善」なるものそのものが欺瞞的で胡散臭い言葉です。しかもそれの実現となれば、あのアホ鳩を彷彿とさせますね。一般意味論からすれば、宗教面と定義が混同している様ですね。

2011/5/31(火) 午後 9:10 [ syouwa_jp ]

→まず、北朝鮮の体制を民主主義と呼んでいる時点において、通常の言葉の定義からは外れていると思います。

北朝鮮自身が国名に、民主主義人民共和国と名乗っているから民主主義でしょ。 朝鮮労働党は前衛党として一般大衆を導き指導する「一般意思」を「知っている 」人間達であり、自分達こそが近代化を押しすすめる立法者である、という意味におけるルソー主義における集団主義的民主主義でしょ。

ちなみにハイエクは民主主義を、集団主義的民主主義と個人主義的民主主義に分類し、前者にフランス革命の革命フランス体制を分類してました。通常の言葉などと曖昧にごまかさないで、そちらこそが民主主義とはなにかを定義するべきではないのですか?私は無理だと思いますが。

→特別な定義をするならばその根拠を明確にしてからにしていただきたい。

根拠はだしましたよ。次はあなたが民主主義なるものの定義の根拠をお願いします。

2011/5/31(火) 午後 9:41 [ フレディ ]

→北朝鮮を指して、通常は「独裁」と表現するのです。これはナチスと同じ独裁型の体制であり、少なくとも政治的に自由な選択が可能でない限り、デモクラシーではない。

確かに現実的な政治体制は独裁ですが、国名に民主主義が入っている政治思想上の根拠は別に存在します。いかに形骸化していようが、それが彼等のイデオロギーですよ。
なぜ政治的に選択可能(投票?)でないならデモクラシーではないのか?アリストテレスがポリスを語るとき、それは共同体の共通善の実現が前提になっていたというのに。

→ちなみに「戦後民主主義」とカッコでくくった意味は、他に類型を見ないものであるからであり、
その戦後民主主義と本来のデモクラシーの定義も違いもわかりませんが?
もし古代ギリシヤのデモクラシーを指すなら、選挙ではなく割り符による抽選でしたよ。

2011/5/31(火) 午後 10:10 [ フレディ ]

→更に付け加えるならば「共通善」なるものそのものが欺瞞的で胡散臭い言葉です。しかもそれの実現となれば、あのアホ鳩を彷彿とさせますね。一般意味論からすれば、宗教面と定義が混同している様ですね。

共通善というのは、古代ギリシャのアリストテレス以来の共和主義思想の根本原理にして目的と考え られているものです。有名なマイケルサンデルも、正義の類型を三つあげて、その一つに、コミュニタリアリズムを挙げてます。その最も有名な論者はマッキンタイアでしょうか。兎に角、共同体主義、共和主義思想において、共通善の実現は哲学の核心になってます。宗教と混同とか、まるで意味不明ですね。ルーピーの友愛などという変態思想などと一緒にするなど、失礼ながら不見識すぎるのでは?

2011/5/31(火) 午後 10:21 [ フレディ ]

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まず、北朝鮮についてですが、通常の範囲内で、政治的な自由判断を提示できず、迫害される体制は「独裁国家」というのです。
更に、民主主義国家を標榜していて何万人もの国民を強制収容所にいれていることは、どのような定義であっても、人権を護らねばならない民主主義国家には相当しませんね。
あまつさえ、名乗っているからそうだとは、笑止の沙汰。



これは貴方が誰にでも聞かれれば宜しい。

2011/5/31(火) 午後 11:47 [ syouwa_jp ]

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次に、現実的に独裁であれば、それは独裁です。
選択可能とは、その体制を全ての国民自身の自由な意志によって選択できるという意味であり、その手段が現実的に封殺されていれば、何をどう名乗ろうと、一部の者による「独裁」です。
まず、全ての政治犯を強制収容所から解放し、秘密投票の自由を全ての国民に確実に保障してから言うべきでしょう。

イデオロギーを優先させて民主主義を云々というのは、別の言い方をすれば、多数の国民の人権が一部の共産主義者以下とされている限り、単なる詐欺です。

2011/5/31(火) 午後 11:56 [ syouwa_jp ]

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共通善については、共和制と言う特定の大勢に置いての用語であり、そもそも「善」なるものが時と場合と人によって変化する以上、詐欺術でしかないでしょう。
この現世に絶対の善は存在しえません。
また善の具体性について言えば、行為ではなく、価値に置いてでしかないのは言うまでもないことです。
全ての者に共通の善などあり得ないのです。
その意味で共和制と言うのは、権力の一形態を擁護する為のカルトの一種でしかありません。
共産主義であろうと資本主義であろうと共和制がどうであろうと、要は権力がどんな形態であるかに過ぎないということです。

その意味で、デモクラシーもまたその一形態です。
唯、ルソーが述べている様に、「本来であれば君民共治がベストだが、その理想が現実には困難であるから次善のものとしてデモクラシーを選ぶ」というだけのことです。

2011/6/1(水) 午前 0:05 [ syouwa_jp ]

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さて、たまに居るのですが、北朝鮮を民主主義だと擁護している以上、カルトサヨクと判断します。
党ブログではカルトサヨクは相手にしません。
以上を以て、無駄なやり取りは終了します。

2011/6/1(水) 午前 0:07 [ syouwa_jp ]

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国歌斉唱時の起立こんな事は当たり前なんですよ
どこの国もそうでしょう、他に敬意をはらわない国聞いた事ないです
こんな事言うのは在日の人間と反戦の人だけ
これに対する人間は私は異常としか認識できません

2011/6/1(水) 午前 5:47 [ - ]

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はじめまして
沁み入るように読ませていただきました、
私自身が思っていること、感じていることを、伝えられないジレンマがありました、
全て仰る通りだと、自身腑に落ちました、
多くの国民は、自分さえ普通に暮らせれば後は何とか
してくれるだろう、政治なんて、誰がやっても同じだ、
等と、ワケシリ、な人間が今の世の中を作ったんだと
思います、辛うじて、国歌、君が代、裁判が当たり前の結果が出ました、しかし、先行き日本が心配の種は尽きません。

2011/6/1(水) 午後 0:53 [ 白い蓮 ]

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ドズル様。
異常を異常と感じない、もしくは異常を当たり前にするために妄動する輩が居るということですね。
その行きつく先が、例えばスターリンの大粛清、毛沢東の文化大革命、ポルポトの虐殺、北朝鮮の強制収容所、支那のチベット侵略・虐殺になっている訳です。
サヨクがどんな屁理屈を振りかざしても、歴史的事実がそのカルト性を明らかにしています。
そもそも理論めいた詐術で騙されるレベルだから他人もそうだと思い込んでいるのか、それともあの学生運動や労組交渉のマニュアルの様に、他者の論をかき回して滅茶苦茶にして勝利と叫びたいのか、いずれにしてもまともに相手にするだけの価値は無いのです。
何も残らない無駄な時間です。

2011/6/1(水) 午後 1:06 [ syouwa_jp ]

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qjy*d77*白い蓮様。
初めまして。仰る通り、その点が問題なのです。
政治を国民から乖離させたのは自民党に大きな責任がありますが、だからと言って有権者に何の責任もない訳がありません。
もし、本気で自分の生活を護りたいと思うならば、政治においても本気で正しい事実を調べ、反日や利権の輩を政治の場から追い出さねばならない筈なのです。

ちなみに、拙もかなり過去に某サヨク組織に近しかったことがありますが、その時、喚き立てる時にはマニュアルがあると知りました。
瑣末な言葉の上げ足をとる・負けそうになると話をごちゃまぜにして振り出しに戻す等々、要は相手が彼奴等に有利になる失言をするまで続けるということです。
実はそれが目的なのであり、如何に議論に見えていても何の意味もないのです。
こちらが彼奴等の目的を知って対応すれば無駄な時間を浪費せずに済みます。

さて、日本がどうなるか、これまでの因果応報は避けられないでしょう。しかし、子々子孫々の為にも、売国民主党や反日サヨクカルトどもによる日本の解体は防止せねばなりませんね。

2011/6/1(水) 午後 1:38 [ syouwa_jp ]


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